独り言万歳

リナさんさん

第1話 独り言万歳




 目の前に輝くのは自分の腕ほどもある大きな牙だ。

 幾重にも重なるように、乱れなく美しい並びをしている。 時折覗く舌なんて、自分が寝ているハンモックと同じくらいかもしれない。


「さあ、選べ。 人の娘よ」

 巨大な舌を覗かせながら、ゆっくりと、冷淡な声が響く。 春を知らぬ大地のように土までも凍ってしまっている、そんな色の感じられぬような声は私を試すかのようだ。






 物心ついた時には既に孤児であり、浮浪者でもあった自分は日々生きる事で精一杯だった。 ちょっとした労力で糧の手に入る盗人になったのも必然といえば必然、気がつけば盗人が板についてしまった。

 なんていったって保護者もいない、誕生日も知らない、自分の年齢も知らない、名前も分からないのだから、これで全うに生きろという方が酷というものである。

 どこの孤児院も人手や寄付が足りず、新しい孤児を受け入れる余裕なんてありはしない。 働くにも保護者や家も無く、学の無い自分は門前払いだ。

 しかしそれは致し方の無いことだ。 世の中はまだ戦渦や飢餓で苦しむ人間が沢山居る。 他人の世話する前に自分の世話しろって話なだけだと、自分に言い聞かせてきた。


 そんな私に転機が訪れたのは、十を迎えた時の事だ。

 あくる日、嵐の酷かった次の朝。 何となしに散歩していた海岸で難破していた船を見つけたのだ。 何か金目のものがあったら万々歳と近寄れば、そこには怪我をしていた人間や死んだ人間が沢山横たわっていた。 近づいてみるまで分からなかったが、この海賊船は中々の大きさを誇るらしい。 自分が見たこともないような大きなガレオン船だった。

