幕間劇 ユカの初恋

「なにしてんの?」

 声をかけられて、草むらを這い回っていたオレは勢いよく顔を上げた。

 見れば、散歩の途中だったのか、中学校の同級生であるギンタが、四つんばいのオレを土手の上から物珍しそうに見下ろしていた。

「ねえ、なにしてんの?」

 声が聞こえなかったと思ったのか、ギンタが同じ台詞を繰り返す。

 オレは草むらの中で立ち上がると、トントンと背中を叩きながら答えた。

「見てわかんないか?」

「わかんないから聞いてるんだけど」

「……四葉のクローバーを探してる」

「似合わないことしてるんだ」

「うるせえ」

 いーっと歯を見せるオレ。

 まるで子供のような仕草だが、ギンタ相手だと自然とこんな風になってしまうのだから仕方が無い。


 中学二年の春。

 オレは新しいクラスで新しい友人と知り合った。

 その男――芦屋ギンタは変なヤツで、負けず劣らず変なヤツであるオレとは妙に馬が合った。まだ知り合って三ヶ月ほどだが、今やギンタはオレの一番の男友達だ。


 ……とは言うものの、こんな無様な格好を誰にも見られたくなかったオレは、一番の男友達だろうと何だろうと容赦なく冷たくあしらってしまう。

「見世物じゃねえぞ。さっさとどっかいけ」

「しっしっ」と手を振りながらクローバー探しを再開したオレは、誰かが近づいてくる気配を感じて反射的に顔を上げた。

 腕まくりしながら土手を降りてくるギンタがそこにいた。

「手伝うよ」

 それだけ言って、ギンタは勝手にクローバーの茂みを探しはじめる。

 オレはため息をつくと、せいぜいダメージを与えないように優しく彼の尻を蹴り飛ばした。

「いいって言ってるだろ。オレのことはほっとけよ」

「ほっとけないよ」

 蹴られた尻をさすりながら、ギンタが恨めしそうにオレの顔を睨む。

「友達だろ。手伝わせてよ」

 ほんのりと頬を赤く染めながら、ギンタが控えめに自己主張する。

 バカヤロウ、赤面するくらい恥ずかしいなら最初から言うな! 聞いてるこっちまで恥ずかしくなるだろ!

「……勝手にしろ」

「うん。勝手にする」

 そうしてオレたち二人は何を話すわけでもなく、黙々と四つ葉探しを再開した。

 先に四葉のクローバーを見つけたのは、ギンタだった。




「あなたが芦屋ギンタくん? ユカから話は聞いてるわよ」

 ギンタが初めてオレの母さんと会ったのは、夏休みに入る直前のことだった。

「は、初めまして。芦屋ギンタです。いつもユカ……さん、には、お世話になってます」

 たどたどしいギンタの挨拶。ったく、なーにを緊張してるんだか。

「いえいえ、こちらこそ。ガサツな娘ですけど仲良くしてあげてね」

「母さん!」

 オレが不満を訴えると、察してくれたのか母さんはくすくすと笑いながら「あらごめんなさい」と謝ってくれた。……絶対反省してないだろ。

「大丈夫です。ユカのガサツさにはもう慣れましたから」

「あらあら」

「ギンタ!」

 オレが不満を訴えると、察したのかギンタはわざとらしく口笛なんぞ吹きながらそっぽを向いてしまった。こいつ、反省する気さえないだろ。

「……あれ?」

 そっぽを向いていたギンタが、棚に置かれていたハードカバーの本に目を留める。

「入院してもすることがないから、毎日本ばかり読んでいるのよ」

 本に興味を示すギンタを見て、入院生活の長い母さんが暇つぶしの極意を語り出した。

 携帯ゲーム機は肩が凝ってだめだとか、テレビはいつでも見られるわけじゃないとか、携帯電話が欲しいけど病院では使っちゃいけないことになってるとか。

 で、結局最後は「本が一番よね」という結論に落ち着くのだ。

 そんないつになく饒舌な母さんの話をちゃんと聞いてるのか、ギンタは曖昧に相槌を打ちながら、本に挟まっていたしおりを引っ張り出していた。

「そのしおりはね、ユカからのプレゼントなのよ」

 母さんの説明を聞いて、ギンタはきょとんとした表情でオレを見る。

 うるさい、やかましい、こっち見るな! ぷいっ!

