第3幕 どうして(2)

「悪いな、急に呼び出したりして」

「あ、うん、それは別にいいけど」

 公園でベンチに腰掛けながら、ギンタは風雲急を告げる展開を把握すべくあれこれと思案を巡らせる。


 時刻は夜の九時過ぎ。

 殴られた顔に氷嚢を当てながら部屋でぼーっとしていたギンタは、ユカから「話がある」と電話で告げられて、街灯の明かりも寂しい近所の公園へと駆けつけた。


 話ってなんだろう?

 ひょっとして「一発殴っただけじゃ気がすまない。あと2,3発殴らせろ」とか?

 あるいは「殴るだけじゃ気がすまない。2,3発ケリを入れさせろ」とか?

 まさかとは思うけど「殴るだけじゃ気がすまない。今すぐ死ね」とか?


 ぶるぶるとおぞましい想像に身を震わせながら、それでもギンタは「逃げるわけにはいかない」と強く自分に言い聞かせる。

 ネコとの関係を誤解され、ユカとの縁はすっぱり切れた。そう思いあきらめた矢先に、彼女から電話がかかってきたのだ。誤解を解く千載一遇のチャンスをみすみす逃すわけにはいかなかった。

「コーヒーとお茶、どっちがいい?」

「え? あ、じゃあお茶で」

「はいよ」

 いつの間に買っていたのか、ユカが右手に持っていた缶の緑茶をギンタに投げてよこす。

 そのまま左手に持っていた缶コーヒーを片手で開けると、ユカはまるでそうすることが当たり前のように、ギンタの隣に腰を降ろした。

 密着とはいかないまでも、体温が感じられそうな距離にユカの気配を感じて、ギンタは柄にもなく異性を意識してしまう。


 ……と、とにかく、身の潔白を証明するんだ。

 自分とネコは何でもない、すべては誤解だと、きちんとユカに説明するんだ。

 さあ、言え! 言うんだ! はっきりとユカに伝えろ! 大きく息を吸い込んで(すう~っ)……よし!

「ユ」

「ごめん! 話は全部ネコから聞いた。オレの勘違いだったんだな。殴ったりして本当に悪かった!」

「……あ、そう。うん、わかってくれればいいんだ」

 ついさっき殴られたばかりにも関わらず、あっさりと許してしまうギンタ。

 恨み言の一つも言わないのは、それが彼の人柄なのか。それとも単に呆気に取られているだけなのか。

「あ、ひょっとして僕を呼び出したのって、それを伝えたかったから?」

「うん、まあ、それもあるんだけどさ」

 頭を上げたユカが、なぜかそっぽを向きながら照れたように頬を掻く。いまいち釈然としない言い回しに、ギンタは首を傾げてしまう。

 ユカの誤解が晴れたことは素直に喜ばしい。これでまた以前のような友達づきあいが出来ると思うと、誇張抜きで飛び上がりたいほど嬉しい。

 なのに、ギンタはユカの表情が強張るのを見て素直に喜べずにいた。

 いわば嵐の前の静けさ。

 安心して気を抜いた直後に、大きな災害で踏み潰されてしまうような、そんな不穏な空気をギンタは敏感に感じ取っていた。

「ギンタはさ、ネコのことどう思う?」

「え、ネコちゃん? どうって、かわいいと思うよ。ネコミミだし」

「そうだよな~。ネコミミだもんな~。萌えだよな~」

「萌えだよね~」

「実はネコがギンタのことを好きらしいんだ。だからネコと付き合ってくれ」


 硬直。


 これ以上ないほど単刀直入に言われているのに、ギンタはユカが何を言っているのかまったく理解できず、全身をいわおのように硬くする。

「そうかそうか、かわいいか。それを聞いて安心したよ。ネコに『ギンタが好きだから仲を取り持ってほしい』って頼まれたときはどうしようかと思ったけど、お前もネコのことが気になってたんだな。これでようやく肩の荷が下りたよ。ま、ギンタも女の子から好かれるなんて二度とないだろうから、せいぜいネコのことを大事に」

