第2幕 あきらめることに慣れていた(2)
「う~ん、やっぱり失敗したかな~」
ぶらぶらと町を散策しながら、ネコミミ少女・岩下ネコは一人思い悩んでいた。
「愛のないやつって思われたかな~。ユカへの友情を疑われたかな~」
昨日喫茶店でユカと交わした会話を思い出して、ネコの表情はますます雲っていく。
地球人に対する愛情を「ペットに対する愛情」に例えたことで、ユカを傷つけてしまったのではないか。異星人と地球人の間には恋も友情も成り立たないと思われたのではないか、と。
「どうすれば私の愛情を伝えられるのかな。私とギンタさんが付き合えば、地球人と異星人の間にも友情や愛情があると証明できるのかな」
ぶらぶらと当てもなく街を歩きながら、ネコは空を仰ぎ見る。
地球の空はとても青くて、照りつける太陽は目にまぶしかった。
「ギンタさんか……」
ネコは四人で買い物に行った日のことを思い出す。
文句も言わず荷物持ちを引き受けるギンタ。
ユカに言いくるめられてふてくされるギンタ。
子供のために風船を取ろうとしたギンタ。
優しい彼と元気なユカのやり取りは見ているだけで楽しくて、彼の言動の端々からは温和な人柄が感じられて……。
(ギンタさんか……)
ネコの心に、何とも形容しがたいポカポカとした想いが膨らんでいく。
空に浮かぶ白い雲とギンタのユルい顔を重ね見て、我知らず微笑していたネコは……何の脈絡もなく、唐突に思考がぼやけていくのを自覚した。
体から力が抜け、がくんと膝が落ち、手近にあった電柱にもたれかかる。
「ありゃ。これはひょっとして……」
ふらついたネコが道路脇にしゃがみ込む。
いけない。早く帰らなきゃ。頭ではそう思うものの、どうにも体に力が入らない。
咄嗟にネコの脳裏に浮かんだのは、最近知り合ったばかりの優しそうな男の子の顔。
縁石にしゃがみこんだまま、ネコは震える手で携帯電話を取り出した。
「大丈夫、ネコちゃん?」
「ふにゃ~」
マタタビを食らった仔猫のように、宇宙人の女の子が腰砕けになってギンタにしがみついている。
小柄な割に豊満なふくらみを肌に感じて、純情なギンタとしては彼女の体を引き剥がしたいような引き剥がしたくないような……。
それはとある真夏日の出来事。
家でクーラーの冷風を浴びながらキンキンに冷えたアイスを食べるというささやかな贅沢を満喫していたギンタは、思いがけずネコから電話で呼び出されて、取るものもとりあえず駆けつけたのだった。
電話で教えられた場所に到着したとき、ネコは地べたにしゃがみ込んでいた。名前を呼ばれて顔を上げたネコは、なんだか意識が朦朧としているようで、目の焦点が定まっていなかった。
これは熱中症だ。
そう判断したギンタは、ふらつく彼女に手を貸して、ネコが暮らしているマンションへ向かうことにした。
かくして、出来るだけ日陰を歩き、コンビニで水分を補給しつつ、ようやく辿り着いたネコの部屋の前で……ギンタは美少女に抱きつかれて困っているという状況。
「ネコちゃん、鍵、鍵」
「ふにゃ~」
ネコが覚束ない手つきで鍵を取り出すと、ギンタはすぐにドアを開け、小柄なネコを室内へと引きずり入れた。オートロックなのだろう、閉じたドアがガチャリと冷たい金属音を響かせる。
「ごめんくださーい。誰かいませんか。ネコちゃんが熱中症に……」
「ざんね~ん。誰もいないよ~」
ネコの家族を呼ぼうとするギンタに、当事者がろれつの回っていない舌で説明する。
自分は単身地球へやって来た留学生であること。この部屋で一人暮らしをしていること。ついでに言うと、男の人を部屋に入れるのはギンタが初めてだということ。
「へ、へえ、そうなんだ」
「お姫様だっこ~」
「は?」
動揺しているギンタの首へネコが腕を回してきた。
首にネコの重みを感じながら、「ひょっとして酔っ払ってる?」などと疑うギンタ。だが、顔は赤いが酒の匂いはまったくしない。まさか、どこかでマタタビでも拾ったとか?
