最終幕 素直になあれ(1)

 ユカにふられてから丸一昼夜。ギンタは部屋に閉じこもったまま、一歩も外に出ようとしなかった。

 窓もカーテンも締め切った部屋で、日課のインターネット巡回もせず、録画したアニメを観る気にもなれず、食事を取ることすら忘れて布団にくるまっていた。

 とにかく眠ろう。

 そう思い、何度も頭から毛布をかぶってみるものの、目を閉じればまぶたの裏に映るのは彼女との思い出ばかり。


 教室で初めて会ったときの、親指を立てて不敵に笑っていたユカの顔。

 四葉のクローバーを見つけて、喜んでいたユカの顔。

 母親の遺影を前にして、わんわんと泣いていたユカの顔。

 女子高に進学すると告げたときの、どこか寂しそうだったユカの顔。

 ギンタをストーカーだと勘違いして詰め寄った、鬼のようなユカの顔。

 夜の公園で告白されて、困惑して言葉に詰まるユカの顔。

「二度とオレの前に現れるな」とギンタを拒絶した、ユカの背中。

 忘れようとすればするほど、まぶたの裏に彼女の姿が次々と溢れ出る。


 ギンタは自分のことをあきらめのいい性格だと思っていた。

 我慢して、自分を抑えて、波風を立てないように生きるのが得意だと思っていた。誰からも嫌われないように、自分を押し殺すのが得意だと思っていた。

 だから、ユカにふられてもすぐに立ち直れると思っていた。

 だって、最初から望みは薄いとわかっていたから。

 ふられて当前だとわかっていたから。

 だから、すぐにあきらめられると思っていた――はずなのに。

 気がつくとギンタは手を伸ばし、携帯電話を手繰り寄せていた。

 丸一日悩んで、見苦しい真似だけはするまいと自分に言い聞かせて……それでも彼の指は、携帯のアドレス張から彼女の番号を探してしまう。


 液晶画面に表示される「ユカ」の文字。


 あとは通話ボタンを押すだけという状態で、ギンタの親指が動きを止める。


 なにやってるんだ。

 ふられた男がしつこく付きまとったって、余計に嫌われるだけじゃないか。

 どんなに足掻いたって無理なものは無理なんだ。

 さっさとあきらめろ。それがお互いのためだ。


 頭ではそれがわかっているのに、ギンタの指は通話ボタンから離れられない。

 人付き合いが下手で、

 何事にも消極的で、

 根っからの臆病者で、

 だからいつだって波風を立てないように生きてきて……そんなだから、自分から何かをしたいと思ったこともなくて……。

 そんな彼が、生まれて初めて自ら行動を起こそうとしていた。

 一生分の勇気をこめて、ギンタの指が通話ボタンを押下する。

 数回の呼出音の後、通話口から聞こえてきた声は、


『おかけになった番号は、着信先の事由によりお繋ぎできません』


 無味乾燥な着信拒否のメッセージ。

 それはこのうえないほど明確な、拒絶の意思。

 音をたてて、携帯電話が床に転がる。

 ――これでいいんだ。これでやっと諦めがつく。

 頭から毛布をかぶり暗闇に顔を埋める。

 眠ろう。ひとしきり眠って、すっぱり忘れよう。

 そうしてギンタは目を閉ざす。

 閉じた瞳に映るのは、ユカの笑顔。


 ――行かなきゃ。


 考えるより先に、体が動いた。

 布団を跳ね上げ、ギンタは着の身着のまま部屋を飛び出す。


 会いたい。

 会ってどうするかなんて知ったことじゃない。

 ただユカに会いたい。


 その一途な想いが彼の体を突き動かす。

 フラれてから丸一日……否、出会ってから丸三年をかけて辿り着いた結論が、ただ「会いたい」。

 部屋を飛び出し、玄関を飛び出し、ギンタは一目散に走り出す。


 時刻は夜。

 空は満天の星空。

 地上にはよれよれのジャージ姿で自転車を引っ張り出す、運動不足気味の男の子。


 ギンタが飛び出すのと行き違いで、主のいない部屋で、床に転がっていた携帯電話が明滅を始める。

 着信を知らせる音楽が鳴り響くが、それに応える者は部屋にはいない。

 点滅する携帯のランプ。携帯の画面に表示された相手の名は――



     ※          ※          ※



「ユカはギンタさんのことが好きなんでしょ!」

 ギンタをふってから一夜明け。

 当事者であるユカは……なぜかネコの部屋に呼び出されて説教を受けていた。

「ギンタさんのことが好きなら付き合えばいいんだよ! いーや、いっそ付き合うべきだっ!」

「だから、全然そんなんじゃないって」

「嘘ついたってダメなんだから!」

 腰に手を当てて仁王立ちしているネコが、神妙に正座するユカをびしっと指差す。

「私はずっとユカのこと見てきたんだからね。ユカのことなら誰よりもよくわかってるんだからね。私に嘘ついたって通用すると思わないで!」

「別に嘘なんて……」

「しゃーらっぷ!」

 元気の有り余っているネコは、どうやら無事に発情期を終えたらしい。

 いつもの……否、いつも以上の活気を撒き散らしながら、ネコは素直になれない親友に詰め寄った。

「私に遠慮なんてしないで! 昨日までの私はどうかしてたんだから。アレが始まってちょ~っと気の迷いが出ただけだから。だいたいケットシーの私が地球人を本気で好きになるわけないじゃない!」

「うそつけ。お前、かなり本気だったぞ」

「嘘じゃないもん!」

「いいか? オレはずっとネコのこと見てきたんだ。ネコのことなら誰よりもよくわかってる。オレに嘘ついたって通用すると思うなよ」

「ぐ、ぐ、ぐ……」

 痛いところを突かれたのか、ネコが顔を真っ赤にして言葉に詰まる。


 発情期を終えてようやく正気を取り戻したとき、ネコは自分がしでかしたことを悟って部屋中をのた打ち回りたい衝動に襲われた。と言うか、実際のた打ち回った。

 そして彼女は思ったのだ。

「私がトチ狂ったせいでユカとギンタさんが険悪になるなんて耐えられない! なんとかして二人を仲直りさせなきゃ!」

 かくして使命感に燃えたネコは、ユカを呼び出して説得を開始。

 ところが親友の熱意溢れる説教にも、

「ギンタのことはもういいんだ。だいたい、今さらギンタにあわせる顔なんてないしさ」

 達観した態度であきらめの言葉を口にするユカ。

 そのやせ我慢ぶりが、ネコには腹立たしいことこのうえない。

「う~~~!! こうなったら!」

 ネコミミを逆立てながら、ネコは自分の携帯を手に取り、ピポパポとどこぞへ電話をかけ始めた。

「おい、ネコ。どこに電話かけてるんだよ」

「決まってるでしょ! ギンタさんをここに呼びつけるの!」

「なっ! 勝手なことするなって!」

「うるさーい! 邪魔するなー!」

 携帯電話を奪おうとするユカと、しがみつかれながらも携帯だけは死守するネコ。


 こうしてネコは、不在のギンタに電話をかけた。

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