Stargazer Part 1

 Episode 02 : Stargazer Part 1

 

 ◆ ◆ ◆

 

 "戴天惑星"地球上に散在する都市国家。それは大きく2つの種類に分類される。

 1つは、『女神庇護下都市』。その名から用意に想像できる通り、『現女神』の勢力下に入ることで、国家の体裁を整えている都市国家である。よく知られている例としては、"慈母の女神"アルティミアが治める"希望学園都市"ユーテリアや、"清水の女神"イリユーナが治める"水園都市"アクアリスなどがある。これらの都市は『現女神』の特性がよく反映され、個性豊かであることが常だ。

 もう一つは、『エグリゴリ庇護下都市』。"エグリゴリ"とは、『現女神』たちとは中立の立場を堅持し、全異層世界に渡る人類の損益的観点から地球および『天国』の統制を目指す、超異層世界間組織『地球圏治安監視集団』の公式的な呼称だ。このエグリゴリに加盟し、彼らの庇護を得て国家の体裁を整えている都市国家のことを指す。都市国家としての独自性を持つかどうかは、個々の行政や住民たち次第である。大抵の場合は、独自性にまで気を回すような余裕はなく、没個性的で無機質な都市が出来上がることが多い。

 

 星撒部の別働班が訪れていたのは、後者のタイプの都市国家。"音楽の都"として全異層世界中に名を馳せる地、アオイデュア。

 別働班に与えられた任務は、先に渚が話していた通り、この地で行われるコンサートの運営手伝いだ。依頼主は、地球に籍を置く弱小芸能事務所。所属する若手女性アイドルグループの初コンサートを、名高いアオイデュアで成したいとのこと。しかし、希望する規模のコンサートを開くには、資金も人材も足りない。そこで、(実に虫の良い話だが)優秀なボランティア人員を探し求め、星撒部に行き着いたワケだ。

 「ウェブを通じて地道に知名度を上げて来たんです! 応援してくれているファンのためにも! そして彼女たち自身のためにも! どうしても、夢のある大きなコンサートを開きたいんです!」

 事務所社長自らがアイドルグループのメンバー達を率い、副部長の立花渚に向かって深々と頭を下げる。それを見て渚は、花がほころぶような有様で満面の笑顔を咲かせると、形の良い双丘をたたえる胸をドンと叩く。

 「任せい! おぬしらにも、ファンたちにも! これからおぬしらのことを知る者達にも! 笑顔の星を届けてやるわい!」

 そこで渚は任務遂行のために、イェルグら3名の部員を選出した。

 対して、依頼主が希望するイベントの規模は、来客数が数万人レベルの大きなもの。これにたったの3名の援軍では心もとなく思えるかも知れない。

 しかし、彼らは異層世界を股にかける英雄として将来を嘱望されている優秀な若者たち。彼らの強力な能力を駆使すれば、一騎当千の働きを実現することが出来る。

 実際、イェルグらは依頼主が舌を巻く活躍をしてみせていた。コンサートは大きな混乱もなく、スタッフが無茶なタスクでてんてこ舞いになることもなく、穏やかに、そしてスムーズに進んでいった。また、星撒部が主導していた事前の宣伝も効果を発揮し、予想を上回るの来客数も確保できた。依頼主のみならず、来訪者たちの顔にも楽しげな笑顔が灯り、この任務は成功裡の内に終わりを迎える…はずだった。

 

 誰もが、このアオイデュアに『現女神』の魔手が伸びようとは、考えてもいなかった。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 渚の作り出した扉の向こう側に広がるのは、純白一色の空間と、一直線に伸びる虹色の道だ。転移空間の一種だろうが、ノーラが見知った通常のものとはかなり違う。転移空間は普通、オーロラが満ちる星空のような光景をしているものだ。これはおそらく、渚が独自に作り上げた転移空間なのだろう。

 「もうすぐ到着するぜ! ビビんねーように、心の準備しといてくれよ!」

 ノーラを手を引いて先を走るロイが、ちょっと意地悪げに笑みを送ってよこす。そう言っている側から、道の先に周囲の純白に全く溶け込まない、暗い色彩の窓口が見える。転移空間の出口だ。

 「それじゃ、飛びこむぜッ!」

 ロイが力強く地を蹴り、引っ張るノーラごと宙を跳んで出口に入った――その直後。

 「のわあぁっ!? ――ぶべっ!」

 驚きの叫び、次いでカエルが潰された時のような情けない悲鳴を、ロイが上げる。出口の向こう側、数歩先にあったのは、武骨な金属の壁だったのだ。疾走の勢いのまま飛び出したロイは、大の字を姿で壁にビタンッと激突したのである。

 しかし、彼の災難はこれで終わりではない。

 「ロイ君ッ! ごめんなさいッ!」

 申し訳なさそうな悲鳴と共に、ロイに引っ張られたノーラが彼の背後へと飛び出し、激突。ロイは他人ひとの事を心配するよりも、自分の状況を鑑みるべきだったようだ。

 「ぐえっ! …痛っつつ…」

 「ごめんなさい…っ! 手を引っ張られてたから、どうしても回避できなくて…」

 「いや…ノーラが悪いワケじゃねーよ。オレの不注意が原因だからさ…。

 そんなことより…ここは…?」

 ロイとノーラは激突した箇所を摩りながら、周囲を見回し――即座に、息を飲む。

 

 そこは、武骨な金属の壁で囲まれた閉鎖空間である。容積自体は大型トラックのコンテナ並みの広さを持つが、余裕は一切感じられず、むしろ窮屈な印象を受ける。

 その理由は、空間を埋め尽くす数々の器具や箱と、人々の姿だ。器具や箱は治療のための道具や薬の類ばかり。簡易寝台も2つ設置されており、その両方に人が安静に寝かされている。この2人の人物は包帯まみれで、数種類の点滴を受けている。包帯の隙間からわずかに覗く皮膚には、赤を通り越して黒っぽく腫れあがった重度の火傷が見て取れる。浅くて早い胸の上下が危篤状態を物語っており、彼らを取り巻いて数人の人物たちが予断なく様子を伺っている。

 彼らの他にも、この空間の中には人々がぎっしりと詰まっている。みな、身体中煤だらけで、何処かしこには応急処置を受けた跡が見える。身に着けている服や髪の毛がチリチリに焦げている所をみると、彼らも寝台で寝かされている者達同様、火傷に苛まれていることが分かる。

