第4幕 親友の表情は(2)
万年発情期の地球人と違い、異星人のケットシーは半年に一度の割合で周期的に発情期が訪れる。
その間、ケットシーの体からは異性を惹きつけるフェロモンが放出され、当人も性的興奮を覚えやすくなるという。
「だから、いつもなら発情期が終わるまで極力外に出ないようにさせて、私も常にネコのそばいるようにしてたんだ。それが今回は――」
ネコの現状について解説しながら、ユカは傍らを歩くギンタを睨みつけた。
「お前のせいでネコが暴走しちまって」
「僕のせいって……」
電話で呼び出されたギンタは、
通りすがりの人にそれらしいネコミミを見なかったかと尋ね、屋根の上を飛び跳ねているネコミミはいないかと目を凝らす。
ギンタの部屋を飛び出してから間もないので、そんなに遠くへは行っていないだろう。そんなギンタの思惑は、しかし今のところ空振りに終わっていた。
「くそっ、どこ行ったんだよ!」
焦燥感を漂わせたユカが、イラついたように爪を噛む。
発情期のネコが変な男に捕まったりしていないか気が気ではない。そんな彼女の心配が容易に想像できるギンタだが……それを差し引いても、ユカの周章狼狽ぶりは度が過ぎているように感じられた。
「ねえ、ユカ」
「なんだよ!」
「ネコちゃんと何かあったの?」
ギンタの指摘に、小走りだったユカの足がぴたりと止まる。
「ネコちゃんが心配なのはわかるけどさ、それにしたってこの慌て方はユカらしくないよ。ネコちゃんも様子が変だったし。ひょっとして発情期の他にも何かあったんじゃないの?」
「……普段抜けてるくせに、ときどき妙に鋭いよな。お前」
それは僕がいつもユカを見ているからだよ。だからユカのことならよくわかるんだ。
と喉まで出かかったギンタだが、そんな歯の浮く台詞を口にするより先に、ユカがため息混じりに事情を語り始めた。
「さっき、ルルナから連絡があったんだ」
ユカは思い出す。受話器越しに聞いた、ルルナの神妙すぎる謝罪の声を。
『ごめんなさい。ユカさんとギンタさんが付き合ってるって話をしたら、ネコさんが血相を変えて飛び出してしまって。ひょっとして余計なことをしてしまいましたか?』
「どうやらネコは、オレとギンタの仲を疑っているらしい。なのにオレときたら、ギンタに告白されたことを隠そうとして、すぐばれるような嘘をついちまった。きっとネコはオレに裏切られたと思ったんだ。ネコが
親友に嘘をついてしまったと、片手で頭を掻き乱すユカ。
だが、苦悩するユカをギンタは責める気にはなれなかった。なぜなら彼もまた、ネコに対して「ユカのことが好きだ」と告げていたから。
もしネコが
口を閉ざし、うつむく二人。早足で歩き続けた二人の荒い呼吸音だけが夜道に響いて……。
それから唐突に、ユカのポケットから振動音が鳴り響いた。
ユカの携帯がメールを着信したらしい。慌てて携帯を開き、内容を確認するユカ。
「どうしたの?」
ギンタが問いかけると、一心不乱にメールを読んでいたユカが、簡潔に答えた。
「ネコが見つかった」
折りしもそこは、ギンタがユカに告白をした公園だった。
二人が駆けつけたとき、ネコは芝生の上で膝を抱えて丸くなっていた。
肩で息をしながら近づくユカに気がついて、ネコは座ったまま体を動かし背を向ける。
あからさまに拒絶されたユカは、仕方なく、目の前に立っているメールの発信者へと向き直った。
「ありがとう、山岡。ネコを見つけてくれて」
礼を述べられて、メールの送信者である黒縁眼鏡の女性――山岡は、「たいしたことじゃない」とでも言いたげに首を振った。
『ネコちゃんが中年のサラリーマンと歩いているのを発見した。明らかに様子がおかしかったので、サラリーマンを追い払ってネコちゃんを保護した。今、○○公園にいる』
それが、ユカに送られたメールの内容だった。
「あとはオレがやるから」
力強いユカの言葉に、山岡は笑顔でうなずく。
ネコの肩にそっと手を置いて、それからユカの目を見て、山岡は静かにその場を後にした。
(山岡さんが喋ってるところって一度も見たことないけど、あれでどうやって中年サラリーマンを追い払ったんだろう?)
会釈をして去っていく山岡を見送りながら、ギンタはそんなどうでもいいことを考えてしまう。
そんなどうでもいい疑問をよそに、ユカは背を向けて座るネコへと歩み寄った。
「ネコ……」
ネコの隣に屈みこみ、肩に手を回そうとするユカ。
その手をネコは冷たく払いのける。
「来ないで。ユカの顔なんて見たくない」
はっきりと拒絶され、それでもなお触れようと近づくユカを、ネコは両手で思い切り突き飛ばした。
芝生に尻餅をつくユカを、ネコは赤い瞳で……涙も枯れて赤く腫れあがった瞳で睨みつける。
「私がギンタさんのこと好きだって、ユカは知ってたよね? 私のこと応援するって言ったよね? なのに、私に隠れてギンタさんと付き合ってたなんて……。ユカは私のこと騙してたんだ! 私が振られるとわかってて影で笑ってたんだ!」
「違うよ、それは誤解」
「うるさい! ユカなんてもう友達じゃない!」
枯れたはずの涙が溢れてきて、ネコは膝を抱えて丸くなる。
罵声を浴びせられ、目を背けられ……それでもユカは、ネコの肩を優しく抱き締めた。
ユカに抱き寄せられて、今度はネコも抵抗しなかった。
「……ギンタ。そういえばまだ告白の返事をしてなかったな。今、この場で言うよ」
わざとネコに聞こえるように、ユカは唐突に話を切り出す。
「オレ、ギンタと付き合うつもりはないから」
ネコを抱き締めたまま、ユカの顔だけがギンタへと向けられる。
その表情は、まるで人を小馬鹿にしたような薄ら笑い。
唇の端に引きつった笑みを張り付けて、ユカは言葉を吐き捨てる。
「バッカじゃねえの? あんまり友達がいなくて可哀相だったから、仕方なく相手してやってたんだ。それをなにマジになってんだよ、気色悪い。そういうのって正直迷惑なんだ。悪いけどさ、さっさとオレの前から消えてくんない?」
吐き捨てるユカの声は、かすかに震えていた。
これ以上ないほどはっきりと拒絶されて……しかし傷心のギンタはあきらめきれない。
これはユカの本心じゃない。
そう自分に言い聞かせ、なおも食い下がろうと歩み寄る。
「二度とオレの前に現れるなって言ってんだよ!」
ふらふらと歩み寄るギンタを、ユカが一喝した。
ギンタは理解した。ここまでされては理解せざるを得なかった。
彼女は本気だと。
彼女と付き合えることは、絶対にあり得ないのだと。
ギンタは、恨み言の一つも言うことなく、その場から逃げるように立ち去った。
走り去るギンタの背中を見送って、ユカは改めて両腕に力を込める。
ネコの華奢な体を抱き締めて、抱き締めて、抱き締めて、
「見ただろ。全部ネコの誤解だから。私はギンタのことなんてなんとも思ってないから。ネコが傷つくことなんて何もないんだから」
親友の耳元で、ユカが優しくささやいている。
強く肩を抱き寄せられて、ネコは伏せていた顔をゆっくりと持ち上げる。
驚くほど間近に、ユカの顔があった。
「あいつとは何でもないから……だから……だから……」
そうつぶやく、親友の表情は――
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