第4話「嫉妬」
矢崎が語り始めた。
「押し入るとかじゃなくて、自分の家みたいに普通に入ってったんだ。そしたらダイニングキッチンっていうのかな、台所前のちっこいテーブルでじいさんとばあさんが晩飯食べてたんだけど、俺があんまり自然に入ってったからだろうなぁ、驚きはしてたけどさ、騒いだりしなかったよ。ただ
そこまで言って一度止め、二本目の煙草を取り出して火を点ける。ひと口吸い込んでから、彼は器用に煙の輪を吐いた。
「それで、俺はテーブルのじいさんたちを素通りしてさ、台所に行ったの、包丁ないかなと思って。手ぶらで行ったからね。凶器は現場にあるものを使ったほうがいいって、何かに書いてあったんだよ、ロシアのシリアルキラーの手記だったかな、
で、あったよ、台所の流し台に。それ掴んでね、くるっと振り返ったら、二人ともまだ固まってんの。じいさんのほうなんて、茶碗とはしを持ったままでさ、
そんで、俺の包丁を見てだろうな、ばあさんがでっかく口開けたんだよ、こう、思いっきり息を吸い込むみたいにさ。俺は、あ、こいつ今から叫ぶぞ、って思ったんだ。そしたらさ、やっぱ俺も焦ってたのかね、足が勝手に動いて、すっと一歩前に出たんだよ、包丁構えたままで」
英治はつばを呑み込んだ。矢崎の目は英治たちの誰のことも見ていない。遠くを見つめているようだ。じいさんとばあさんを思い出してるんだ、と英治は思った。風に揺れて舞う桜の花びらが矢崎の顔のすぐ前を落ちた。矢崎の視線は花びらをまったく捉えていない。
「そうしたらさ、包丁の先が、なんていうのかな、ほんとにね、吸い込まれるみたいにばあさんの腹にすーっと入ったんだ、あとは流れるように進んだよ、俺は片手でばあさんの口を押さえてね、包丁を抜いて、今度はのどをこう、左から、さっと横に引いたの。噴き出すと思うだろ、血が。映画なんかみたいに。でもそうじゃないのな、案外少ないんだ、全然出ないんだあれ。どうしてだろう、ちょっとわかんないけどさ」
英治はもう何度つばを呑み込んだかわからない。吉沢も武井も、矢崎から目を逸らせないらしい。じっと見つめたままだ。
「で、今度はじいさんなんだけど、じいさん、まだ茶碗とはし持ったままなわけ。俺、笑っちゃったよ。反応しないのかよ、鈍すぎだろって、
そんでさ、頭の位置が、あ、じいさんのね、頭が、ちょうどいいとこにあったからさ、振り下ろしたんだよ、包丁、
でもだめだったな、ぜんっぜん切れねえの。切ったっていうか、叩いた感じかね。じいさん、何言うかと思ったら、痛っ、って言ったんだよ。痛っ、て。噴き出しちゃったな俺、知らない奴にいきなり家に入ってこられて、目の前で奥さん殺されて、次は自分がやられるっていうのに、痛っ、だもん。のんびりしすぎだろじいさん、って笑っちゃったんだよ、でかい声で、
そしたらびっくりしたのか、じいさん茶碗落としちゃってさ、その手で自分の頭をさするわけ。つるつるの頭を、なでなでって。その姿がね、情けなくてさ、
いや違うな、こっけいっていうのかね。とにかく、愛すべきって感じなんだよ、ほんとにそう思ったな、だっていつの間にか俺、このじいさんのことちょっと好きになってたもん、
そんですぐ、ああかわいそうだ、って思ったんだ。ばあさんは死んじゃったし、茶碗も落として、ごはんは床にこぼれちゃって。かわいそうだなぁって思ったの。だから、早く殺してやろう、そう思ったんだ、
何ていうんだろうな、あれは、うーん、救いだな。救済だよ。すぐさ、じいさんの首、かっ切ってやったんだけどね、ばあさんと同じように包丁を首に当てて横に引いた瞬間、なんかさ、時間が止まって、周りのもの全部消えちゃって、空間に、じいさんと、俺だけになっちゃったんだよ、
ああいうのを、通じ合ったっていうのかな。わかんないけど、そんな気がしたな。なんか
喋り続ける矢崎の目の焦点が合っていないことに英治は気づいた。その瞬間、英治はぞっとした。
矢崎の股間が、痛々しいほどに膨れているのを思いがけず見てしまった英治は、気づけば自分まで、体の芯が熱に冒されているのをさとった。その自覚と同時に、たった今、矢崎に抱いたはずの怯えと嫌悪を、英治は忘れた。代わりに彼が覚えた感情は、矢崎に対する、尊敬と、嫉妬だった。
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