 人々はみな、座りこみ、無言を貫いている。唯一例外なのは、寝台の重症者を世話している者達だけだが、彼らとて最低限度の情報を口早にやりとりするだけに過ぎない。その他の者達は、老若男女の誰もが恨み言も、慰め合いも、一切口にしない。恐怖に戦慄わななく瞳で虚空を見つめているだけだ。彼ら同士の気遣いとして見て取れるのは、家族関係にあるらしい者たちが身を寄せ合っている光景くらいのものだ。

 ここに居る誰もがみな、焦熱地獄によって心身ともに疲弊しきっている――ノーラたちは、この空間に満ちる雰囲気から、その無残な事情を悟った。

 

 ギリリッ…剣呑な歯噛みの音が、ロイの口元から漏れる。星撒部の理念"笑顔の星を灯すこと"に大いに入れ込んでいる彼にとって、この状況はとても許しがたいものに違いない。

 「あの…星撒部の方々…ですよね?」

 そんな彼の様子に気圧された声が、おずおずと掛かってくる。声の主は、応急処置を行っている中年男性だ。鈍い銀色に輝く耐火服を着込んでいる姿から見るに、この都市国家の防災局の機動部隊のようだ。

 「ああ、その通りだぜ。

 ここは、一体どこなんだ? 避難所の中か?」

 ロイの疑問に対し、防災局員は首を横に振る。

 「装甲トレーラーの荷台部ですよ。車体は、部員の方に提供して…というか、"製作"していただいたものです。今、この都市国家まちには、十数台が走り回って、消火と救護活動に当たってますよ」

 「そっか、大和やまとのヤツか。あいつ、ちゃんと仕事してンだな」

 大和という名をノーラは初めて耳にする。イェルグと同じく、このアオイデュアを来訪していた部員の一人のようだ。

 「それで、」防災局員は天井の一画を指差しながら語る、「お二人がここに来たら、上に来るようにと、イェルグから言付けを受けてました」

 彼が指差した先にあるのは、円形のハッチだ。下方には壁伝いに梯子が下りている。

 「オッケー。

 それじゃノーラ、行ってみようぜ」

 言うが早いか、ロイはひょいひょいと人だかりを軽やかに抜けて、梯子へと向かう。ノーラは彼ほど器用に動けず、「すみません…」と断りを繰り返しながら慎重に人々の合間を縫い、ようやく目的地に辿り着く。

 ノーラが梯子を上り始めると、急に上から大粒の水滴がシャワーのように降り注いでくる。部室に居たころ、ナビット経由で見た街並みは、業火で染まっていたはず。一体どうなっているのかと見上げるが、ロイの身体が邪魔してハッチの外の様子がよく見えない。取り敢えずは、梯子を上る作業に専念した方が良さそうだ。

 ようやくハッチを上り切り、身を閉鎖空間から引きずり出すと…痛いほどの勢いで降り注ぐ豪雨が、全身を襲う。ここでようやく外界の様子を見回すことが出来たノーラは、思わず唖然とする。ナビットで見た光景とは、あまりに違い過ぎる。

 頭上が、分厚い漆黒の雲で覆われている。"上空"ではなく"頭上"と表現したが、これは正しい表現だ。黒雲はノーラの頭上2メートルほどに底面を広げているのだから。この底面から大きな雨粒が高密度で降り注ぎ、ノーラの身体や、トレーラーの重厚な外部装甲を強かに打つのだ。激突した水滴が弾ける瞬間、青白い輝きがポゥッとホタルの光のように灯る。それは、魔術の励起光だ。

 「スゲー派手にやってンなぁ、イェルグ!」

 豪雨の騒音に負けじと、ロイが大声を張り上げる。すると、装甲の上にふらりと直立している男が、ロイに負けない声量で返事をしつつ、歩み寄ってくる。

 「相手も派手な威力だからねぇ! これぐらいでも全然、足りないぐらいだよ!」

 声の主が近寄るにつれて、黒雲の影に隠れていた細部が明らかになってくる。ずぶ濡れになった民族衣装と長い黒髪を身体に張り付け、穏やかな笑みを浮かべている男。ナビットで見た、イェルグと呼ばれている人物そのものだ。映像では煤だらけだった顔は、激しい雨滴によって綺麗に洗い流されている。ただし、点在する火傷はいかんともしがたく、痛々しい存在をまざまざと見せつけている。

 「よく来てくれたよ、ロイ!

 それに、初めまして! えーと…ノーラさん、だったかな!? オレは星撒部2年生の、イェルグ・ディープアー! "空の男"って呼んでくれると嬉しいね!

 もう少し自己紹介したいところだけど…さっき通信で見せた通り、余裕がなくてね! さっそくだけど、仕事を頼みたい…」

 語る傍から、黒雲に異変が生じる。突如、朝焼けよりなお鮮やかな赤の輝きが雲中に発生した…その直後。雲の底面が爆発的に膨張し、乾いた熱風と共に霧散する。そうしてポッカリと生じた穴の中からは、真紅に燃え盛る炎の体を持つ、トラに似た顔面と体格を持つ怪物だ。おそらく、都市国家まち中にバラまかれた魔法の炎から生じた暫定精霊スペクターだ。爆燃する炎の暴虐性が、そのまま形を成した姿である。

 突然の襲撃に、ロイとノーラの顔に電撃的な緊張が走る。特にロイは星撒部で何度も実戦を潜り抜けた身だ、早くも応戦すべく身構える。

 しかし、誰より早く応戦に動いたのは、イェルグだ。

 「ったく、しつこ過ぎだよ。おちおち話しもできやしない」

 苦言を呈しながら、幾重にもズブ濡れの布地が巻かれた右腕を持ち上げ、炎獣に人差し指をビシッと突きつける。直後、ゴボゴボと音を立てながら、指先に渦巻く巨大な水塊が発生。顔面より二回り大きい球を形作ると、転瞬、炎獣の威嚇する顔面へと砲撃の速度で射出する。

 水塊は炎獣の顔面に直撃した途端、大きな飛沫と共に青白い魔術励起光をバラ撒く。すると獣を形成する炎はもうもうたる黒煙を上げながら、急速に勢いを削がれてゆく。怒り狂うトラの顔は、空腹で衰弱したノラネコのような情けない表情を作ると、燃え尽き行く蝋燭の炎のような有様で消滅する。

 炎獣が消えた後、黒雲は焦熱で作り出された穴をただちに埋めると、何事もなかったように豪雨を降らせ続ける。

 この光景を見たノーラは、思わず息を飲む。

 (あの炎の暫定精霊…『現女神』の強力な魔力で作り出されてるから、ものすごく安定した協力な構造をしていた…! 水だって燃やしてしまう程の、強烈な火魔素ファイア・ファクターで満ちていたのに…!

