着ぐるみを着た彼

「ねえ、今日の夜どうする?」


「ん、う~ん……どうする?」


 質問を質問で返してくる時、彼は大抵ほかのことに夢中になっていて、私の話なんか全く聞こえていない時だ。

 なんでも、最近配信された携帯アプリのゲームに夢中らしい。私も誘われて始めてみたが、彼のように夢中になることはなかった。飽きっぽい性格だと彼には指摘されたが、そういうことではないと私は思っている。


 彼自身が何かに取り憑かれたかのように、小さな画面に向かって目を光らせている。その姿はまるで少年のようだった。そんな彼に惹かれたのだから、私も今の彼に対して強く言えないのである。


 昼下がりのバス停で、私たちはショッピングモールへ向かうバスを待っていた。休日と言うこともあり、バスを待つ列は、私たち以外にも数人のお客がいた。その中にちょうど私たちの前で待っていた小学生三人組の少年たちの会話が耳に入ってきた。少年たちの手にもスマートフォンが握られている。そしてその会話の内容からして、彼と同じものに夢中になっているのだろう。


「なあ、そっちはどうだ」


「う~ん、ダメだな」


「お、こっちなら良いかも」


 精神年齢は同じぐらいじゃないだろうか。それを口にしてしまうと彼に怒られてしまう。


「ねえ、もうすぐバス来るよ」


 なんとかして、彼の夢中になっているものの矛先を自分に向けられないかと、私は模索する。きっかけさえつかめれば、付き合い始めた頃のように、彼の矛先が私に向いてくれるはず。私はそうを信じていた。


 ふと、私は少年たちに目をやる。すると、三人のうちのひとりが彼の方に視線を向けていた。彼はその視線に気づいていない。

 何かを言いたげなその少年に、私は屈んでから、少年に声をかけた。


「どうしたの?」


「……ら、ラビットだ……」


「ラビット?」


 少年が発した言葉に、私は首をかしげる。何かの俗称か、それとも聞き間違いか。彼のことを指して言ったのかどうかの判断も難しい。

 私がもう一度少年に尋ねようとした時、背後で「フフッ」と小さく微笑む声が聞こえた。振り向くと彼が画面を見ながら不気味に笑っている。しかしその表情は、彼が夢中になっている時によく目にするもの。だからこそ、私はその表情に違和感を覚えることはなかったのだが、少年は違ったようだ。


「あ、あのっ!」


 少年が声を発したのと同時に、彼がすっと片手で制して、そのまま口元に人差し指を立てた。すると図ったかのように、バスが到着する。彼は何も言わずに、バスに乗り込んだので、私も慌てて彼の後に続いた。ただ、少年たちは、バスに乗ろうとはせず、いつのまにか全員が窓際に座った彼のことを見つめているだけ。バスの運転手もしばらく待って、少年たちが乗りそうにないことを確認してから、バスを出発させた。


 彼がようやく画面から視線を外したのを確認して、私は疑問をぶつけた。


「ねえ、ラビットって何?」


「……それはね、夢の中だけの僕の名前さ。例えるなら、夢の国にいるあの有名なキャラクター的存在なわけ。そのキャラクターが突然自分の後ろにいたら、君だって嬉しいだろ。それと同じさ」


 誇らしげに語る彼。そんな彼の横顔を見つめながら、私は思った。


 夢中になるのは構わない。でも、その夢の中で着ぐるみを着てしまったら、彼の視界は狭くなり、常に表情を変えなくなる。そして、彼を彼だと判断できる人はいなくなってしまう。一番傍にいる私でさえ、彼の本当の顔がわからない。

 今、目の前にある彼の表情の裏にも、恐ろしいものがあるのではないかと想像してしまう。


 想像してはいけないとわかっていても。私はもう、だから……。

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