最終幕 素直になあれ(2)

 部屋で携帯電話の呼出音が鳴っている頃、持ち主のギンタは夜道を愛車ママチャリで駆け抜けていた。

 最後にユカの家へ行ったのは、約二年前。彼女の母親が病気で亡くなって、仏前に線香を上げたのが最後だ。

 それだけ久しぶりにも関わらず、ギンタは迷うことなくユカの家に到着出来た。

 自分の記憶力に感動しつつ、ギンタは玄関口に自転車を止めて、呼吸を整え、思い切りよくインタホンを押す。


 ピンポーン。


 …………たっぷりと五秒ほど待って、ようやくギンタは家の明かりが消えていることに気がついた。

「留守かよ……」

 へなへなと膝から崩れ落ちるギンタ。せっかく覚悟を決めて自転車を飛ばしてきたのに、と思い、疲労感と虚脱感に見舞われる。

 塀にもたれながら酸欠気味の脳をフル回転させてみるが、今夜のユカの行き先に心当たりなどあろうはずもない。

 ギンタはどうにか立ち上がると、仕方なく帰ろうと自転車に手をかけた。

 その瞬間、ある想像がギンタの脳裏を過ぎった。


 まさか居留守を使ってるんじゃないだろうな?


 ユカの部屋は二階のはずだ。ひょっとしたら、ギンタが愛車ママチャリを飛ばして来るのが二階の窓から見えたのではないか。

 だからギンタをやり過ごそうとして、家の電気を消して居留守を装っているのではないか。

 ギンタは二階の窓を見上げてみるが、ここからでは部屋に人がいるかどうかわからない。


 僕がネコミミ異星人ケットシーだったらネコジャンプで二階に跳びつけるのに。


 そんなことを思いながら庭先を覗き込んだギンタは、おあつらえ向きに生えている柿の木を発見。あの柿の木の枝を伝っていけば、二階の窓から部屋をのぞけるかもしれない。

「そうだよ、ここまで来て何もせずに帰るわけにはいかない」

 間違った方向に決意を固めたギンタは、自転車を塀に立てかけ、コンクリートの塀をよじ登りはじめた。

 留守宅の庭に侵入するため、塀のてっぺんに両手をかけ、足をひっかけてじたばたもがく。


 トントン。


 誰かに肩を叩かれたが、そんな些細なことを気にしている場合ではない。

 ギンタは何者かの手を邪険に振り払うと、塀を乗り越えようともがき始めた。じたばたじたばた。


 トントン。


「うるさいな! 邪魔するな!」

 怒りの形相で振り返ったギンタが、そこで見たのは――



     ※          ※          ※



「あーもう! どうして電話に出ないんだよお!」

 正座するユカの前でギンタに電話をかけたネコは、20回目の呼出音を聞いたところで、たまりかねてソファに携帯電話を叩きつけた。

 見るからに憤怒の剣幕だが、それでもクッションを狙って投げつけている辺り、かろうじて理性は残っているようだ。

「さて、オレはそろそろ帰ろうかな」

「帰っちゃダメ!」

 腰を浮かせかけたユカを見て、ネコは素早く出口へ先回り。両手を広げて「ここを通りたければわしを倒してからにしろ」と意思表示。そして呆れ顔のユカ。

「通さないから! ユカがギンタさんと会うって約束してくれるまで、ここは絶対通さないんだから!」

「だから、あいつのことはもういいんだって」

「よくな――い!!」

 ご近所の迷惑も顧みず、ネコが腹の底から声を張り上げる。

「私はユカのことが大好きなの! だから私のせいでユカに我慢なんてして欲しくないの! ユカには泣いて欲しくないの!」

「はあ? 何言ってるんだよ。オレは泣いてなんかいないって」

 薄笑いすら浮かべてユカが言い返す。

 そんなユカの顔をじろりとにらみつけるネコ。

 ここで目を逸らすわけにはいかないと、負けじとにらみ返すユカ。

 そうしてにらみあっていると……やがて、じんわりと、ネコの瞳が涙で潤み始めた。

「はあ? おい、なんでネコが泣いてるんだよ」

「ユカが泣かないからでしょ!」

 鼻声になりながら、ネコが思いのたけを口にする。

「ユカが泣かないから、私が代わりに泣いてあげてるの!」

 ――瞬間、ユカの目に、ネコとかつての友の姿が重なって見えた。


 不意に、目頭が熱くなるのを感じた。


「オレは」

 手で口元を抑えながら、ユカは胸の奥から熱いものが込み上げるのを自覚する。

「オレは――」


 そのとき、ユカの携帯が鳴った。

 ネコから目を逸らし、口元を隠しながら携帯を開くユカ。

 液晶画面に表示された、相手の名前は――。


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