「右の部屋が寝室だから、だっこして連れてって~」
「え、や、あ、はい」
よくわからないまま、言われた通りにお姫様だっこするギンタ。両手がふさがった状態で器用に靴を脱ぎ、寝室へと上がりこむ。
ここ数年、ゲームのコントローラーより重たい物は持ったことのないギンタだが、それでもどうにか寝室にネコを運ぶことが出来た。
「女の子って軽いんだな」などと思いながら、慎重にネコの体をベッドに横たえ、首に回された手を解く。横たわるネコから離れたところで……。
妙に甘ったるい匂いがして、ギンタは頭が真っ白になるような不思議な浮遊感を味わった。
「ふにゃあ~」
甘えた声をあげながら、ネコがごろんと寝返りをうつ。
ミニスカートがまくれ上がり、あらわになったふとももに、ギンタの目が釘付けになる。
「今日は暑いね~」
「そ、そうだね。熱中症には気をつけないとね」
心ここにあらずといったギンタの台詞に、ネコはくすくすと声を殺して笑う。
と思ったら、のそりと起き上がり、白魚のような細い指で躊躇なくブラウスのボタンを外し始めた。ギンタが見ている前で、白い肌と豊かな胸の谷間が露になっていく。
ケットシーでネコだけど、毛深くはないんだな。
そんな見当違いな感想を抱いてしまうギンタは、自分の理性が崩壊しかかっていることを自覚していた。……自覚しているのに、抗うことが出来なかった。
「ネ、ネコちゃん。何してるの?」
「暑いから服脱いでるの~」
しおれた花のようにネコミミをしんなりと垂らしながら、ネコが舌足らずな声で答える。
おかしい。
絶対変だ。
そう頭ではわかっているのに、ギンタはネコの胸の谷間から目が離せない。
「……触りたい?」
ブラウスを脱ぎ去り、上半身は黒いチョーカーとピンクのブラだけとなったネコが、上目遣いに尋ねてくる。
「いいよ。ギンタさんだったら、触っても」
甘い香りのする部屋で、ベッドの上のネコミミ美少女が、ピンクの下着と豊かな谷間を見せつけながら、潤んだ瞳でギンタを誘っている。
白い肌はかすかに火照っているようで、さわり心地の良さそうなネコミミは恥ずかしそうに折りたたまれて、鮮やかなピンク色の爪と、舌先がちらりと覗くピンク色の唇と、無色なのにはっきりと色が見えそうなほど濃厚なピンクの吐息……。
朦朧とする意識の中、磁石に引き寄せられるようにギンタの手が伸びる。
顎の下をそっと撫でられて、ネコは気持ち良さそうに目を細める。
ネコはギンタの手を両手で挟み込むと、柔らかな山の頂へと導いた。導かれるままに手を動かすギンタの、脳裏に思い浮かぶのは――
――大好きな、ユカの笑顔。
「!」
大慌てでネコの手を振り払い、飛び退くようにベッドから離れるギンタ。すぐに背中が壁にぶち当たるが、それでも壁に張り付き、少しでもネコと距離を取ろうとする。
「どうしたの?」
妖艶な笑みを浮かべながら、ネコが這うようにして近づいてくる。
だが、正気を取り戻したギンタにははっきりとわかっていた。今のネコはおかしい。明らかにいつものネコじゃない。
「ギンタさんは、私のことキライ?」
四つん這いのネコミミ美少女に潤んだ瞳で見つめられ、ギンタは力ずくで押し倒したくなる衝動を必死に堪える。
「私のこと、キライなの?」
下着姿のままにじりよるネコ。壁を伝うようにして離れるギンタ。
何が何だかわからない……。わからないが……。
これ以上ここにいてはいけない。
ギンタはネコに背を向けて一目散に寝室を飛び出した。
ただ、逃げる途中で、
「ネコちゃんは熱中症で頭が混乱してるんだよ! 水分とって、足を高くして、安静にして、そうしたらきっと正気に戻るから。いいね! ちゃんと休むんだよ!」
とネコの体を心配する台詞を言い残す辺りが、いかにもお人好しな彼らしい。
焦っているせいかドタドタバタバタガチャガチャと大きな音を立てて玄関を飛び出すギンタ。オートロックが作動してガチャリと冷たい金属音が鳴り響き、ようやくネコは彼が部屋を出て行った――自分の前から逃げ出したのだと認識した。
ぽつん。
ひとり寝室に取り残されたネコ。そのまま「ぺたん」とベッドの上に尻餅をついて……。
「……あれ?」
初めて、自分が涙を流していることに気がついた。
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