饅頭本当に怖い

ぷっつぷ

第1話 練馬区桜台某所

 練馬区桜台に、異様な光景が広がった。日常生活には似合わぬ人混みに囲まれ、今にも崩れようとする一軒家。火事や欠陥住宅の類ならば、皆が驚きはしても異様とは思わない。だが一軒家を傾かせ、歪ませるものの正体は、大量の饅頭であった。これを異様と言わずしてなんと言う。

 

 最初は誰もがその光景を信じようとはしなかった。当然である。大量の饅頭が一軒家を潰そうとしているなど、出来の悪い冗談にしか聞こえない。しかしいざ、甘ったるい匂いに包まれ、その異様な光景を目にしてしまえば、それが現実であることを受け入れなければならない。


「何があったんです?」

「さあ……」

「家主は大丈夫なのか?」

「こんなに大量の饅頭、いったいどこから?」


 野次馬たちは、どこか他人事のような口調で、それぞれ勝手なことを口にする。どんなに異様な光景が目の前に広がろうと、彼らにとってそれは、自分とは関係のない出来事でしかないのだ。買い物袋を片手に持つある1人の主婦も、例外ではない。

 

 その主婦は、饅頭が一軒家を潰そうとする、一見すると面白おかしい馬鹿話に首を突っ込み、しかし本心は、今日の夕食の献立に支配されている。夫はいつ帰ってくるのか、子供はどれほどの米を食べるのか。非日常風景に興味を示しながら、日常のことだけを考えているのだ。

 

 主婦が野次馬の1人になってからすぐ、けたたましいサイレンとともに1台のパトカーが到着した。きっと誰かが、饅頭に潰されそうになる家を見て通報したのだろう。

 

 パトカーから降りる警官は、野次馬の視線の先を見て、しばらく沈黙していた。つい先ほどの野次馬たちと同じ反応だ。わけの分からぬ出来事に呆然とし、一時的に思考が麻痺してしまった人間の反応だ。


「すみません! 状況を説明してください! 家主の方は?」


 正気に戻った警官が、家主を探す。だがここに家主はいないと、野次馬の誰か――おそらく警察に通報した男――が口にすると、警官はあからさまに嫌そうな顔をした。野次馬たちにとって目の前の出来事は他人事だが、警官からすれば仕事だ。面倒な仕事を任せられたときは、誰だって嫌な顔のひとつぐらいするものである。

 

 警官は家の住所を確認し、無線を使うためにパトカーに戻っていく。そのときだった。突如として大量の饅頭がうごめき、一軒家の壁や柱が悲鳴をあげる。まるで何かの生物のように、内側から膨らむよう動き出した饅頭。さすがの野次馬たちも恐怖を覚えたのか、主婦も含めその場にいた人間のほとんどが、後ずさりをはじめた。

 

 うごめく饅頭は壁を突き破り、木材を吹き飛ばし、その重みで一軒家を破壊。一軒家のあった土地は、大量の饅頭が鎮座する不思議な空間と化す。気づけば饅頭は、饅頭らしく沈黙していた。

 

 これは主婦の気のせいだろうか、饅頭が大きくなったような気がする。いや、大きくなったのではない。数が増えたのだ。主婦の気のせいではない。


 家が破壊された際の轟音は、町中に響き渡ったのだろう。饅頭が増えるのと同時に、野次馬も増えているようだ。

 

 人間の興味というものを、饅頭はしっかりと掴みとったらしい。主婦も買い物袋の中にあるアイスが溶けはじめていながら、この場を離れられぬのだから。


「まさか、饅頭が増殖している? だが……」


 主婦のすぐ隣にいた、筋肉質の大柄な男が、深刻そうな顔をしてそう口にする。彼の手には、拾ってきたのであろう饅頭の小さな破片が。


「あれを増殖の動きとすると、なぜこの饅頭の破片は増殖しなかった? まさか、破壊された饅頭は増殖しないのか?」


 ぶつぶつと独り言を呟く男。しかし次の言葉は、独り言などではなく、この場所に集まるすべての人間に向けた、警告・・であった。


「みなさん! ここは危険です! すぐに避難してください!」


 突然の大声に、野次馬たちも言葉を返す。


「危険って、何が危険なんだ?」

「あの饅頭は一定の間隔で一定の増殖をしていると思われます! おそらく数分後には、この一帯が饅頭に押しつぶされるかもしれません!」

「なにを馬鹿な」


 必死で叫ぶ男に、多くの野次馬は感心すらも示さない。おかしな人間がおかしなことを口にしていると、男を狂人扱いして処理してしまう。

 

