あるアパート
車が、ぼろぼろのアパートの前で止まった。青年と不動産屋が車から降りると、女子中学生たちが、「こんなところに住みたくないわ。住んでるのは終わっている人ね」「もう使われていないでしょ」「夜に肝試しに来るにはちょうどよさそう」と、それぞれ勝手なことを言いながら、アパートの前を通り過ぎて行った。
アパートは四畳半一間で、炊事場と便所は共同であった。
「……以上が部屋の説明となります。何かご質問は?」
思いつめた顔つきの青年は、何もない部屋の中をきょろきょろと見渡してから言った。
「ここに、本当に彼が住んでいたのですか?」
「はい」とうなづく不動産屋に向かって、青年は確認するように、『彼』の名をつぶやいた。『彼』は名の知られたミュージシャンで、先日、ライブ中に不慮の事故で亡くなっていた。
「あの方はご成功なされるまで、ここにお住まいでした。いいえ、彼だけではありません」
不動産屋は次から次へと有名人のなまえを挙げた。
「そんなに……」と青年が言うと、不動産屋は黙ってうなづいた。
「たいへん人気の物件です。実は内見をご希望される方がたくさんおられます。申し訳ありませんが、いま、この場で、契約なされるか、ご判断いただけますか?」
抑揚なく言う不動産屋に、青年は逡巡するそぶりをみせた。
「……みんな、死んでいるんですよね?」
青年がそういうと、「はい。みなさま、それぞれの分野で成功なされたあと、若くして……」と不動産屋が答えた。
静寂の時間がしばらく過ぎたあと、青年は首を大きく横に一度振ってから、不動産屋をまっすぐ見つめて、「契約します」と言った。
それに対して、不動産屋は淡々と、「高級マンションに住めるぐらいの家賃となりますが、よろしいのですね?」と念を押した。青年は黙ってうなづいた。
青年が便所に行っている間、不動産屋はタバコを吸いながら言った。
「そんなに成功したいものかね。平凡な一生もわるくないと思うがなあ……」
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