第2話 練馬区平和台駅近辺

 練馬区桜台及び練馬区駅周辺は、饅頭に押しつぶされ、ほぼ消滅した。警察や消防、市民たちによる饅頭の破壊活動は続いているものの、饅頭の増殖速度には追いつけなかったのだ。


 現場は悲惨を極めていた。多くの建物が饅頭に押しつぶされ、逃げ遅れた人々が下敷きとなり、町中に悲鳴や怒号、泣き声が響き渡る。饅頭の塊になんとか耐えている学校には、数多くの児童が取り残され、増殖を止めようとしない饅頭に怯えながら、子供たちが救助を待つ。命からがら饅頭の塊を抜け出した人々は、餡だらけの体を引きずり、虚ろな様子で歩き続ける。まるで戦場だ。


 饅頭に立ち向かう人々は、怪物と化した饅頭の塊をこれ以上は巨大にさせまいと、手近なものを手に取り抗い続けている。市民は鍋や木の板、トンカチなど何もかもを、警察は拳銃を、消防は放水を、自衛隊は手元にある武器すべてを、ただ饅頭の破壊のためだけに使っている。彼らが存在しなければ、饅頭の塊はとうの昔に練馬区全体を覆い尽くしていたかもしれない。


 事ここに至り、日本政府は自衛隊の国民保護等派遣を決定、すでに災害派遣として市民を救助していた自衛隊に、武器使用の許可が下りた。もはや饅頭の塊に、小手先の武器では対抗しきれなくなったのである。


「全員聞け! 現在判明している、饅頭の特質についてだ!」


 一面が栗色に覆われた練馬に向けて、一切の迷いもなく走り続ける軍用トラック。その中で、中隊長の村井一等陸尉が部下に対し、これから銃を向けるの説明をはじめる。


「饅頭は10分に1度、必ず倍に増えている! ただし、破壊された饅頭はその時点で増殖能力が失われ、ただの饅頭に戻るそうだ!」


 前線で戦う芹沢二等陸尉が見出した、人類が知る、怪物の数少ない情報。それが怪物の弱点であったのは、幸運であった。


「饅頭の塊の重さに耐えられず、自ずと破壊される饅頭も多いが、敵の数が多くなればなるほど、その増殖速度は速くなる!」


 物が倍々に増えていく。これほど恐ろしいものはない。もし饅頭が増殖を止めねば、日本だけでなく、世界までもが瞬く間に饅頭に覆われてしまうのだ。


「我々の任務は、すでに展開済みの部隊、警察、消防、国民とともに饅頭を破壊することである! 我々が、手遅れになる前に、すべての饅頭を破壊し尽くす!」


 村井の言葉に、隊員たちは高揚感をあらわにする。戦場に出る事など1度もないであろうと高をくくっていた里崎陸士長も、例外ではない。自分たちが国民を、世界を守るのだと、決意を新たにしているのだ。


 熱気に包まれた軍用トラックが足を止めたのは、それからすぐである。平和台駅の側。人気はなく、活気のない通り。一般人は避難を完了し、いるのは饅頭と戦う人々のみだ。聞こえるのは、饅頭への怒号と、そして空を飛ぶ戦闘機のジェット音だけ。日常など存在しない。


「敵が饅頭だからといって、油断するな! 行け行け行け!」


 軍用トラックの停止とともに、すぐさま指示を下す村井。里崎をはじめとする隊員たちは、89式小銃を握りしめ、続々とトラックを降りる。何もかもが訓練通り。


――いや、これは訓練ではない。


 里崎の目に映った景色は、彼の心にそう叱った。何も里崎だけではない。饅頭との戦いに向かう隊員全員が、里崎と同じように叱られ、同じような感情を抱いている。恐怖とも、高揚感とも、責任感とも思える、複雑な感情を。


 彼らの視界は、禿山に支配されている。人間が生活し、作り上げてきた街並みが、荒れ果てた土地に姿を変えているのだ。ただし、実際に彼らの前にあるのは、禿山でも荒れ果てた土地でもない。あれこそが、彼らが打ち倒さなければならない敵、饅頭の塊なのだ。隊員たちの常識が、饅頭を禿山と誤認させたのである。


――なぜ、任期満了直前にこんなことに!?


 異様な光景と甘い匂いに、恐怖が里崎を襲う。あまりに巨大な敵を前に、隊員たちの足がすくむ。


「ここは我々に任せて、市民の皆さんは避難を! 全員、次の増殖まで約6分だ! それまではこちらが一方的に攻撃できる! 臆せず敵を破壊しろ!」


 呆然とする隊員たちの鼓膜を、村井の大声が震わせる。これに隊員たちは、自分たちのやるべき事を思い出した。相手がどれだけ巨大であろうと、今ここで饅頭を破壊しなければ、饅頭の塊はさらに大きくなる。それを止めるのが自分たちであると。村井が、それを思い出させたのだ。


 すでに少数の市民が武器を手に、饅頭と戦っている。彼らを守る自衛隊員が、饅頭に怯えている場合ではない。里崎はほおを叩き、気合いを入れ直し、再び銃を固く握った。


 隊員たちは揃って、小銃、機関銃、無反動砲、迫撃砲など、持てるだけの武器すべてを、饅頭に向ける。市民たちはそんな彼らを信頼してか、自分たちが邪魔にならぬよう、おとなしく後方へと下がっていった。