 しかし主婦は、必死に叫ぶ男を狂人扱いしなかった。なぜなら、目の前で起きていることがすでに狂っていると感じたからだ。饅頭が増え、動き、家を潰す。おかしな出来事は目の前で確かに起きている。


「あの、増殖を止めることはできないんですか?」


 気づくと主婦は、そんな質問を男にぶつけていた。男はすぐに質問に答える。主婦だけではなく、この場にいる全員が答えを聞けるよう、大声で。


「おそらくですが、破壊された饅頭は増殖しないと思われます! 増殖を止めるには、饅頭をひとつひとつ破壊すればいいかと!」


 単純明快な答え。それでもまだ、多くの野次馬が男の言葉を無視する。


 主婦は男を手伝って必死に叫んだ。饅頭の増殖と破壊を、大声で叫んだ。あの饅頭はおかしい。今のうちになんとかしないと手遅れになる。そんな漠然とした危機感が、主婦をそうさせていた。


 しばらくの訴えがようやく届いたのか、他にも複数の人々が避難を呼びかけ、饅頭の破壊を開始する。あの警官もまた、そのうちの1人になっていた。ただ、相変わらず興味本位のみでこの場から動こうとしない野次馬は多い。

 

「気をつけろ! 饅頭が動き出したぞ!」


 避難と饅頭の破壊を呼びかけていた男が、今度はそう叫ぶ。見ると確かに、饅頭の塊が生き物のようにうごめきはじめている。先ほどよりも塊が大きくなったせいか、うごめく饅頭からは、怪物が地べたを這いずり回るような不気味な音が聞こえていた。

 

 数秒後、饅頭の塊が膨張し、饅頭は野次馬めがけて雪崩のごとく襲いかかる。もはや野次馬たちは恐怖にかられ、顔を引きつらせながら、悲鳴をあげて逃げていった。だがこの数分で集まった野次馬は多く、いざ逃げようとしても、人混みで動けない。


「早く逃げろよ! おい! 早く! 饅頭が……饅頭が!」

「クソ! 饅頭に潰される! 助けてくれ! お願いだ! 助けて――」


 野次馬の先頭にいた複数の人間は、逃げ遅れ、絶望の表情をしたまま悲鳴とともに饅頭にのまれていく。主婦もその光景に恐怖し、足が動かない。


「早く逃げましょう! 危険すぎます!」


 震える足で体を支えるのがやっとの主婦。そんな彼女の腕を、男は強く引っ張った。主婦は勢いよく後ろに引きずられ、買い物袋を落としてしまう。おかげで彼女の命は助かった。つい先ほどまで主婦が立っていた場所に落とされた買い物袋は、すでに饅頭にのまれ押しつぶされているのだから。

 

 増殖を止めた饅頭の塊はさらに大きくなり、隣の家までをも潰そうとしていた。あの饅頭の塊の下には、複数の人間が埋もれている。饅頭はただその数を増やしているだけだ。だがこの場にいる人々にとって、あの饅頭の塊は、人を襲っていることに他ならない。異様な存在を前に、人々は饅頭を恐れることしかできない。


 いや、すべての人間が饅頭を恐れているわけではない。いち早く饅頭の危険性に気がつき、対処法を確立し、主婦を救った男がいる。彼は饅頭から、逃げようとはしない。


「逃げるだけでは意味がない! みなさん! 少しでも多くの饅頭を破壊しましょう!」


 パニック状態の中、誰もが饅頭に背を向け逃げ出す中、男はただ1人だけ、饅頭に立ち向かった。そんな男の勇姿に魅せられ、ともに戦うことを宣言する人も現れる。


「市民を守る警官が、ここで逃げるわけにはいかないな!」

「相手はただの饅頭だ! やるぞ!」

「俺たちが、みんなを饅頭から守るんだ!」


 野次馬の数からすると、饅頭に立ち向かう人間は少ない。しかしその意志は、野次馬根性とは比べ物にならない強さがある。増え続ける饅頭から人々を救おうという、確かな意思が。


「私は、みなさんにこのことを伝えてきます!」


 未だ震える主婦も、男の勇姿に魅せられ、自分にできることをやろうと宣言する。饅頭を破壊し続ける力はなくとも、彼女は彼女なりに、饅頭と戦おうとしている。


「では、可能ならば自衛隊に伝えてください! 前線には芹沢二等陸尉がいると!」


 迫る危機を伝えようと走り出した主婦に、男はそう言った。主婦はその言葉を聞き逃すことなく、大きく頷いて、走る。

 

 突如として現れた、無限に増殖する饅頭。この危機は、練馬区の危機だけでなく、人類そのものの危機であり、人々は絶望した。そして、立ち上がった。今まさに、饅頭と人類の熾烈な戦いがはじまったのである。

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