来客



 煩いばかりの足音を響かせながら、それでもその大きな肉厚の手は小さな少女の手をしっかりと握り、屋敷を去る伯爵の見送りをするのは巳影の仕事で、十二月はというとあろうことか奥に引っ込んだまま顔すら出さない。仮にも太客だというのにも拘わらず、だ。

 そんな傲慢な主人の分までしっかりと丁重に頭を下げお見送りをする巳影に、伯爵は得意の鼻を鳴らし、門を潜る直前に足を止め巳影の方を振り返る。


「……お前も散々だな。」


 真摯な表情でそう言う伯爵。その手の先、小さな手を握られるがままの少女はご主人である伯爵に宛がわれたんだろう煌びやかなレースのドレスに身を包み、可愛らしくお化粧まで施されていた。


―――人は変わる。

呆気ないほど簡単に、誰かの手さえあれば。


―――人は容易く変わり果てる。


「確かにあの男は顔も頭も良い。商売にも長けていて財に困ることは無いだろうが……それでも私は断言できる。あの男に飼われた君よりも私に飼われたリアンの方がずっと幸せになれる、と。」

「……。」


 ただそのどれもが一人では成らない。ここに送られてくる人間達が自力では自分の定め一つ変えられなかったように、人に手によって染められるのは時に興醒めする程簡単だというのに、自分の手で自分を染め上げることは驚くほどに難しいのだ。


 少女の目は死んでいた。

 しかし以前は痩せこけていた頬には肉が付き、傷だらけだった肌は陶器のように染み一つなく縫合され、合わせ布で出来たボロボロの衣服は面影すらなく、


「きっと私は彼女を幸せにして見せる、お前はどうだ?―――と、あの男に言付けだ。」


―――そんな彼女はきっと幸せに向かって歩んで行ってるのかもしれない。ある種、特殊に例外的な常人には理解できないだろう、しかし“以前”と比べればきっと彼女は幸福なのだろう。



 刺を纏った深紅の薔薇道―――人は皮肉りこの小道をこう呼ぶ、“いばらの小道≫と。小さくなる二人の背中が視界から綺麗に消えた時、緑の枝はまるで生き物のように蠢き、小道を完全に閉鎖した。


 完全に屋敷への道は閉ざされたのだ。


 通りから見ればそこに入り口なんてものは最早存在せず、ただ少しばかり不自然に薔薇が植えられてるように見えるだけ。一体誰が想像できるだろう。

 

見るも目に美しい花の先、こんな道が、こんな屋敷が存在するなんて、一体誰なら想像できただろう。それを想像し創造したのは後にも先にも十二月ただ一人のみだ。


―――想像できないものは創造できない、その言葉は真理に尽きる。





 伯爵からの言伝をそのまま伝えた巳影に十二月は一瞬その表情を固まらせ、そして直ぐに笑い転げた。


 文字通り、本当に笑い転げた。

 贔屓にしてるアンティーク家具屋で仕入れた二人掛けのソファに寝転がっていた十二月は腹を押さえ、苦しそうな引き笑いを盛大に部屋中、否、屋敷中に響かせながら耐えられないとでもいうように、ごてん、と毛足の長い絨毯の上に転げ落ちたのだ。


 ひとしきり笑い終えた十二月は反転した視界、絨毯の上に仰向けになった十二月は煌びやかに輝くシャンデリアを見上げると、その眩しさに僅かに目を細めて、


「巳影。」


 低い声で名前を呼ぶ。

 滅多に聞くことのできない十二月の本来の声に巳影はその背筋を微かに震わせた。


「……はい。」


 腰の前で品よく握った手は汗ばんで行き、かろうじて絞り出した声は心許ない掠れた小さなもの。

 明らかに委縮してる巳影を気配だけで察知した十二月は軽薄な笑みを一つ零して、白い歯を覗かせる。動き出した十二月の口許に一体何を言われるのかと無意識に唇を噛みしめた巳影に、


「来客だ。」


振って来た声は予想から遠く離れた圏外のそれ。

「は?」と間抜けで不躾な声が漏れたのもしょうがない。本人はそう自らの口から音を漏らしたことさえ気付かないほどに不意を突かれているのだから。


「何をしてる。呆けてないでお出迎えの準備をしておいで。」


 そう言われても尚、巳影の身体は動かない。しかしそれもしょうがないと言えばしょうがないことだった。小道が開閉した音は無く、この屋敷にはその小道を通る以外に道は無いのだ。


 一瞬十二月がトチ狂ったのかと巳影は思ったほどだ。

 そのくらい訳の分からない言葉に委縮していた身体の筋肉は解れ、それでも頭は働かないままだった。


 しかし十二月は決してトチ狂った訳ではない。冷静だ。十二月という男は常に冷静沈着に柔らかく構え、そしてその勘を今までかつて一度も、


「おや……その必要は無かったみたいだねえ。客人のお出ましだ。」


―――……外したことがない。



 十二月の言葉が最後まで巳影の耳に届くことは無かった。声をかき消すように広間の扉が勢いよく開かれたからだ。


 この屋敷の主は十二月のみ。

 この屋敷に仕えるのは巳影のみ。


 この屋敷で意識的に動けるものといえば、後は―――……、


「はぁっ、はぁっ……してやる……、……だ……やる……殺してやる……ッ!!」


―――……商品だけ、だ。




♢♢♢



 首都、ロンドンから少し離れたところ、アリスメンデス通り二十四番地と名付けられたその場所は大きな十字路のすぐ脇、そこにひっそりと存在する小さな小道を抜けたそのまた先にある。


 だがその存在を知る者はそう多くは無い。


 なにせアリスメンデス通りに二十四番地は存在しないのだから。……少なくとも地図上は。しかしその場所は確かに、あるのだ。まるで異世界にでも迷い込んだかのように見た物を錯覚させる黒く天に向かって聳え立つ大きな黒塗りの門とその先にあるゴーストハウスのような外観の屋敷。

 門には大きく“十二月”の表札が掲げられている。


 残念ながら呼び鈴なんて粋なものはないが、招き人が訪れたと同時に自然に開閉するくらいには粋な計らいを忘れない店主が切り盛りするその屋敷。黒門が開くとすぐに無機質な女の声が飛ぶ。


“合言葉は?”


と。


 なに、大したことじゃない。招き人はただ素直に他の宅を訪ねる時みたく当たり前の文言をただ当たり前に言えばいいのだ。“十二月さんの屋敷でよろしいですか?”と。


 十二月、その名さえ知っっていればなんなく迎え入れられる。とてもシンプルで簡単でわかりやすい合言葉だ。


 ただ間違えてはいけない。


 首都ロンドンで日本名を名乗る屋敷はそう多くなく、また真に残念ながら十二月≪ヒズミ≫の名を初見で読めるものはこの世に存在しない。なぜなら―――……世界中探したってそんな名はないのだから。

 本来、どう考えたってそうは読まないし読めないのだ。


 だからこれは頭の優劣の問題なんかではなく、知っているか知らないかの二択でしかない。もっと言えば招かれた客か招かれざる客かの二択だ、とでも言えばわかりやすいだろう。

 間違えてはいけないのだ。


―――……なにせ招かれざる客はもう二度と棘の道を潜ることなど出来ないのだから。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

√X-1/2 小鳥遊うた @root_248

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る