 たったの一撃で、跡形もなく消してしまうなんて…!! この人、ものすごい実力者だ…!)

 ノーラの驚きを意に解せず、イェルグは彼女らに向き直ると、穏やかながらも苦々しさがこもる笑みを浮かべる。

 「まぁ、今見たので大体予想がつくと思うけどさ。この雲の外側じゃあ、都市火災はまだまだ健在さ。

 オレたちが一生懸命消火して回ってるってのに――まぁ、雨を使って消火してるのは、オレくらいのモンだけど――すぐに、雨や消火剤の魔力成分が昇華しちまって、油みたいに燃え上がちまうんだ。ホント、やってもやってもキリがなくてさ。対応を初めてまだ30分も経っちゃいないが、いい加減うんざりしちまってる人も多い」

 "オレたち"という言葉に、ノーラがちょっと眉根を寄せて反応する。

 「あの…下のスペースには、この都市の消防局員の方々が居たようですけど…。今回の件は、星撒部だけでなく、消防局の方々とも連携してるってことですか?」

 「そりゃあ、勿論だとも」

 イェルグが笑みを張り付けたまま、首を縦に振る。

 「いくらオレたちがユーテリア最強の生徒たちだからって、手足も頭も無限にあるワケじゃない。人手が足りない時、必要なスキルがない時には、適切な助っ人に声をかけて協力してもらう。そういう柔軟な発想がなけりゃ、オレたち星撒部の依頼達成率・満足度ともに100パーセントって業績は作り出せないさ」

 (…達成率はともかく、満足度も100パーセントなんだ、この部活…)

 ノーラは自身の質問の答えより、イェルグが口にした自慢の方に大いに関心を寄せる。そして、口の端にこっそりと苦笑を浮かべる。"暴走部"と呼ばれているこの部活が、依頼主の機嫌を損ねたことがないというのが、どうにも信じ難かった。加えて、自ら"ユーテリア最強の生徒"と豪語する態度もまた、滑稽な印象を受ける。

 「あれ? オレ、なんか面白いコト言ったかな?」

 ノーラの小さな表情の変化を目敏く認識したらしい、イェルグが不思議そうな顔をして問うてくる。ノーラはギクリとしながらも、ぎこちない愛想笑いを浮かべて、話題をなんとか流そうとする。この試みは功を奏したようで、イェルグはそれ以上追及してこなかった。

 代わりに彼は、相変わらずの土砂降りの中、雨宿りを提案することもなく本題に入る。

 「ともかく、来てもらってすぐで悪いんだが、早速作業を頼まれて欲しい。

 まずは、ロイなんだけどさ」

 イェルグは右手の親指を立てると、黒雲立ち込める頭上に向けてクイクイと拳を上下させる。

 「ちょっくら空を飛んで、"獄炎"のオバさんの天使ども相手に大暴れしてくれ。ヤツの目がお前に向くように、出来るだけに派手にね。

 勿論、ブッ倒して天使のヤツらの数を減らしてくれても構わんよ。

 要は、地上に降りてくる炎の数を減らせりゃいいのさ。今の状態じゃ、イタチごっこどころの話じゃないからな。

 もっと欲を言えば、天使どもの相手がてら、地上の消火につながるような行動を繰り出してくれると助かるよ」

 「地上の消火の足しできるかどうかは、天使どもの出方次第によるけどさ…まぁ、努力してみるさ」

 ロイは都市をまるごと火災に苛むような天使を相手にするという話にも拘わらず、臆するどころか、気力に満ちた痛快な表情を浮かべる。それを見たノーラが、慌てて諌めの言葉を口にする。

 「あの…二人とも、待ってください…!

 相手は、天使ですよ…!? 私たち人類どころか、いかなる生物とも、いかなる物質とも全く異なる、独立した強力な定義体系で出来てる存在ですよ…!?

 それを相手に、専用の魔術兵装も無しで挑むなんて…! 無謀じゃないですか…!」

 ノーラの懸念は、一理ある。天使とは、つまり、『現女神』が作り出す化け物である。その存在は魔法科学を含む自然法則体系に則らず、『現女神』が敷いた独自の法則『神法ロウ』にのみ従う。故に、『現女神』が認めない事象は、天使には通用しない。動き回るのに栄養も不要で、いかなる武器でも傷つかず、作用・反作用や慣性に縛られることなく空間を自在に動き回る。そんな天使に対抗するには、天使自体を定義している『神法』を上回る強烈な定義の上書き――つまり、我を通す――ことが必要だ。しかし『神』の名を冠する存在の持つ強烈な性質を上回るような精神力を練り上げるなど、いくらユーテリアの英雄候補生と言えども至難であろう。

 ところがロイもイェルグも、ノーラの懸念を受けてなお、軽々しささえ感じる笑みを浮かべる。

 「まぁ、確かに他のヤツがやるなら、無謀だろうけどな。オレたちは、希望と笑顔のためには不可能を可能に変える、星撒部だぜ?」

 ロイが勇ましく言葉を口にする。だが、言葉だけでは納得いかないノーラは更に引き止める言葉を口の中で紡ごうとするが…ふいにイェルグに肩にポンと手を乗せられ、言葉を飲み込む。しかしながら、豪雨に濡れる顔に思いっきり心配そうな表情を張り付け、イェルグの顔に真正面から非難を含んだ視線を浴びせる。

 「いやいや、そんなに心配しなさんなって」

 イェルグはウィンクして見せる。

 「ロイは1年生だが、戦闘技術については3年生も顔負けの実力者さ。

 それに、オレたちが天使どもを相手にするのは、これが初めてじゃない。結構手馴れてるんだぜ、オレたち?」

 この言葉に、ノーラの顔が信号機のように一転、今度は驚愕の表情に変わる。――天使を相手にするのが、手馴れている!? 確かに、"暴走部"こと星撒部は『現女神』と事を構えたことがあると噂では聞いていたが…冗談ではなく、真実だというのか!?

