透明なメニュー

 彼女の名前はソフィアというらしい。


 僕よりも背が高ければ頭も良い。目鼻立ちも整っていて、尚且つ透き通るかのような白い肌。

 典型的な東洋人の容姿である僕には甚だ不釣り合いだ。


 この『瞹眛喫茶』で出会った彼女は、なぜか僕のことを聞いてくる。好みや趣向、それに僕がどんな環境で生まれ育ったのかまで。

 彼女は問いかけてくるだけで、僕からの問いには全く答えてくれない。彼女の名前もマスターから聞いたのだった。

 答える必要のないことまで答えた気がする。ソフィアの大きな瞳には相手を惑わすような魅力がある。その瞳を前にして嘘がつけないのはもちろん、口に出す言葉さえ操られている感覚だった。


 ある日、僕が再びソフィアに誘われ向かい合って席に座っていると、マスターが二つのコーヒーカップを運んで来た。


「もし、よろしかったらいかがでしょうか。当店の新メニューです」


 カップの中を見た僕は首を傾げた。

 色の無い透明な水。カップの白い底が見えている。紅茶のような香りが立っている訳でもない。


「これはなんですか?」


 曖昧さを好むマスターの新作。「これはなにか」と問うのは野暮かもしれないと思いながらも、僕は聞かずにはいられなかった。


 するとマスターは目尻に皺を寄せて微笑みながら言う。


「こちらのメニューにはまだ名前がありません。ぜひお客様につけていただければと」


 いったいどんな味がするのか。僕が恐る恐るカップに手を伸ばすと、横からソフィアの細い手がスッと伸びてきて、僕よりも先にその新作を口に運んだ。


 その様子をただ息をのんで見つめることしかできなかった僕は、彼女の口から発せられるであろう言葉を待った。


「いかがでしょうか?」


 マスターがソフィアに問いかけると、瞳を閉じ溜め息を吐くように言った。


「まるで大人の恋心ね。マスターの愛がこもっているわ」


 ソフィアの心からの笑顔を初めて見た気がする。


「恐縮です」


 マスターが軽く会釈をすると、おもむろに僕のほうを見た。

 自分も飲むようにと促されていると察した僕は、少し慌ててカップを口に運ぶ。


「いかがですか?」


 マスターの問いに、僕はどう答えたら良いのか。頭の中にある数少ないボキャブラリーの中から厳選するのに少し時間がかかった。


 そして僕の口が勝手に動いた。


「まるで、ソフィアさんの肌のようです」


 その言葉を声にした瞬間、身体が痺れるように熱くなった。すると、マスターは言う。


「では、この新メニューの名前は“ソフィアのようなもの”にしましょう」


 まさかの展開に僕は焦ってソフィアのほうに視線を向けると、なぜか彼女も嬉しそうにしていた。――僕は申し訳ない気持ちでいっぱいだったのに。


 そしてその“ソフィアのようなもの”は、新たなメニューとして『瞹眛喫茶』の隠れメニューとなった。

 正直なところ、僕が口にした“ソフィアのようなもの”には、味が全くなかった。


 そう、ただの白湯だった。

 だけど、とても美味だった。

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