最終幕 素直になあれ

 夜の警察署にて。

 廊下の長椅子に座って待っていたギンタは、取調室から出てきた山岡を見つけて慌てて立ち上がった。

「どうだった?」

(やはりマスターがストーカーでした。ルルナのことを思う気持ちが見えたので、それを少しだけ後押ししてあげたら、ぺらぺらと喋り始めました)

 ナイトメアとして取り調べに協力していた「ヤマさん」こと山岡が、簡単に事情を説明する。


 メタモルフォスであるマスターは、アルバイトの面接に来たルルナに一目惚れしてしまい、自身の能力を使ってストーカー行為を始めたという。

 警察官やマンションの住人などに化けて行動していたため、今まで誰もマスターだと気づかなかったらしい。


「そっか。でもストーカーが捕まってよかったよ。これでルルナさんも安心だね」

 安堵の表情を見せるギンタの顔にバンソウコウが貼られているのは、マスターと格闘した名誉の負傷だ。

 警察が駆けつけるまで、変身したマスターにしがみついて不恰好に取り押さえるという活躍を見せたギンタへ、山岡は深々と頭を下げる。

 ルルナを救ってくれてありがとう。

 無言でそう訴える山岡へ、ギンタは照れたように頭を掻いてしまう。

「こっちこそごめん。山岡さんは口がきけないのに、警察に電話しろなんて無茶なこと言っちゃって……。でも、山岡さんはあのときどうやって通報したの?」

 楽しそうに目を細めながら、山岡は携帯電話を取り出す。

「あ、そうか。誰かにメールして、その人に警察へ通報してもらったんだ」

 こくり。頷く山岡。

「それで、誰にメールしたの?」

(もうすぐ来ると思います)

 山岡の声が頭の中に響くと同時に、誰かが怒鳴りながら警察署に駆け込んできた。

「山岡! ストーカーが捕まったって本当か!」

 いつぞやの場面を再現するかのように、ジーンズにTシャツという色気の欠片もない服装で、短髪長身の女性が駆け寄って来る。

 が、山岡の隣に立つギンタに気づいて、やたらと威勢のいい彼女は「うっ」と顔を引きつらせてしまった。

「あ、ギンタさんだ!」

 長身の女性――ユカの背後に隠れていた小柄なネコミミ娘ケットシーが、ひょっこりと顔を出す。

 そのままユカの背中を押して、ずんずんと近づいてくるネコ。

 よほどバツが悪いのか、ギンタとは終始目を合わせないようにしたまま、それでもユカは抗うことなく二人のもとに歩み寄った。

(ユカ。警察に通報してくれてありがとう)

「どういたしまして。それで、ストーカーは捕まったの?」

(ええ。ギンタさんが捕まえてくれたんですよ)

「……ふーん」

(ギンタさんってとてもいい人ですね)

「……知ってるよ。そんなこと」

 そっぽを向きながら、ユカと山岡が会話をしている。

 ただし、山岡の声はユカ以外には聞こえていないので、ギンタは何を話しているのかさっぱりわからなくて不安だったりするのだが。


 明後日の方角を向いているユカ。

 不安そうな表情のギンタ。

 ニコニコ笑顔の山岡。


 そんな三者三様を眺めて、何か閃いたのか、ネコはいきなり大声を張り上げた。

「ストーカーもつかまってこれでひと安心だね! じゃ、山岡ちゃん、私たちは帰ろうか。あ、ユカはギンタさんに送ってもらうといいよ!」

「お、おい、ネコ!」

 強引にギンタと二人きりにさせられそうになって、ユカは慌ててネコを掴まえようと手を伸ばす。

 だが、その手が伸びきるより早く、微笑を浮かべた山岡がユカのそばに寄り添った。

 びくん、とユカの背筋が伸びて、山岡は笑顔のまま彼女のそばを離れる。

「それじゃねー! ごゆっくりー!」

 ぶんぶんとネコが腕を振り、山岡もひらひらと手を振りながら去っていく。

 一方ユカは、何があったのか、ギンタに背を向けたままその場から一歩も動けずにいた。

「……ユカ?」

 恐る恐るギンタが声をかけると、ようやく硬直が解けたユカが大きな大きなため息を吐き出して、がっくりと肩を落とした。

「もしかして、山岡さんに何か言われたの?」

「んー」

 観念したのか、神妙な面持ちのユカがギンタへと向き直る。

 その顔は、どことなく赤い。

「ナイトメアなんて友達にするもんじゃないよなあ」

 いったい山岡に何を言われたのだろう。気になるギンタへ、ユカは視線をあちらこちらへさまよわせながら答える。

「ナイトメアってさ、何気ない一言でも相手の心を揺り動かしちゃうから、普段は出来るだけ喋らないようにしてるんだよ。ほんと、迷惑な話だよな」

「でも、本当に言いたくないことを言わせることはできないって聞いたよ」

 目を合わせてくれないユカへ、ギンタはそっと手を伸ばす。


 ギンタの手がユカの手を握る。


 驚いたユカの目が、ギンタの目を見つめる。


 告白と拒絶から丸一日が過ぎて、ようやく二人の視線が絡み合う。


「山岡さんは言ってたよ。ナイトメアの力は、言いたいことを言えずにいる心を、ほんのちょっと後押しするだけなんだって」

 言いたいのに、言えない言葉。

 ギンタの手を握り、ギンタの目を見つめたまま――


 ユカの唇が、動く。


 想いを、伝える。






 警察署を出たところで、瞳を爛々と輝かせたネコが山岡に擦り寄ってきた。

「ねえねえ、ユカに何て言ったの? あの強情なユカを陥落させるくらいだから、よっぽどすごい一言だったんだろうねえ」

 ニコニコと微笑みながら、山岡は思う。

 人の心を動かすのに、そんな大層な言葉はいらないんですよ。

 ほんのちょっと背中を押してあげるだけの一言があれば十分なんですよ。

 そうして山岡は思い出す。不器用な友人のためにささやいた、なんでもない一言を。




 素直になあれ。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

素直になあれ 久遠ひろ @kudohiro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