「いいしおりですね」

 わざとらしくそんなことを言って、ギンタはしおりを――四葉のクローバーの押し花を、元の場所へと戻した。




 母さんが死んだのは、中二の冬のことだった。




 通夜と葬式をつつがなく終えたオレは、いつも通りの日常に戻ろうとしていた。

 そうさ。母さんが死んだからって、オレの生活にこれといった変化があるわけじゃ無い。

 学校帰りに病院へ寄ることがなくなった。ただそれだけのことだ。

 そんなことを考えながら、オレは仏壇の前で正座をして、普段通りの目つきの悪さで母さんの写真をじっと見つめていた。

「もっとたくさんお見舞いに行っておけばよかったな」

 オレの隣で手を合わせていたギンタが、ぽつりとつぶやいた。

 通夜にも葬式にも顔を出していたくせに、ギンタは「最後にもう一度お母さんに手を合わせたくて」と家に押しかけてきたのだ。

 そんなギンタの申し出を断る理由は、オレにはなかった。

「ギンタがお見舞いに来たって病気が治るわけじゃないよ」

「それはそうだけどさ……」

 私の悪態を受けて、ギンタは悲しげに表情を曇らせる。

 なんだよ、やめろよ、オレのことを可哀相とか思うんじゃねえよ。

「……ユカはさ、お通夜でも葬式でも、一度も泣かなかったよね」

 ギンタの言う通り、通夜のときも、葬式のときも、母さんが息を引き取ったときでさえ、オレは一度も涙を見せなかった。

 だって、オレは母さんと約束したんだ。


 母さんがいなくてもちゃんとやっていけるって。

 母さんがいなくても強く生きていけるって。


「当然だろ。オレがメソメソしてたら母さんだって安心して天国へ行けないじゃないか。オレは大丈夫だってとこ、母さんに見せてやらなきゃ」

「そういうものかな」

「そういうものだよ」

 それっきり、ギンタは黙り込んでしまった。

 仏壇を見つめたまま動こうとしないギンタ。沈黙が嫌いじゃないオレは、ギンタの気が済むまで付き合ってやろうと思い……。


 ずず……ずず……。


 沈黙に包まれていた部屋に、奇妙な音が響く。

 音の出所を探して横を見ると、目を充血させたギンタがブサイクな顔で鼻をすすっていた。

「はあ? なんでギンタが泣いてるんだよ。わけわかんねーよ」

「ユカが泣かないからだろ」

 鼻をすすりながら、ギンタは服の裾でごしごしと目をこする。

 やめろよ、汚いって、お前がここで泣く必要なんてないんだって。

「ユカが泣かないから、僕が代わりに泣いてやってるんだよ」

 なに言ってんだ。バカじゃねーの。わけわかんねーよ。

 顔をくしゃくしゃにしながら涙をぬぐうギンタへ、オレはティッシュを押し付けようとして……ティッシュを掴む自分の手が震えていることに気づいてしまった。

 葬式でも、通夜でも、母さんが死んだときでさえ涙を流さなかったこのオレが、ギンタの前でぽろぽろと涙を流していることに気づいてしまった。


 その日、オレは声をあげて泣いた。


 ギンタと二人で、涙が涸れるまで泣きつづけた。



     ※          ※          ※



 目が覚めると、そこは布団の中だった。


 ――夢、だったのか。


 昨夜の出来事……夜の公園でギンタに決別を告げた一部始終を思い出して、オレはベッドに横たわったまま腕で目を覆う。


 ――なんで今さら昔の夢なんて。


 そしてオレは気がついた。気がついてしまった。

 自分の、本当の気持ちに。

 閉じた瞼に、バカでオタクで不器用なあいつの顔を思い浮かべて――。


「……もう、サイアクなんだけど」



 一緒に泣いてくれる人は、もういない。

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