剪定
夏の暑い盛り。祖母が庭の生垣を剪定するように言ってきた。
うちの生垣はサンゴジュで、インターネットで調べたところ、刈り込みは、春先と晩秋に行うのがよいと書かれていた。その旨を祖母に伝えたが、彼女はよしとしなかった。
土地と家屋は祖母の所有物だった。つまり、そのサンゴジュは彼女のものだったので、枯れたり、弱ったりしたところで、私に不利益はない。祖母の言うとおりに、剪定することにした。前々から、ときおり刈り込む必要のない、金属か木製のフェンスにしたほうがよいと私は思っていたので、枯れるのならば、枯れればよかった。
真夏だったので、わざわざ昼間に剪定をするのは嫌だった。それに仕事もあった。
私は朝晩に少しづつ、刈り込むことにした。
毎日、毎日、枝切ばさみを動かしていると、最初は嫌々であったが、段々とそれが快感に変わってきた。
バチ、バチと枝を切っている間は、うまくいっていなかった仕事のことを忘れて、無心になれた。
二週間、私は枝切ばさみを動かし続けた。そして、祖母からお𠮟りを受けた。枝を切り過ぎたのだ。
「これじゃあ、外から丸見えで、生垣の意味がないじゃないか。四十過ぎて、そんなこともわからないのか。だから、嫁の来手がないのだ」
そのように私へクレームを入れてきた祖母に対して、私は口で答える代わりに、両手で持っていた枝切ばさみをカシャン、カシャンと動かした。
一度、習慣づいてしまった剪定。しかし、家にはもう切るべき枝がない。
日曜日の朝。私が理容師の最終工程のように、生垣の微妙な凹凸を整えるためだけに、鋏を動かし、「ああ、枝が切りたい」と思っていたところ、ふと、となりの庭の手入れがされていない木々と、青白い顔をした女の姿が目に入った。
その女、おとなりの中川さんは、三十ぐらいで、老いた両親と三人暮らしであった。せっかく迎えたお婿さんを水難事故で無くしてから、一家はひっそりと生活しており、我が家と交流はほとんどなかった。
そんなことよりも、枝が切りたくてしょうがなかった私は、おもむろに隣家の玄関に行き、ベルを鳴らした。すると、中川さんが庭からやってきた。
「なんでしょうか」といぶしがる彼女に対して、私はどのような表情で言えばよいのかわからなった結果、無表情で、「突然、すみません。お宅の庭の枝を刈らせてもらえませんでしょうか?」と頼んだ。
すると、やや間があってから、中川さんがかぼそい声で、「ああ、すみません。お宅に枝が伸びていましたか。すぐに業者を頼んで切ってもらいます」と言った。
私は「いや、いや」と、手にしていた枝切ばさみをカシャン、カシャンと鳴らしながら、「ただ、枝を切りたいだけなのです。ダメですか」と言い、事情を説明した。
中川さんはとまどいながら、「はあ、まあ、そういうことでしたら、ご自由に」と口にした。
しばらくの沈黙が流れたあと、私は「それでは、朝晩、おじゃまします」と頭を下げた。それに合わせて、中川さんも「お願いします」と会釈した。
話を私から聞いた母は、「なに、ばかやってんの」と言ってきた。祖母は「まあ、いいんじゃないの。これ以上、うちのサンゴジュを切られたらかなわない」とやや擁護してくれた。
私はそれから、朝晩、中川さんの家の庭に出向いた。
庭は、お婿さんが生きている間は整えられていたように思う。いまは、どの枝も伸び放題だった。
バチ、バチと枝を切るたびに、仕事での嫌なことが霧消していった。
残念なことに、十日も通うと、もはや切る枝がなくなった。
もう秋と言っていい日の夕方、私は中川さんのもとへ出向き、剪定が終わったことを報告した。
すると、青白い顔のままの中川さんが、「これ、つまらないものですが」と重箱を渡してきた。
中身はおはぎで、手作りのため、なるべく早く食べてほしいとのことだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます