カカオレポート

【セント】ral_island

カカオレポート

辛酸を舐めるとか、苦汁を舐めるとか、そういった表現がある。いずれも苦い経験や決断の表現として、あまり誤用されることもない、ポピュラーな比喩だ。あくまで比喩だ。


敢えて言おう。私が舐めた苦汁は、決して比喩ではなかったのだと。


それを口に含んだ瞬間、衝撃が走った。それは実体を伴って舌を蹂躙した。別に怒っちゃいないのに怒髪が天を衝いた。ねっとりと、ぬっとりと。泥炭の沼に足を踏み入れてしまった白兎のごとく、嗚呼哀れなるかなその全身は堕天の――まあ、というくらい苦かったのだ。マジで。


さておよそ食べ物とは思えぬ、いっそ毒物のようなこれ、チョコレートなのである。その歴史は百余年を数え、それこそカカオ栽培にまで遡れば紀元前から親しまれ、今なお年間五〇〇万トン以上生産されている、超弩級に有名なアレである。


しかし、あまりに長大な歴史の変遷は人々の舌を飽きさせた。菓子メーカーはこぞって創意工夫を凝らし、様々な派生モデルを誕生させてきた。数百数千にも及ぶその研鑽の末に誕生してしまったのが、カカオ九五%のチョコレートである。


これが苦い。非常に苦い。筆舌に尽くしがたい苦さだが頑張って冒頭に記したのだがいかがだったろう。開発者はきっと疲れていたに違いない。研究に没頭・懊悩するあまりに禁忌に手を出した結果、創造物が人間に牙を剥く――良くある話だ。


通常のチョコレートにおけるカカオ含有率は三〇~四〇%であり、そこに加糖する事で甘くしている。何を思ったか、そこから砂糖を抜いたのである。そりゃあ苦い。一六世紀、エルナン・コルテスが薬としてカカオを献上したエピソードをさえ想起させる。


薬と言えば、もともとエネルギー含有量に優れるカカオには、テオブロミンという成分が豊富に含まれている。こいつが憎き苦味成分なのだが、しかし敬遠するなかれ、テオブロミンは循環器系の疾患に治療効果があり、自然界ではほぼ唯一カカオにのみ含有されるというから驚きである。

ちなみにテオブロミンとはカカオの学名に由来する。学名テオ・ブロマ。ギリシャ語で「神の食べ物」である。


良薬口に苦し。この薬効があってこそ、紀元前から連綿とその歴史を刻んできたのだろう。「甘くしたらどうよ?」との発想に至る一九世紀まで、よくもまあ耐え忍んだものである。


という事は、カカオ九五%は文化の逆行に他ならないのではないか。パッケージにも健康の謳い文句が並ぶ同製品は、嗜好品という以上に薬効を狙った側面が色濃い。だが、当時は飲料物として用いられていた史実を鑑みるに、これを単なる逆行と断ずるのは早計である。


つまり、カカオ九五%とは、液状から固形への正統進化を踏襲しつつ、味については数百年を遡源した、史学と科学の発達した現代だからこそ誕生し得た、カカオに対する一つの回答なのではないだろうか。


などと。


つらつらと書き連ねてみたが苦いもんは苦い。もう食べたくない。こんな嗜好品としての側面を徹底的に削ぎ落とした代わりに恋散らせた青春の苦悩や社畜の涙を練りこんだような代物を好んで食べようとは。薬効を期待して呑みこむならまだしも。


しかし歩み寄る余地はないものだろうか。普段から食べる理由を、どこかに模索できないものだろうか。試しに知人に食べさせてみたところ、苦虫を噛み潰したような顔でこう評した。


「酔い覚ましにはいいかもしれない」。

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