「撃て!」


 市民の安全が確保され、隊員の持つ武器すべてが饅頭に照準を合わせたのを確認した村井は、即座にそう叫ぶ。と同時に、隊員たちの人差し指が動き、耳をつんざく、連続した破裂音が街に響いた。


 数多の弾丸、砲弾、榴弾が横殴りの雨のごとく、饅頭に殺到する。音速を軽く超えた鉄の雨は、発砲音の直後に着弾音を轟かせ、饅頭に食い込み、あるいは饅頭を炎に包み込み、天高く吹き飛ばした。破壊された饅頭は餡を撒き散らし、原型をとどめず地面に降り注いでいく。


――やっぱり所詮は饅頭か。


 小銃の反動に震わされながら、里崎はそう思う。街をのみ込む巨大な塊であろうと、小さな饅頭の集まりにすぎない。人が人を倒すために作られた武器に、たかが饅頭が勝てるわけがない。里崎の恐怖心は、勝利への自信にかき消されていった。


 破裂し、宙を舞い、地面に横たわる、餡をむき出しにした饅頭の破片。止むことのない鉄の嵐。一方的な攻撃が、饅頭の塊の一角を切り崩していく。


 発砲音の乾いた音。コンクリートに叩きつけられる薬莢。辺りを舞う白い煙。火薬の匂い。着弾時の破裂音と衝撃波。飛び散った餡から香る、美味しそうな匂い。ここにさらに、街を振動させるほどの大音量が響く。


 弾倉を交換しながら、空を見上げた里崎。よく晴れた青い空には、怪獣の鳴き声のような音を発し、猛スピードで頭上を駆け抜ける鋼鉄の鳥たちがいた。航空自衛隊の戦闘機、F―4の編隊である。偵察機とは違い、低空を飛ぶF―4の腹には、大きな黒い魚にも見える、爆弾がぶら下げられている。


 F―4が駆け抜けてからしばらくして、大量の饅頭を纏う凄まじい火炎が、遠方に現れた。里崎は直感する。あれこそがF―4の攻撃の成果であると。遅れてやってきた爆発音と衝撃波に、里崎のその直感は確信に変わる。


「撃ち方止め! 増殖まで1分を切った! 全員後退しろ!」


 圧倒的な火力で、順調に饅頭を破壊する最中、村井がそう叫んだ。里崎は饅頭を破壊したいという逸る気持ちを抑え、命令に忠実に、後方へと下がる。ところが、はじめての戦場に冷静さを保てない一部の隊員は、村井の命令に従わない。使命感と勝利の確信にとらわれた者たちは、村井の言葉に逆らって攻撃を続けた。


「中隊長! 攻撃続行を! この勢いなら勝てます!」

「そうです! 饅頭相手に怯えている場合ではありません!」

「バカを言うな! 饅頭を甘く見るんじゃない! いいから後退しろ!」


 唾を飛ばし、必死で部下を叱る村井。それでも逸る一部の部下は、後退しない。彼らは饅頭の塊のすぐ目の前で、銃を撃ち続けた。


 発砲音に支配された街並み。しかし突如、地震が起きたように地面は揺れ、腹の底まで響く巨大な重低音が、辺りを覆い尽くす。直後、沈黙を保っていた饅頭の塊がうごめき、その数を急速に増やしていった。饅頭の雪崩は、破壊された饅頭の残骸を覆い尽くし、後退しなかった自衛隊員のもとまで到着する。


「う、撃て撃て! 饅頭を壊せ!」

「ダメだ! 間に合わない!」


 饅頭の海に溺れ、すぐに姿が見えなくなってしまった隊員たち。直前まで意気揚々と戦っていた仲間は、虚しく饅頭に押しつぶされてしまった。だが饅頭は、そんなことなど気にせず淡々と増殖し、塊は大きくなっていく。もはや饅頭にとって、人間など眼中にないのだろう。


 悲痛な叫びは、無線からも聞こえてくる。


《地下鉄内にも饅頭が! 饅頭が襲ってくる!》

《助けてくれ! 死にたくない!》

《来るな! 来るなあぁ!》


 地下鉄に取り残された人々の救出に向かった部隊からの必死の叫びも、すぐにノイズへと変わってしまった。里崎をはじめとする隊員たちは、唾を飲み込む。饅頭を甘く見ていた。たかが饅頭と侮っていた。だが人間は、いとも簡単に饅頭に殺されてしまうのだ。


 増殖が終わったのか、沈黙する饅頭の塊。沈黙しているのは自衛隊員も同じ。あれだけの攻撃を加えながら、饅頭の塊は元の大きさ、いや、さらに大きなってしまったのだ。人々を、仲間を殺して。絶望と諦めが、隊員たちの心を痛めつける。


「攻撃続行! 饅頭の拡大を遅らせろ!」


 それでも戦わなければならない。村井は諦めず、指示を出した。里崎も、銃口を饅頭に向け、引き金を引いた。

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