潜む脅迫
「なんだと!貴様!!私を誰だと思ってるッ!!そんな代用品なんかで私が納得するとでも思ったのか!!貴様はこの私を侮辱するつもりなんだなッ!!」
―――応接室。
顔を真っ赤にしながら憤慨するドレッド伯爵の前で、優雅にアールグレイを啜る十二月は怒鳴り声が終結したと同時に、にっこりと伯爵に笑みを見せ、
「巳影。」
「……はい。」
「伯爵はなんと?」
「大層お怒りです。」
そう巳影に通訳を求めた。
この地に屋敷を立てて早十年、店を開いて九年と十一ヶ月も経とうというのに、まるっきり英語を話せもしなければ話せるようになろうという意識すらない十二月に巳影は呆れた溜息すらもう吐かなくなっていた。
人間の順応性とういうのは恐るべきものだ。
「いいからリアンを直せ!!まだ十分に保証期間のはずだろうッ!!もう毎晩痛がるリアンの悲痛の声を私は聞きたくないッ!!」
「……あの少女を調教しろ、と。」
「はん。お前が下手くそだから濡れないのだと教えてやれ。」
「……確かに保証期間内ではありますが、修理には時間がかかる上、大層な苦痛を伴います。それにこの症状は故障でも不調でもありません故、何卒ご理解頂きたい。」
「なんだと!!貴様ら詐欺師は初期不良の人形を寄こして置いて責任を放棄する気か?!……いいだろう!!私を敵に回すことも辞さないというのだな?!」
ドレッド伯爵は十二月の顔を指しそう唸りを上げる。
勢いづいて前のめりになった所為で大きく膨れ上がった伯爵の腹がアルカナ製の金彫りをあしらったテーブルを揺らし、その衝撃を受けた十二月の肘がティーカップの中の紅茶に波を立たせた。
「熱……ッ……はぁ。一体何をそんなに怒ってるんだい、この家畜は。」
「……全面抗争だそうですよ。」
「それはいい。精々金に物言わせて武装でも奇襲でも爆撃でも好きに仕掛けてくれと伝えろ。小生は大歓迎だ。」
手に掛かった紅茶を舌で舐めとりながらそうシニカルに笑う十二月に、巳影はたまらず溜息を吐いた。
「……申し訳ありません。この国の重鎮であられる伯爵を敵に回すなど滅相もないことです。ただそれ意外伯爵の気を静める方法が無いというなら、止む負えません。」
「覚悟は出来ていると言いたいのだな?!」
「ですからそのようなことは、決して。しかし、」
「なんだッ!許しを請うなら言ってみろッ!!」
「売買契約の際に交わした受諾書、その存在をお忘れなわけではないですよね?……まさか。」
「貴様ッ!!政府の狗如きの貴様らがこの私を脅すと言うのか?!」
「まさか。顧客の守秘義務が私たちにとって一番の最重要事項です。ただそれは……お客様がお客様であられる場合のみに適用されるということをお忘れなきよう。」
「……ッ!!」
「それに……、」
「まだ何かあるのかッ!!」
「会いたがっています。」
「……。」
「彼女はご主人に会いたいと毎晩啜り泣いていて、さすがの十二月でも手に負えない状況。どうか早々に迎えてやっては頂けないでしょうか?」
巳影はそう微笑を浮かべ応接室の扉に視線を流す。その視線を追うように同じく扉に目を向けた伯爵は一瞬の沈黙を纏った後、
「そこまで言うのなら……仕方がない。」
そう“降参”の意を示した。
フンッ―――と、鼻を鳴らして顔を背けた伯爵はここにきて初めて、目の前に置かれたティーカップに手をつける。その様子を上目で盗み見た十二月が巳影の顔に視線を流し口元に笑みを浮かべる。
「……なんだい。抗争はまだなのかい?」
「たった今、めでたく終戦を迎えました。」
「それはそれは。」
「今日中にはあの少女を連れて帰って頂けるか、と。」
「あらら、小生としては結構楽しみにしてたんだけどね。ポークソテー。」
「はい?」
「ほら、見なよあの腹。……スライスするのは小生の十八番だからねえ?豚も……人間も。小生の手に掛かれば綺麗に無駄なく削ぎ落とせる。」
「……御冗談を。」
「生憎、小生は冗談が余り好きではないのだよ。」
「……。」
「覚えておくといい。」
そう嗤った十二月は空になったティーカップを音も無く皿に置くと、伯爵の前に手を差し伸ばす。十二月にしては愛想のいい笑いを浮かべてるつもりなのだろうが、その笑みは陰湿で薄気味悪いとしか言えなかった。
そんな勝ち誇ったようにも取れる微笑を浮かべる十二月の手を伯爵は忌々しげな表情のまま、仕方なしに握る。
「これからもどうそご贔屓に。」
気怠げにしかし仰々しく、肉厚な伯爵の手を力一杯に握り締め上下にブンブン――と振った十二月はそう流暢に英語でご挨拶をしてみせた。この男が唯一話せる英語はこれに尽きる。
―――……握手を交わす二人を横目に見ながら巳影はその額に冷や汗を滲ませていた。
怖い男だ、十二月輪廻という男は。
たった今しがた一時抗争にも発展しかねなかった伯爵との関係を半ば言いくるめる形になったとはいえ、十二分に円満に丸く収めた巳影にかけた十二月の言葉は労りでもなければ賞賛でもない。
“スライスするのは小生の十八番だからねえ?豚も……人間も。小生の手に掛かれば綺麗に無駄なく削ぎ落とせる。……覚えておくといい。”
―――……それは巳影にとって脅し以外の何物でもないのだから。
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