幕間劇 ギンタの場合(1)

 僕の初恋の話をしよう。



 彼女と知り合ったのは、中二の春のことだった。

 一学期初日の朝。中学に入って初めてのクラス替えで少し緊張していた僕は、誰ともおしゃべりすることなく一人静かに席についていた。

 もとより友達のいない僕には、声をかけてくる人間など誰もいない。

 友達づきあいの苦手な僕だから、今日一日誰とも口をきかないまま……ひょっとしたらこれから一年間誰とも仲良くなれないまま、時間だけが流れていくのかもしれない。

 ぼーっと教室を眺めながら、僕は漠然とそんなことを考えていた。


「オッス。オレ、宮崎ユカ。よろしくな」


 ……だから、たまたま隣の席に座った女子が名乗っても、それが自分に向けられたものだとすぐには気づけなかった。

「お前、名前は?」

「あ、え、僕は、えっと、芦屋ギンタ……」

「おう、よろしくな。ギンタ」

 いきなりファーストネームを呼び捨てにすると、初対面の女子はニッと白い歯を剥き出しにした。色気も何も感じられない気安い振る舞いに、僕はただただ唖然としてしまう。

 僕が間の抜けた顔を晒していると、こちらの視線に気づいたのか、彼女は白い歯を見せながら何の脈絡もなく「びしっ」と親指を突き立てた。

 オーケー? ナイス? ベリーグー?

 いったい何のアピールなのかよくわからないが、とにかく無意味に気合いの入りまくった彼女の仕草に、僕はわけもなく吹き出してしまった。


 それが、僕とユカの最初の出会いだった。




「意気投合」という四字熟語は、僕らのためにあるに違いない。

 他人と喋るのは苦手な僕が、ユカとだけは肩肘張らずに会話できた。彼女の前では素の自分をさらけ出すことができた。そして、口下手で不器用で人付き合いがとことん苦手な僕に、ユカはいつだって笑って付き合ってくれた。

 オタクで引きこもりでコミュ障だった僕は、ユカのおかげで少しだけ他人と話すことが苦にならなくなった。

 ユカのおかげで、僕は人前でも笑えるようになった。少しだけ人に優しくできるようになった。

 それは、ずっと壁を作って他人を遠ざけていた僕にとって革新的な変化だった。


 そうしてユカは、僕の一番の友達になった。


 このままずっと友達でいたい。高校生になっても大学生になっても、ユカとはいい友達でありつづけたい。そう思っていた僕の心境に変化の兆しが現れたのは、彼女と出会って一年後――中学三年の一学期初日のことだった。




「オレさ、高校は聖純に進学するつもりなんだ」

 放課後。一緒に下校していたユカが何気なく語った学校名に、僕は目を丸くしてしまう。だって聖純高校といえば、近隣でも有名なお嬢様学校じゃないか。つまり――

「……女子高だよ?」

「知ってるよ」

「……」

「なんだよ、その可哀相なものでも見るような目は」

 気づいている人も多いと思うが、ここではっきりさせておこう。

 ユカは女の皮をかぶった男だ。

 しかも漢字の「漢」と書いて「おとこ」と読ませるタイプの男だ。

 自分のことをオレと呼ぶし、細かいことには拘らない性格だし、制服以外でスカートをはいているのは見たことないし、かわいい子を見るとオヤジ臭いノリでちょっかいを出すし……。

 そんな女らしさの欠片もないユカが、何を思ったのか女子高に進学すると言い出した。だから僕は、どうしても言わずにはいられなかった。

「それって犯罪……」

 ギロリ。

「そ、そうだよね。ゲームやアニメでも男装して女子高にもぐりこむのは定番だもんね。うん、ユカが女子高に紛れ込んでもおかしくない。全然おかしくない」

「殴るぞ」

 ユカの場合、口だけで終わらずに本気で殴ったりするから始末が悪い。

 脅迫に屈した僕が口にチャックをしていると、

「まあ、ぶっちゃけ自分でもどうかと思うけどさ。しょうがないだろ、親父の希望なんだから。きっと聖純に行けば少しは女らしくなるとでも思ってんだよ」

 乾いた笑みを唇に貼り付けて、ユカは寂しそうに目を細める。

「でも、親父の望みは出来るだけ叶えてやりたいと思うしさ。ほら、よく言うだろ。孝行したいときに親はなし、って」

 ……ユカは卑怯だ。ここで親の話なんて持ち出されたら、僕は何も言えないじゃないか。

 だから、僕は納得した。ユカの進路に、納得せざるを得なかった。

 納得して、その瞬間に気づいてしまった。


 誰よりも男らしいユカと、別れたくないと思っている自分に。


 最高に女らしくないユカと、いつまでも一緒にいたいと願っている自分に。


 彼女に、恋をしている自分に。




 卒業式の前日。僕はユカを人気のない校舎裏に呼び出した。

 中学生として過ごす日々とももうすぐお別れ……そんな状況まで追い詰められて、ようやく僕は覚悟を決めたのだ。

 本当はもっと早くに気持ちを伝えたかったのに、度胸のない僕は「明日こそ、明日こそ」と予定を先延ばしにしていた。

 自分の不甲斐なさが情けないけど、でも、しょうがないよね。だって、これは僕にとって初めての経験なんだから。


 女の子に告白するなんて、初めての経験なんだから。


「なんだよ、こんなところに呼び出して。話なら教室ですればいいだろ」

「いやその、なんて言うか、教室は人目があってまずいって言うか」

「ふーん。ま、いいけど」

 僕の意味不明な言い訳にも、ユカはあっさり納得してしまう。細かいことは気にしない。それが彼女の性分だ。

 彼女のサバサバした性格は好きだけど、物事を深く考えようとしないのは困りものだ。

 だって人気のない場所に二人きりだよ? 普通こんなところに呼び出されたら「告白かな」って思うよね? なのに今のユカは、そんな展開なんて微塵も想像すらしてないんだよ?

 キョトンとした顔をしているユカへ、僕はどう話を切り出せばいいものやら。脳内で散々予行演習してきたにも関わらず、僕は今さら悩みはじめてしまう。

「おっと、そうそう。忘れないうちに渡しておかないとな」

 僕が何も言えずに口篭もっていると、ユカが思い出したようにポケットをまさぐり始めた。

 彼女がポケットから取り出したのは、一枚の紙切れ。

 そこには、○九○で始まる数字の羅列が記されていた。

「卒業祝いに親がケータイを買ってくれたんだ。せっかくだから、ギンタにも番号を教えておくよ。高校は別々でも、ケータイがあればいつだって連絡が取れるだろ」


 ――高校生になっても一緒に遊ぼうぜ。


 暗にそう告げられて、それまで重苦しかった僕の心は嘘のように軽くなった。


 高校生になってもユカと遊べる。

 今までと同じようにユカといられる。


 そう思い安心した僕は、愚かにも思ってしまった。

 だったら、今すぐ告白する必要はないじゃないか。

 いつかは告白しなきゃいけないけど、それは別に今じゃなくてもいいじゃないか。

 もう少しだけ、友達のままでもいいじゃないか。



 そして僕は、告白するのをやめた。


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