「待って」

 片手を挙げてユカの言葉を制止する。

 さっきまで硬直していたギンタだが、ようやく事態を飲み込めたらしい。石化の魔法が解けて、緩慢な動きでユカの顔を見つめた。

「それ、本気で言ってるの?」

「こんなこと冗談で言うかよ」

「……そうだね」

 言い返すユカに、納得するギンタ。納得して――話を完全に理解して、ギンタはおもむろに立ち上がった。

「でも、どういうことだよ。ユカはこの間まで『ルルナと恋人同士にしてやる』とか言ってたじゃないか。なんでいきなりネコちゃんなのさ」

「しようがないだろ、ネコがお前のことを好きだって言ってるんだから。それともお前はネコが嫌いなのか?」

「嫌いじゃないよ! でもだからって付き合えるってことにはならないだろ!」

「なに贅沢言ってるんだ。いったいネコのどこが嫌なんだ、不満があるなら言ってみろ!」

「ネコちゃんに不満なんかないよ! でも、それと付き合うかどうかは別の話だって言ってるんだ!」

「ワガママ抜かす前に鏡で自分の顔を見てみろ! お前のことを好きだって言ってくれる子がいるんだぞ。それがどんなに幸運なことかわかってんのか!」

「わかってるさ! 僕のことを好きだって言ってくれる女の子なんて、ひょっとしたら二度と現れないかもしれないって、そんなの言われなくてもわかってるさ!」

「じゃあなんで付き合えないんだよ! 他に理由があるなら言ってみろ!」

「ユカのことが好きだからだよ!!」


 硬直。


 これ以上ないほど単刀直入に言われているのに、ユカはギンタが何を言っているのかまったく理解できず、全身を巌のように硬くする。

「……ユカのことが好きだからだよ」

 聞こえなかったと思ったのか、ギンタが同じ台詞を繰り返す。

 告白を二度繰り返されて、ようやくユカは言葉の意味を理解した。

 ……理解したけれど、

「はあ? なに言ってんの? 何の冗談だよ」

 石化の魔法から解放されたユカは、唇の端に引きつった笑みを貼り付けていた。

 タチの悪い冗談を笑い飛ばそうとして失敗した。そんな表情だった。

 かたや、売り言葉に買い言葉で衝撃の告白をしてしまったギンタは「はやまったことをした」と内心で後悔していた。

 告白するつもりなんてなかったのに、どうしてユカの前だと自分を抑えられなくなるのか。ギンタは自己嫌悪にむせ返る。

 だが、後悔したところで、すべてなかったことにするわけにはいかない。

 こうなったからには押して押して押しまくるしかない。例え可能性は限りなくゼロに近くても、そうする以外に道はない。

「冗談なんかじゃない。中学のころからずっとユカのことが好きだった。そりゃ、僕みたいなやつにこんなこと言われても気持ち悪いだけかもしれないけど……」

「自分のことを気持ち悪いって言うな。いや、それより変だろ。おかしいだろ。なんでオレなんだよ。絶世の美女エンジェルネコミミ娘ケットシーを差し置いて、こんな柄の悪い、美人でもない、性格も言葉遣いも最悪な女をどうして好きになんて……」

「自分のことを最悪なんて言うな」

 はっきりと言って、ギンタはまっすぐ相手の目を見つめる。

「ユカは綺麗だよ。絶世の美女エンジェルネコミミ娘ケットシーなんか問題じゃない。僕が好きなのは宮崎ユカなんだ。僕にとっての一番はユカなんだ」

「……」

 無言のままうつむくユカ。決め台詞を放ったギンタも、どうすることもできず彼女の隣に腰を降ろす。

 ユカがコーヒーを飲む。つられてギンタもお茶を飲む。


 …………。


 これって蛇の生殺しだ!

 落ち着きなく視線をさまよわせながら、ギンタが脳内でうろたえる。

 正直なところ「ユカはどう言って断ればいいかと言葉を選んでるに違いない」と信じて疑わないギンタだが、たとえ未来がわかっていたとしても、こんな状況で落ち着けるはずがなかった。

「あのさ」

 ユカの口からつぶやきが漏れて、ギンタはシャキーンと背筋を伸ばす。

 いよいよか。

 最後通牒を覚悟したギンタは、座ったままきつく目を閉じ歯をくいしばる。


 さあ来い! どんな衝撃にも僕は耐えてみせる!


「あのさ、オレ、ギンタのことをそういう風に思ったことないからさ、何て言ったらいいのかよくわかんなくて……。返事、少し考えさせてもらっていいかな」

「………………え?」

 フラれると思っていたギンタは、思いがけない返事に言葉を失ってしまう。


 あれ? これってひょっとして、脈あるのかな?


 そんな淡い期待すら抱いてしまう。

「それじゃ、オレ帰るわ」

 ギンタとは目を合わせずに、ユカがベンチから立ち上がる。

「家まで送るよ」

「いや、いい」

 後を追うように立ち上がるギンタへ、ユカは背中を向けたまま即答して、

「……やっぱり送ってもらおうかな」

 ためらいがちに振り返った。


 なんとなく気まずい雰囲気のまま、二人は夜の公園を去って行く――

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