 言葉を失うノーラを他所に、ロイがイェルグに一言、確認を問う。

 「ところで、オレが空飛んじまっていいのか? いつもなら、オレが空を飛ぶって言って譲らないアンタなのにさ」

 「勿論、飛びたいさ。こんな地獄の空だろうが、空にゃ変わらんしね」

 イェルグは腕組みすると、悩ましげに顔を曇らせて答える。

 「とは言え、オレだってさすがに、時と場合は考慮するさ。

 現状、オレまで天使を引き付けに空に飛んだら、地上の消火作業に大きな穴が開いちまうからな。…まぁ、その穴さえ閉じれるなら、すぐにでも空に飛ぶってことだけどな。

 それが可能かどうかは、ノーラちゃんに係ってるんだけどね」

 チラリと視線を走らせてくる、イェルグ。ノーラの表情は今度は、キョトンとしたものに変わる。――確かに、役に立つためにここまで来たのではあるが…彼ら実力者を相手に、一体どんな協力を求められるというのか。

 その疑問を口にするよりも早く。

 「それじゃっ、さっさと天使どもを蹴散らしてくるぜ!」

 ロイが豪雨を降らせる黒雲を見上げながら、声高に宣言した、次の瞬間。

 それまでのノーラの思考をすべて吹き飛ばす強烈な変化が、ロイの身体に発生する。

 

 まずロイは、ズブ濡れになった制服の上着を剥ぎ取り、靴下ごと靴を脱ぐと、ノーラの方へと放る。

 「悪ぃ、ノーラ。それ、持っててくれ」

 ノーラは慌てて上着を受け止める。水をたっぷりと吸った衣類が、ズッシリとした重量感を腕に伝える。

 今やロイの上半身は、無駄なく筋肉の引き締まった裸体を豪雨に晒している。滝のように流れる雨滴が、英雄像の彫刻のように隆起した筋肉の合間を伝って流れてゆく。

 次いでロイは、歯茎をむき出しにしてギリギリと歯噛みしつつ、身体をバネのように縮め、全身に力を込める。力のこもった筋肉が山のようにモリモリと隆起しながら、その表面から蒸気のように揺らめく赤の輝きが発生する。それは魔力励起光の一種で、『闘気煙光』と呼ばれるものだ。この現象は、ロイが『闘気』と呼ばれる魔力の一種を体内で練り上げていることを意味している。

 …ところで、『闘気』とは何か。厳密には魔力と同一のものである。思考を初めとする精神活動ではなく、呼吸や演武動作といった肉体活動で発生させる魔力を、伝統的に『闘気』と呼んでいる。闘気は直感性に大きく依存するため、理論性に依存する魔術とは何かと対比されたり、別分野として論じられることが多い。

 さて。ロイの闘気が爆発的に膨らみ、赤い輝きは煙というより火炎のような体を見せるようになったころ。彼の身体の変化が、本番を迎える。

 まず、真紅の髪の内から、鋭い槍先のような銀色に輝く角が2本、ズルリと伸びる。むき出しにした歯茎の形が変わり、犬歯よりも鋭い、肉食獣の牙へと変じる。手足に闘気の赤煌が球のように渦巻き集中すると、その内側で手足の色と形状が変化。頭上の雨雲よりも濃い漆黒へと変じ、恐竜に似た鱗持つゴツゴツした手足へと変じる。その指先には、鎌のように鋭く伸び尖った爪が生えている。

 そして何より目につく変化は、背中だ。肩甲骨の辺りから闘気が細かく枝分かれした樹木のように伸びると、その内側に漆黒の繊維がスルスルと生えてくる。やがて、繊維は絡み合って広い体積を成すと、肉厚の龍の翼となった。その翼長は、伸ばした腕の長さよりも拳数個分も大きい。

 変身したロイの姿を見たノーラは、はっと息を飲む。変身前、目立っていた尻尾から、彼のことを爬虫類系の獣人だと考えていたのだが…違う!

 (『賢竜ワイズ・ドラゴン』!!)

 ノーラは胸中で叫ぶ。そう、ロイは"戴天惑星"地球にのみ存在する、高い知性と社会性そして強大な魔力を持つ希少なドラゴンの一種、賢竜なのである。彼らに関する数少ない目撃例からは、彼らの姿は非常に多様である――いかにもドラゴンといった形から、人類と同様の姿まで――と確認されている。どのような姿をしてあれ、超異層世界人権委員会アドラステアからは、公式に人類として認定されている種族である。

 …ちなみに、獣と同様の知性と行動を持つタイプのドラゴンは獣竜サヴェッジ・ドラゴンと呼ばれ、人類としては扱われないなど、明確に区別されている。

 

 変身を終えたロイは、愕然と視線を送るノーラに気づくと、牙を見せながらニカッと笑んで見せる。口元や角で多少威圧感は増しているものの、浮かべたヒマワリのような笑顔は元のロイそのものだ。

 「どうだ、スゲーだろ? オレは気に入ってるんだぜ、この姿! カッコいいし、何より強そうだろ? 賢竜に生んでくれたかーちゃんには感謝感謝ってモンさ!」

 「…うん…すごいね…」

 ノーラがやっとこ、それだけの言葉を絞り出した…その時。

 再び、豪雨降らす黒雲に暴力的な真紅の輝きが灯り、異変が生じる。積乱雲を蒸発させながら雲層を掻き分けて現れたのは、今度は巨大なクチバシを持つハゲワシにも似た火炎鳥だ。先の虎とは大分姿は違うが、火炎の暫定精霊には違いない。

 驚愕をはっと払い除け、背中の大剣に手を伸ばすノーラ…その手を、イェルグが静かに止める。何をするのか、と非難と焦燥の混じった眼差しでノーラは彼を見つめるが、イェルグは穏やかな笑みを浮かべたままだ。

 「キミ、ロイのあの姿を見るのって、初めてなんだろ? それなら、話のタネに見ておいたら? アイツの実力を、さ」

 言ってる傍から、火炎鳥は巨大なクチバシを開くと、その隙間から黒雲ごと大気を吸い込む。豪雨も何のその、火炎鳥にとっては油にも等しいようだ。大気を飲み下すにつれて、長い首…というか咽喉が太さを増し、やがて丸太ほどの大きさにまで達する。飲み込んだ大気を体内で爆燃させ、火炎の吐息を作り出しているらしい。

 対してロイは、危機感の欠片もなく、暴力的にして愉快そうな笑みを満面に浮かべている。

 「ドラゴンに対して、息吹ブレス勝負を挑もうってのか!? いいぜ、相手になってやるよ!」

 啖呵を切った直後、ロイもまた牙だらけの口腔に大気を吸い込む。ただし、火炎鳥のように長い吸気ではない。ヒュッ、と鋭い疾風のような吸気をほんの一瞬、行っただけだ。別に胸腔が膨らんでいる様子もない。その程度の予備動作で、巨大な暫定精霊の攻撃に対抗できるのか?

 それが杞憂であることを、ノーラはほんの数瞬の後に知る。

 ゴウッ! 火炎鳥がクチバシを全開にすると、真紅を通り越し目を潰さんばかりにオレンジ色に輝く灼熱の息吹が吐き出される。その様は、まるで天から滑り落ちてくる、煌めきの雪崩のようだ。豪雨の雨滴をジュッと蒸発させながら、爆発的に膨張した業火が装甲車の上部装甲に迫る。

 対してロイは、両足を肩幅ほどに開き、腰を落としてしっかりと大地を踏みしめると。迫りくる炎の雪崩に対面し、牙だらけの口腔を大きく開き――叫ぶ。

 ガアアァァッ!

 大気がビリビリと震動する。その衝撃は大気だけにとどまらず、頭上の積乱雲の塊を崩れた綿菓子のように歪ませ、踏みしめる重厚なる装甲車の表面に電撃のような波動を走らせる。同時に、ロイの開いた口の数センチ手前に、正六角形の青い魔術式文様が出現。これを通り抜けた強烈な咆哮は、青みを帯びた白の奔流と化す。この奔流の正体は、非常にキメの細かい、極寒の氷雪の塊だ。その表面に煌めく氷雪の反射には、青白い魔力励起光の輝きがチラリと見て取れる。

 闘気によって咆哮を魔化した物質、または化学反応の奔流として吐き出すドラゴン特有の闘法、『竜息吹ドラゴン・ブレス』である。

 氷雪の息吹は火炎鳥の吐き出した業火を丸ごと包み込むと、勢いを全く殺がれることなく、火炎鳥の開いたクチバシへ…いや、その燃え盛る全身へと一気に襲い掛かる。火炎鳥の業火を雪崩とするならば、ロイの息吹は山一つを飲み込むような大津波だ。

 強烈な白の奔流が通り過ぎると、そこには完全に氷結し、活動を停止した火炎鳥の姿がある。その身を形作っている火炎は化学反応に過ぎないというのに、物質同様氷結しているのは、息吹の魔力によるものだろう。火炎鳥のそのまま浮力を失い、氷と化した巨体を重力に導かせ、そのまま装甲車の屋根に激突。ガシャァンッ、と派手な破砕音を響かせ、大小さまざまの氷塊と飛沫と化し、その存在は完全に死を迎えた。

 (…すごい…これが、賢竜の力なの…? それとも、ロイ君個人の実力…?)

 唖然とするノーラを他所に、ロイは火炎鳥が占めていた黒雲の一画を見つめる。火炎鳥が消滅したことで、そこにはポッカリと大穴が開いている。穴の周りは積乱雲にも関わらず、やはりドラゴンの魔力によるものだろう、ガッチリと凍結して氷壁を成している。

 大穴の向こうに見えるのは、先にナビット経由で見た、恒星表面のごとく紅炎を大蛇のように蠢かす、火炎塊と化した『天国』。そして、群れて飛び回る白い異形の鳥…"獄炎"の凶悪な天使ども。

 それらの姿を金色の瞳に移したロイは、暴虐性に満ちた凄絶な笑みを浮かべる。

 「せっかく、突破口が開いたんだ。オレは行かせてもらうぜ!」

 語りつつ、ロイは背の竜翼を一打ちすると、ブワリと身体を宙に浮かせる。そのまま、視線を向ける穴の向こう側へと飛び去る…かと思いきや、彼はふと、顔を巡らせてノーラを見やる。

 「なぁ、ノーラ!」

 牙だらけの口腔から、雷鳴のような声を轟かせる、ロイ。しかしその響きは、決して威圧的でも破壊的でもない。多少強力で耳うるさくとも、部室でノーラに手を伸ばしてきた時と同じ、逞しくも気優しい響きに満ちている。

 「え…あ、うん…」

 きょとんと聞き返すノーラに、ロイは先とは打って変わった、ちょっと申し訳そうながらも大輪の花のごとき笑みを浮かべる。

 「連れて来ておいて悪ぃけど、ここで一端、別行動になっちまうな。

 でも、気後れなんてするなよ! 離れたところにいようが、オレもノーラも、同じ目的のために力を尽くしていることには変わらねぇ! 同じ志さえあれば、どんなに距離があっても、心は繋がってられるんだってさ!

 …って、副部長の受け売りの言葉なんだけどな! オレのお気に入りの言葉だから、ノーラにも聞かせておきたかったんだ!

 そんじゃ、ちゃっちゃと片付けてくる! また会おうぜ、すぐにでもな!」

 そして右の人差し指と中指を額に当てて、おどけた別れの挨拶を見せると。今度は烈風のごとき強烈さで竜翼を捩じらせるように羽ばたかせると、ロイの身体は砲弾のように急加速し、急上昇。氷結した穴の中を黒い矢となって潜り抜けると、禍々しい赤一色に染まる天空の中の一点となった。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 ロイは慌ただしく去って行ったが、だからといって残されたノーラ達がのほほんと出来るわけではない。

 「さて、ロイは行ってくれたことだし…」

 イェルグはロイの去った大穴をしばらく眺めた後、人差し指を伸ばした右腕を穴に向けて伸ばす。すると、腕を包む衣服の裾から、黒々とした高密度の雲塊がモクモクと出現。速やかに宙を浮き上がると、開いた大穴の中に入り込んで隙間を埋め尽くす。数秒と経たないうちに、超低空の積乱雲は元の隙のない巨塊へと戻り、ゴロゴロと雲内放電の轟音を鳴らしながら豪雨を大地に叩きつける。

