第3話「敗北」
吉沢の提案から一週間後の放課後だった。
英治たちは武井に呼ばれ、彼の家近くの公園に集まった。
「どうだ、やってやったぜ」
集合時間に少し遅れて公園に姿を見せた武井は、大型の、真新しいバイクを押してやってきた。
「盗ったのか」
吉沢が聞く。
「ああ、苦労したよ」
笑って答える武井。
「まじかよ」
遠巻きに車体を眺めながら、矢崎がため息をついた。
英治は無言のままバイクと武井を見つめていた。感動していた。
「さあ、俺はやったぜ。お前らは何をやるんだ? 楽しみにしてるよ」
武井の挑発的な口ぶりが、残る三人を焚きつけた。
そして次の週、吉沢が、例の動画を撮影するに至ったのだ。
「それにしても、吉があんなことやるなんてなあ」
武井と彼の教室前で別れたあと、矢崎と二人で廊下を歩きながら、英治はそう呟いた。吉沢のスマホ画面の映像が頭から離れない。廊下には彼ら二人以外誰の姿もなかった。窓の外の、桜のピンクの花とケヤキの薄緑の葉が、春の強い風に揺れている。
「悔しいなあ。先を越されたよ。俺も同じようなこと考えてたから」
自然な口調で呟いた矢崎を、英治はまじまじ見返した。
「ほんとに?」
慌てて聞き直す。
「うん。武みたく盗みじゃ、もうつまんないだろ。普通に女とやってる動画撮ったってしょうがないし、第一そういうのはもう飽き飽きしてるんだ。吉の、ああいう動画みたいの、一度やってみたいって思ってたから」
矢崎の女づきあいは仲間内でも有名だ。真偽のさだかでないものがかなりあるが。
「じゃ、どうすんの? 吉にやられちゃったじゃん」
そう言いながら、英治はほっとしていた。自分はまだこれといった案がない。残る矢崎にも、そうであってほしい。
「わかってるよ。お前には言われたくないけどね。まあ見てろ、絶対お前らの度肝抜いてやるから」
自身の「勝ち」を疑わない表情の矢崎に、英治は不安を覚えた。こいつはもう、別の、それもとびきりのアイデアを持っているのだ。矢崎は残すライバルである、英治の案を聞こうともしない。
「お前も、がんばれよな」
別れ際、矢崎が英治の肩口をぽーんと叩いた。そしてすぐ先にある教室の戸を勢いよく引き開け、教師が現れる前の、ざわついて高校生らしい活気に満ちたクラスの中へ飛び込むように消えていった。
一人になった英治には、突き当たりの自身の教室までの、長くないその廊下の距離が急にうとましいものに思えた。
次の月曜日だった。
校舎裏のいつもの集まりに遅れてきた矢崎の手には、珍しく新聞が握られていた。
「おせーよ」
吸っていた煙草を、武井が指ではじく。煙草はまだ赤くくすぶっている火の粉をぱらぱら散らしながら転がり、矢崎の目の前で止まった。
「そう言うなって。主役は、最後に登場するもんだろ」
土日明けの月曜ならではの気だるさに、朝の眠気も加わって、英治たち三人は矢崎を咎めるように睨んでいる。彼らの視線を受けながら、矢崎は急ぐ様子も見せず、ゆっくり近づきながらそう答えた。
そして三人のすぐ前までやってくると、手にした新聞を放った。土と煙草の吸いがらの上に、ばさっと音を立てて新聞が落ちる。
土ぼこりを気にしたのか、吉沢が体をかがめて革靴の先を見つめた。すっと手を伸ばして、新聞をつかむ。よいしょと立ち上がって、吉沢は言った。
「何なんだよ、これ」
新聞を矢崎にかざし、説明を促す。
すぐには答えずに、制服のポケットから煙草を取り出して火をつけ、大きく吸い込んでゆっくり煙を吐き出してから矢崎が答えた。
「ほら、そこ」
ちょうど吉沢が彼に向けている紙面を指差す。
「何なんだよ、わかんねーよ」
気の短い武井が、奪い取るようにして吉沢の手から新聞をもぎとった。土ぼこりが跳ねるのも気にせず、手で何度か紙面を叩いてシワを伸ばし、顔を近づける。その武井を両脇から挟むように、吉沢が、遅れて英治も、首を伸ばして新聞を覗き込んだ。
「あっ」
三人の誰ともなく、小さく叫んだ。そのあとは、皆ひと言も喋らずに記事に見入っていた。
やがて読み終えた三人は、互いにすがるように顔を見合わせた。
「わかった?」
彼らの反応に満足した顔つきで、矢崎がうなずきながら言う。
「これって……」
吉沢が肩を震わせて、今にも泣き出しそうな顔をして呟く。負けを認めたことを全身で示しているように見える。
それまでより大きくうなずく矢崎。
「うん、俺だよ」
満面の笑みを浮かべる。だが英治は、矢崎の目だけが笑っていないことに気づいた。
「ほんとに、ほんとにこれ、お前が?」
武井が言った。そう聞いておきながら、内心は本当であるとわかっているようだ。武井は矢崎と目を合わせない。怯えているのに違いない。英治はそう思った。
「うん。案外、簡単だったよ」
武井の持つ新聞に掲載された、ある殺人事件の欄を、矢崎は手の甲で叩きながら答えた。そして吸っていた煙草を足もとに落とし、靴のかかとでひねり潰した。矢崎のそのしぐさが、どういうわけか英治には、恐ろしく残酷なものに感じられた。
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