 こんなに大きな船が難破するだなんて、嵐の規模はかなりのものだったのかと思案すれば、ふと肩を叩かれる。

「よう、お嬢ちゃん。 ちぃと手を貸してくれねえかい」

 到底、学のある者の喋り方でも紳士的な喋り方でもない。 大陸訛りの酷さからして、その者の身分は押して図るべし。


「海賊かー」 あー、運が悪い。 妙なのに捕まってしまった。

「そうさな、今は帆が折れて髑髏の御旗は見えないかもしれないけどよ」

 指し示すはマスト部分。 ドラゴンでもぶつかったのかという程ひしゃげ、一部が砕けている。


「それで何を手伝えっていうのさ」

 こちとら子供で学も無い。 定職についている訳でも、金がある訳でもない。

 というかそんなの服装見たら分かるだろうと睨めば、海賊の男はにやりと笑う。


「お前盗人だろ? 街行って薬や包帯を盗んできてくれまいか、報酬なら弾むぜ」

 なんだ、存外によく見ているじゃないか。 この同志め。

 にやりと笑えば、男も歯を見せ笑った。



 これが後に私の名付け親となり、かの有名な海賊団「ヴァルロス・ファング」の頭領でもあったとフォーカという男との出会いである。



 それからの日々はなんてことのない海賊家業だ。

 商船を襲い、奪い、それらで暮らす。 陸で生きていた頃とあまり変わらない生活だ。

 ああ、でも変わった事といえば、寝食を共にする奴らが出来た事と、前以上に荒っぽくなった事だろう。

 何せ周りは男ばかりだ。 姐さん達のように上手く床へ就ける技量も身体も無いのだから、放られる任務といえば荒事しか残っていない。 当然の事だ。

 未だ十二歳のガキだから誰も手を出す訳も無いと、そう思っていた矢先にこれである。





「選んだか、人の娘よ。 この場で死ぬか、我と供に生きるか選べ」

 体長が30メートルはあろうかという青竜を前に信じられないような選択を迫られている。

 何かあったらお前の力になるといった父や兄弟達は、少し離れた甲板からオロオロとしながら見ているだけだ。 何が護るだクソどもめ。

 睨めば父たる頭領が「わりぃわりぃ」と片手を上げて笑っている。 ほんとクソかよ。


 恨みがましく睨んでいると、青流の尾がぬっと伸びて私の足を優しく掴み「さっさと決めぬなら千切るぞ」「ちょっと待ってくれ」 とんだ脅し文句だ。


 ……そもそもとして何で青竜と出会うこととなったのだろうか。

 青竜はよっぽどの事が無い限り人里にも、自分らの縄張りからも出てこない。 その身に宿る鱗や髪に多量の魔力を含んでいる為、様々な種族から狙われやすいからだ。

 ここいらは人気の少ないといっても、密猟者や自分らのような海賊がうろついている小島の一つで、青竜がいるだなんて噂聞いたことは無い。


「決めたか?」 平淡な声色は変わることなく尋ねてくる。

「いやその前にさ、なんで一緒に生きるっていう選択肢が出てきたんだ」

「何故?」 声色が変わった。 それは喜色とは程遠く、怒気を孕むものだ。

「何故というか、人の娘よ」 唸り声のようなものすら聞こえ始める。 連動するように周りの川や海からは小さな気泡が産まれ、普段は顔を覗かせないような水棲生物達が水面近くで何やら訴えている。


 逆らうな、怒らすな。


 言われなくともそんな事分かっているけれども、私にはどうしても心当たりが無いんだ。 黒竜に次ぐ厄介者と言われている青竜。 それに求婚紛いな言葉を吹っかけられる由縁など――


「……海に語らうておったろう」

「海に?」

 海に、語らう。 語らう、語ら―――――

「あああああああああ」 思わず声を上げる。 海で語らう。 その言葉に覚えがあった。


 船の不寝番は大体2~3人で行われる。 マスト、船首、船尾。 このいずれかだ。

 自分は未だ若くマストの上の寒さは辛かろうと、よく船尾に回されていた。 漂流物を見極める船首や、飛行船などを警戒するマストの上と比べて船尾は余裕が生まれやすい。 勿論、怠る事は許されないが考え事や歌う程度ならば可能だ。

 私はよく、暇を見つけては小噺を作っていた。 吟遊詩人のように立派なものでも、作家のようにきちんとしたものではないが、架空の話を考えるのが好きだった。

 時折思いついたように海へ語らう――つまりは、独り言を呟いていた。 正確には独り言ではないのだが見ようによってはそうなるのだろう。


「あれ、聞いてたの……?」

 青竜はゆっくりと頷く。

「我々の生態については間違っているものばかりであったな」

 うるさい、見たこともないドラゴンの話なんてそうそう正確に語れるわけないじゃないか。

「だから、その間違いを正してやろう」 我が直々に、と。

「……はぁ?」

「喜べ、我も人の生態について知りたい事が多くある。 いずれ同胞たちが人の里へ降り立つ為に有益な情報を身につけなければならんからな、供に過ごせばどちらも情報を共有し合える。 いい事尽くめだ」

 青竜は満足気に頷く。 心なしか表情が柔らかい、笑っている。 のだろうか。

 いやいやいやいやいやいや、ちょっとまった。

「いやそんないきなり言われても私には海賊家業が――!」

「お前の親は手を振っておるぞ」

 振り向く。 数年暮らしたガレオン船が岸を離れ、大海原へ――「ちょっと待てクソ親父いいいいいいいいいいいい!!」悠長に手を振っている頭領に罵声を投げる。

 投げるも、あのクソ親父は表情を変える事無く笑顔で「元気でなあ!」その一言で私を置いていった。 ……何も無い、この孤島に。 マジかよ。


「なあに心配は要らん、我が住処へと連れて行ってやろう」


 青竜はゆっくりと笑い、隣に並んだ。

 数年後、気難しい性格の青竜が人を番に選んだとかなんとか、そういう話がどこからともなく流れ着いたのは知る人ぞ知る噂話の一つだ。

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