 あっという間に雨粒と雨音まみれになった空間で、イェルグは雨滴が滝のように流れる顔にニッを穏やかな笑みを灯しながら、ノーラに視線を向ける。

 「それじゃ、仮入部…だよね? …ともかく、その身の上で悪いけど、ノーラちゃんにも働いてもらうよ。

 とりあえずは、そのロイの服、車の中の人に預けといたら? それ持ったままじゃ、これから先の作業、すっごい厳しいからね」

 ノーラは即座に、経験者であるイェルグの言に従う。元来たハッチを少し開き、乗っている人たちに「これ、お願いします…」と声をかけると、水でズブ濡れの上着一式や靴などを出来るだけ勢いがつかないように落とす。直下にいた防災局員がうまくキャッチし、了解の意を示して頷いてくれるのを見届けると、ノーラはハッチを閉めて再びイェルグに向き直る。

 イェルグはビショビショの頬をポリポリ描きながら、苦笑いを浮かべつつ語る。

 「作業説明の前に…今更だけど、この雨、大丈夫? 寒くない?

 もし寒くて支障があると言われても、止めることはできないんだけど…雨滴の温度を調整するくらいのことは出来るよ。寒くて体が動かなくて戦力になれない、なんてことになったら、キミだけじゃなくてオレたちも困るし…」

 「あ…お構いなく、です。活動に支障がないよう、身体魔化フィジカル・エンチャントを掛けてましたから…。

 というか…私独りでかけてしまって、すみません…。イェルグさんにも、かけてあげます…あっ、ロイ君にもかけてあげればよかった…」

 「いやいや、問題ないって。オレは雨だろうが吹雪だろうが日照りだろうが、空から来るものなら何でも平気さ。それに、ロイなんざ生体そのものが魔化の塊みたいなモンだからね、気にすることはないよ。

 それよりも、発動儀式の素振りも見せずに身体魔化をやってのけるなんて、ノーラちゃん、方術師としてはかなり有望だね。かなり安心したよ。これから頼みたいことって、かなーり厳しいからさ」

 穏やかな顔に反して、その口から飛び出た"厳しい"という言葉。その重い響きが、ノーラの身を引き締め、固唾を飲ませる。

 「やってもらいたいこと自体は、単純なんだ。

 オレが消火した地帯を片っ端から魔化して、また燃えたりしないようにしてほしい。

 勿論、魔化の永続化は無理ってのは知ってるよ。だから…そうだなぁ…少なくとも2時間、あの天使どもの炎が効かないようにしてくれりゃ良い。

 方法は任せるよ。キミが出来うる範囲で、機能性もそこそこ高くて、作業時間もあまり長くないやり方なら、なんでもいい。地面に直接方術陣を描くのが一番楽で速いっていうなら、そうやってもらって全然構わない。

 要は、被害の拡大と延焼を効率よく食い止められればいい。

 それともう一つ、キミにはやってもらいたいことがある。っていうか、むしろ、こっちの作業の方が本命だね」

 「どんなことでしょうか…?」

 ノーラは声の端々に緊張を匂わせつつ、問う。イェルグが指示した作業は、はっきり言って、非常に厄介だ。移動に伴って常に変化する広大な面積に対して、リアルタイムで質の高い魔化を施さねばならない。身体一つを魔化する作業とは、比べものにならないほど労力がかかるのだ。しかし、この厳しい作業よりも本命だという作業は一体、どんなものだというのか?

 その答えは、すぐにイェルグが口にしてくれる。彼の顔には、相変わらずの穏やかさが張り付いている。

 「これからオレ達は、作戦拠点に向かう。

 拠点の場所は、オレ達の本来の作業に使っていたコンサートホールさ。そこには、オレ以外の2人の部員もいる。

 そのうちの1人に、神崎かんざき大和やまとってのが一年生がいてね。額にアナクロな飛行士ゴーグルをつけてるから、すぐに分かると思うよ。ともかく、ノーラちゃんにはソイツの手伝いをしてもらいたいんだ。

 大和は、ちょっと変わった能力を持っていてね。機械の定義を拡張して、進化した機械を作り出すことが出来るんだ。オレ達が乗ってる装甲車も、その力を使って大和が作り出したのさ。元は普通の乗用車だったんだよ、信じられないでしょ?」

 「そうですね…見た目からだけだと、中々信じられませんけど…物質構造に魔力の痕跡が感じ取れますから、何らかの魔術を使って作ったものだ、とは分かりました…」

 「おっ、ホントすごいねぇ、ノーラちゃんは。そのレベルで一年生とは、御見それするよ。

 まぁ、それはともかく。

 大和の機械定義拡張能力は、機械を無制限に進化できるワケじゃない。車の仲間からは戦車は作れても、飛行機は作れないって感じにね。

 それに似た事情があってね、この装甲車に十分な耐火性能や消火性能を作れないんだってさ。だから、この車以外にも装甲車は走り回ってるけど、消火が出来ないから、専ら人命救助して回ってるだけなんだ。まぁ、それでも十分役立ってもらってるけど、人を探して走り回ってる間、火を消せないどころか、いたずらに装甲を燃やされるハメになってるから、無駄が多いんだよ。

 そこで、ノーラちゃんには、片っ端から装甲車に方術の力で細工を施して、耐火性能や消火性能を向上させてもらいたい。そうすれば、大和のメンテの負担も減るし、何より火災を鎮圧の方向に持っていける」

 大和という一年生の話を聞きながら、ノーラはまたも星撒部に感嘆を覚える。どうやら部員たちは、ロイ達だけが特別なのではなく、みんな一人一人が個性的で強力な能力を持っているようだ。先に"ユーテリア最強の生徒"と自称していたが、あながち的外れではないのかも知れない。

 「…わかりました。部長の蒼治さんほどうまくは出来ないと思いますけど…精一杯、やってみます!」

 緊張を張り付けたままノーラが答えると、イェルグは相変わらずニコニコと笑みを浮かべ、表情でリラックスしろと訴える。

 「そんなに自分を卑下して堅くなっちゃ、出せる実力も出せないよ。ズボラにやっちゃいかんけど、もうちょっと気楽に構えたほうがうまくやれるぜ。

 それに、蒼治だってさ、いくら方術をうまく扱えるったって、都市一つをまるごと魔化できるわけじゃない。この作業は確実に、あいつも手を焼くだろうさ」

 イェルグは一しきりフォローすると、やや口調を怪訝の色に染めて、付け加える。

 「ところで、オレ達の部長は蒼治じゃないよ。あいつは会計兼書記だからね」

 「え…そうなんですか?」

 ノーラはきょとんと聞き返す。部室の様子から、蒼治が部長であると確信しきっていたので、この話は全くの肩透かしだ。

 活動力のある(良い意味でも悪い意味でも)渚が副部長の地位に甘んじているということは、彼女の上に立つ人物は、彼女をある程度御せる常識と実力を兼ね備えた者であろうと判断していた。その点を考慮するに、一番適切なのは蒼治かと思っていたのだが…。

