第2話「始まり」
二週間ほど前のことだった。
その朝学校の、彼らのお気に入りの場所である校舎裏で、英治たちは吉沢から「戦果」を披露された。吉沢のスマートフォンに収められた、ブレのきつい動画に、英治はじめ仲間たちは度肝を抜かれた。
「これ、まじでやったのか」
武井が身を乗り出して聞く。
「そうだよ」
垂らした前髪を搔き上げながら、吉沢が答えた。
「いつ、どこで?」
今度は矢崎が尋ねる。
「ゆうべ。駅の近くで」
いつもなら頼まれもしないのにべらべらとよく喋る吉沢が、聞かれたことだけに淡々と答えている。その様子が、「こと」をいかにも真実めいて見せる。
「暗くてよく見えないな、相手が」
英治は言った。武井も矢崎もそれをいちばん知りたかったらしい、二人とも大きくうなずく。
「知らないよ、OLか何かじゃないか、服もそれっぽいだろ。しっかし、ヤバかったなあ、まじでヤバかったよ」
吉沢はそうつぶやいて、薄く目を閉じ、うっとりした表情を浮かべた。その時を思い出しているに違いない。英治ら三人はますます、抗いがたい好奇に襲われた。
「ど、どうやったんだよ」
武井の鼻息は荒い。
間を置いてから、目を開けて、吉沢が答えた。
「駅前のロータリーで品定めしてさ、このお姉さんが改札から出てきて、こいつに決めたって思って、それであと尾けてね、
でもマンションでさ、入り口がオートロックだったんだけど、開いた瞬間に駆け込んで、もちろん振り返って見てきたけど、あ、どうも、助かりました、なんてカバンの中に手を突っ込んで鍵探してるふりしてごまかしてさ、それでお姉さんはエレベーター乗って、俺は乗らずに階段に走ったんだ、
だけど六階までしかない建物だったからさ、三から六階のどれかだろ大体、だから俺は一気に四階まで駆け上がって備えてたの、上にも下にもすぐ行けるように、
で、チン、ってエレベーターの止まる音がしてお姉さんのハイヒールが響いて、それが五階だってわかったからそっと上がって階段の陰に隠れててね、もうドキドキだった、お姉さんの部屋はそこからすぐ近くでさ、
お姉さんが鍵回して、ドア開けて、中に入ってね、ドア閉める瞬間だよ、ダッシュしてドア止めたんだ、そんでそのまま中に入って、ドア閉めて。お姉さんはよっぽど驚いたんだろうね、悲鳴もあげなかった、
そのあとは、コレで脅しながら、ね」
吉沢は笑いながら、制服の内ポケットから取り出したものをひらひらと慣れた手つきで揺らした。まだ続いている彼のスマホの動画の中でも時折、それと同じナイフが妖しく光っていた。
英治たち三人は目の前の誇らしげな顔の吉沢と、彼が薄暗がりの中、見知らぬ女性を無理に腹の下に抱き敷いて激しく揺すっている動画とを、固唾を吞みながら交互に眺めるほかなかった。
「くそ、やられたな」
始業を告げるチャイムが鳴り、教室がもっとも遠いために足早に校舎に向かった吉沢に遅れて、気だるそうな足取りで三人歩きながら、誰にともなく武井が言った。
「うん、お前の負けだわ。あいつのほうがスゲェ」
武井を馬鹿にしたような顔で、矢崎が返す。
「だってお前のは、どうってことない盗みだったもんな」
矢崎はそう、だめ押しまでした。
「うるせえな。じゃ、お前はどうなんだ。何もやってねえじゃんか」
日ごろかっとしやすい武井が怒鳴る。
「慌てるなって。これからだよ、これから」
矢崎はふざけた調子に見えるが、こいつはきっとやるぞ、と英治は思った。なぜかはわからないが、間違いないことのように感じられた。
「はいはい、せいぜいスゲェことやってみせろよ」
冷静になったらしい武井が言う。
「見てな、このままヨシの勝ちにはしねえから」
自信ありげに笑ってから、矢崎は、
「どうなんだ、英治、お前は。ちゃんと考えてんだよな?」
急かすように、英治の肩を荒々しく叩く。
英治は何も答えずにただ、薄く笑った。
きっかけはささいなことだった。
このさらに二週間ばかり前、高校の始業式の日の午後。昨年同じクラスになって、気づけばいつでも一緒にいるようになった英治たち四人だったが、三年のクラスはそれぞればらばらだった。
「うちのクラスはだめだ、まじでブスばっかだよ」
校舎裏に来るなり、心底失望した顔をして、武井が声を張り上げた。七分咲きの桜の木立を見上げていた英治はその声の大きさに驚く。
「こっちだって同じようなもんだよ、勘弁してほしいね」
肩をすくめながら矢崎が言い、皆が笑った。
吉沢もそれに続いて、いかに自身のクラスが仲間たちのそれに比べて救いがたいものかを、クラスの女子の名と容姿の特徴を挙げながら説明した。
英治は自分の新しいクラスの連中について不満を漏らさなかった。だが褒めもしない。何も言わないことで仲間たちへの同意を示す。英治はいつもこの態度だ。
「しっかし、全員ばらばらとはなぁ、せっかく最後の年だってのに」
ふと、武井が呟く。
すると触発されたように矢崎が言った。
「ほんとだよ、大学まで四人そろって同じ学校に、ってわけにはいかないだろうしな。悔しいなぁ」
彼には珍しい、ほとんど初めての感傷だった。少なくとも英治はそう思った。吉沢も黙ってうなずいている。
英治には四人が同じ感情を共有しているように思えた。
「じゃあさ」
頭上の桜を見上げていた吉沢が、視線を英治らに戻してから言う。だが続きを話さない。三人の注意が自分に向けられるのを待っているらしい。長いこと三人を交互に見つめてから、一人でうなずいて、言った。
「何かスゲェことやろうよ、それぞれがさ、俺たち以外の誰にも言えないような何かを、やり遂げてくるんだよ」
それが、すべての始まりだった。
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