 「まぁ、今は部長のことは置いといて。

 いくら身体魔化してようが、いつまでもズブ濡れってのは気持ち悪いでしょ? さっさとやることやりながら、拠点に向かうとしようか。

 ノーラちゃんは、魔化することだけに集中してくれりゃいい。もしもキミに襲い掛かるような不届き者が出てきたら…」

 イェルグが語っているそばから、積乱雲内に広く赤い輝きが発生し、凶暴な炎の暫定精霊どもの到来を告げる。一瞬後、黒雲の底面を蒸発させながら顔を出したのは、なんと4体もの暫定精霊どもである。そのうち1体は巨大なクマを象っており、牙だらけの口腔から熱風の方向を上げつつ、燃え盛る長い爪を装甲車上に振り下ろしてくる。残り3体は、すべてサメを象ったもので、幾列にも牙が並んだ巨大な口を大きく開き、身体を回転させながら魚雷のように突貫してくる。

 (こんな量の敵、たった一人で捌くなんて、絶対に無茶…!)

 ノーラは背負った大剣に手を伸ばし、炎の化け物どもに対応せんと動く…が。彼女が攻撃行動を成すより早く、イェルグが素早く攻撃行動に出る。

 先刻、炎の虎相手にしてみせたように、人差し指を伸ばした右手を4体の暫定精霊どもに向けて振るうと、ズブ濡れの袖の中からシャボン玉のようにまとまった巨大な水塊が出現。一つ一つが砲弾となって熱風狂う大気を走り、暫定精霊どもに正面から衝突。ビシャンッ、と派手な破裂音を振り撒いたと同時に、暫定精霊たちの気概が一瞬にして衰え、泣き出しそうな情けない顔を作る。この顔を残しながら、炎の身体は大量の水蒸気と共に萎むと、ついには火の粉も残さずに消滅した。

 手早く敵を掃討したイェルグがノーラに視線をよこす。その表情には、自慢が露骨に見て取れる笑みが浮かんでいる。

 「不届き者たちは、こんな風に、オレが片っ端から片付けるよ。大丈夫、この程度の相手なら、10や20が来ても問題ないからね。

 ノーラちゃんはオレのことは気にせず、自分の作業に集中しといてよ」

 ノーラはもはや、了解の言葉も口に出来ないほど唖然としていた。同時に、部活動を通して、自分よりも遥かに長い期間、実践に身を投じてきた者を気遣ったことが、目が点になるほどにバカバカしく感じる。

 (…そんな感想は、ともかく…。私も自分の出来ること、しなければならないことに集中しよう)

 ノーラは抜きかけだった大剣を引き出すと、柄を両手でつかみ、刀身を天に向けて立たせる。そのまま状態で魔力を大剣に注ぎ込む…先刻、ロイの目の前でやってみせた、大剣を変形させる技術だ。

 前回と同様に、大剣の刀身に臓器にも見える機械的なギミックが幾つも発生。それらは白い蒸気は発したり、ガシャガシャと音を立てながら、迅速に刀身の形状を変化。数秒の変化過程を経た後、出来上がったのは…チェーンソーにも見える、奇妙な刀身を持つ剣である。

 刀身の中心軸部は、脈動する青灰色のパイプがギッシリと蔓延はびこっている。その所々には、小さな直方体の機関も見て取れる。この部分の姿だけでも十分奇妙な外観だが、それ以上に目につくのは、刀身の端だ。そこにはまるで、超低速のチェーンソーのチェーンのように、フヨフヨと流動する青みの濃い液体が張り付いている。この部分だけを眺めていると、巻貝の足のようにも見える。この液体の中には、蛍光色を呈する魔術式が高密度に浮かんで泳ぎ回っている。この魔術式は刀身中央部のパイプから常に吐き出されているようだ。

 「へぇ…『定義変換コンヴァージョン』か。そんな難解で高度な魔術を使えるなんて、キミも相当な使い手だねぇ」

 大剣の変形を見たイェルグが、相変わらずの穏やかさを張り付けて声をかけてくる。そう、彼の言葉の通り、ノーラが使って見せた魔術は、魔術分類学的には『定義変換』と呼ばれる、高度な魔術の一派である。存在――物体だけでなく、現象や、時には概念そのものまでをも含む――の定義を形而上相から書き換えて、在り様を変化させてしまう。まるで神の創造の力を連想させるような、強力な魔術である。

 「そんなことないです…。『定義変換』と言っても、自由に変換できる対象はこの剣だけですから…あまり融通の利く力じゃありません…」

 「よくよく謙遜するねぇ、ノーラちゃんは」

 謙遜も何も、ユーテリアの学生の中では、本当に誇れるほどの力でないと、本気で思っているからこその言葉なのだが…。その言い訳は取り合えず置いといて。ノーラは早速、指示された作業に取り掛かる。

 「イェルグさん。雨水を使わせてもらいます」

 そう宣言したノーラは、魔術式が泳ぎ回る水の剣先を、積乱雲の中に差し込む。そして瞼を閉じ、桜色の唇を小さく動かして術言チャントを口ずさみ、大剣を伝わせる魔力を強化する。やがて剣先の水と共に、降りしきる雨滴も強い蛍光を発するようになる。大剣の機関を通じて、水そのものを強力に魔化したのだ。

 一般に魔化とは、魔術を通じて物体に新たな性質を付加したり、性質自体を強化することを指す。しかし、今回ノーラが使った魔化は、それとは少し内容が異なる。物体としての水自身の性質には、ほぼ手を加えていない。代わりに、水の中に絵具でも溶かし込むように、極小の方術陣を大量に含ませているのだ。『溶媒型魔化ソルヴェント・エンチャント』と呼ばれる、特殊な技術である。

 この高度技術を用いたノーラの狙いは、次の通りだ。

 魔化を行うためには、何らかの方法で対象の物体に直接魔術を与えねばならない。その方法として一番先に頭に浮かぶのは、物体に対して物理的に魔術式を刻み突けたり、塗り込んだり、埋め込む方法だ。しかし、それではいっぺんに広い面積をカバーするのは難しい。次に考えられるのが、方術陣を利用して物体に魔術を与える方法だ。しかし、広い面積をカバーするには、それなりに大きな方術陣を作り出し、維持し続ける必要がある。方術に非常に長けた人物なら問題にならない方法かもしれないが、ノーラの技術レベルでは荷が重い方法である。

 そこで、方術陣を雨に混ぜ込んで拡散させる方法を思いついたワケである。この方法なら、ある程度の時間内で安定している方術陣を作り、投げっぱなしにすれば良い。あとは、豪雨が勝手に方術陣を広範囲に広げてくれる。この方法のデメリットとして、方術陣を数多く作らねばならない点があるが、それを補助するために大剣を『定義変換』させ、専用の道具を作ったのだ。

 ノーラの狙い通り、蛍光の雨滴は視界いっぱいに広がり、火炎を鎮火させながら、触れた物体に耐火性能を施す。物体の表面にうっすらと青い光沢が宿っているのが、魔化が正常に作用した証拠だ。

 「なるほどねぇ。自力で難しい部分は、元からあるものを創意工夫してカバー、ってことか。

 その臨機応変なところ、オレたちの部活の素質あるよ」

 イェルグは称賛すると、左手でズブ濡れの制服上着のポケットを漁り、ナビットを取り出す。ナビットは完全防水なので、悪意的な魔術が作用していない限り、雨水は全く平気だ。これを使って彼は、装甲車の運転手と音声通信を繋げる。

 「今、延焼対策が整ったよ。手筈通り、拠点に向かってくれ」

 運転手は「了解」と余裕なく語ると、車体を急速にUターンさせる。突然のことにノーラはバランスを崩しそうになったが、なんとか足を踏ん張ってこらえる。直後、装甲車は急加速。ガタガタと激しく震動しながら、拠点へと一直線に向かう。

 道中では、当然ながら、炎の暫定精霊どもが装甲車を狙い、何度も何度も襲い掛かってきた。彼等は黒雲から赤く輝く鳥獣の顔を覗かせた瞬間、穏やかな笑みを浮かべたイェルグの水塊弾によって、ことごとく打破される。加えて、ノーラによって魔化された雲により、暫定精霊たちが運中を突破する間に勢いを削がれ、そのまま消滅する例も散見される。積乱雲の一角が真っ赤に輝いたかと思うと、点いたばかりの蝋燭の炎が縮んで消えるような有様で、輝きが消滅するのだ。

 「いやぁ、ノーラちゃんと組めて、ホント良かったよ!」

 雨滴でビショビショの顔に満面の笑みを浮かべ、イェルグが雨音に負けじと大声で称賛する。

 「未経験の子をいきなり災害対応の現場に投入するのは、正直、めっちゃ心細かったんだよ! いやぁ、空の男のくせに、杞憂の言葉そのものの無駄な心配だったよ!

 こんなにスムーズに事を運べるなんてねぇ! 頭がガチガチな蒼治より、よっぽど役に立ってくれるんじゃないかなぁ!」

 「いえ…そんなこと、全然ないです…! 私はまだ、1年生の身ですし…! 蒼治さんなら、もっと効率の良い方法で問題を解決できると思います!

 それに…私が拙いながらも実力を出せるのは、イェルグさんがしっかりサポートしてくれるからです…!」

 「拙いなんて、そんな謙遜するモンじゃないぜ! 君より実力の劣る大多数の1年生たちの立つ瀬がなくなっちまうよ!」

 二人が当たっている作業は、当然ながら、厳しい作業だ。一瞬も気を抜くことはできない。抜いてしまえば、自分たちだけでなく、装甲車に乗っている人々丸ごとが生死に関わる苦境に陥いるのだから。それでも二人は、緊迫のガチガチした雰囲気を見せず、始終和やかな様子で対処に当たっている。この様子は、余分な力が抜けている点で、二人にとって大きなプラスである。だからといって、勿論、油断しているワケではない。

 そんな最中…イェルグのズブ濡れのポケットの中で、ナビットが雨音に負けそうになりながら、着信音を奏でる。その時ちょうど、雲中から蛇の顔をした暫定精霊が出現したが、右腕で水塊弾を発射しつつ、左腕でポケットとまさぐってナビットを取り出す。音声通信を聞くために耳に押し当てた頃には、暫定精霊は物悲しげな表情を残し、大量の水蒸気と化して蒸発・消滅していた。

 「はい、こちらイェルグ。あ、運転手さん?」

 雨音に負けないよう強い声をあげつつ、イェルグは音声通信の相手と幾言か言葉を交わす。

 「はい、了解。どうぞ、お好きなように」

 その言葉で音声通信を切り上げたイェルグが、ノーラに内容を説明しようと視線を投げた、その瞬間。装甲車に急な方向転換を伴う加速が襲い掛かる。イェルグは予見できていたようでうまくバランスを保ったが、ノーラは溜まらず片足を上げ、両腕をバタつかせた挙句、尻餅をついてしまう。装甲車の堅い天板がお尻にぶつかった時、ズブ濡れの下着の不快感が意識され、ノーラは思わず表情を崩す。

 それをどう解釈したのか、イェルグは申し訳なさそうにビショビショの長髪が張り付く後頭部を掻きながら、語る。

 「ゴメンゴメン、説明しようとしたら、運転手さんったらよっぽど焦ってたみたい。

 オレ達の拠点に行く前に、ちょっと寄り道をすることになった。避難民の反応をキャッチしたんだってさ。どうやら建物に中に固まってるようだから、この車ごと建物の中に突入して救助をするってさ。天井の高さは分からないけど、頭の上と、突入時の衝撃と壁の破片に気をつけといてね」

 「は、はい…了解です」

 ノーラはお尻から這い上がる不快感にいつまでも浸ることなく、スクッと立ち上がると、再び剣を積乱雲中に差し込んで魔化を再開。鎮火の豪雨を振り撒くことに意識を集中する。

 

-To Be Continued -

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星ヲ撒ク者ドモ 眼珠天蚕 @yamamai_010

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