Weather Report

唯希 響 - yuiki kyou -

ウェザーリポート



平成△年 ○月×日 午後□時



 雨が上がる。

 やがて雲の切れ間から、微かに太陽の光が差し込む。

 街行く人が、一斉に傘を畳み、空を見上げる。

 一気に風景が色づく。



 この瞬間が、苦手だ。



 思い出したくもないことを、思い出してしまうから。

 いや、

 本当は一度だって、いつだって、一瞬たりとも、

 忘れたことなんて、ないのだろう。


 これは罰だ。


 そう思い起こすたび、あなたの笑顔が強制的に目に映る。

 そのままその光景が一日中、頭にこびりついて、

 目を閉じる度、鮮明に思い出されるあなたの笑顔に、突き落とされる。

 深い深い、意識の海に飲み込まれそうになる。



 今日の天気は、あの日と似ていて、いつもより痛い。



 だから、ずっと近付いていなかったあの交差点なんかに来てみたりして、

 車屋のショーウインドウに映る自分を見て、汚らわしいと思ったりしたりして、

 途端にとてつもなく消えたくなったりして、

 12年越しに君の後を追ってみたくなったりした。


 大した理由はない。

 人が死んだり生きたりすることに特に理由なんていらない。

 そうじゃないと、あまりにも、君が、


 君を、



 赤信号、浴びせられるクラクション、あの日と同じマンホール。

 







 今日も傘は差せない。

















××××××××××××××××××××××××××




















昭和▲年 ●月×日 午後■時







藤城ふじしろ! おい、藤城!」


 とてつもなく眠い。でも誰かが俺を呼んでいる気がする。

「藤城 崎ヲさきを!! 返事しろ!!」


「うあああっ!!!」


 突然の大声に椅子から滑り落ちてしまった。

「お前、また寝てたろ。授業中は居眠りの時間じゃないぞ」






 ………………………………は?






 ……こいつは何を言っているんだ? 

 まず誰だこいつ。なんか、どこかで見覚えが————。


「おい寝ぼけてんのかよ、それとも頭でも打って記憶喪失にでもなったか」

 隣の席の男がおどけた様子でひっくり返ったままの俺に手を差し伸べてくる。


 ————席?


 見渡すとそこは見覚えのある景色。


「………………」

「崎ヲ? 本当どうした? なにぼーっとしてんだよ」

「い、いや……悪い」

 そのまま差し出された手を掴む。……ここは教室。しかも雰囲気から察するに小学校のだ。

 もちろん俺は24歳であり小学生ではない。……断じてない。俺は中学どころか高校も卒業したはずだ。いまさら小学校に通う義理なんかない。差し出された手に引かれ立ち上がりクラス全体を眺める。


 やはりそうだ。ここは教室。

 俺が……小学生の頃の母校の……。


 ——そして、いつもより目線がとてつもなく低い。


「何、突っ立ってるんだ? 早く座れ」

 教師が俺に向かって言う。記憶の片隅にこいつを覚えている。ひどく混乱している俺は何が何やらわからなくて言われるがまま席に座る。

「おい、なんか変だぞお前。変な夢でも見たんじゃないか?」

 隣の席の男が小声で俺に喋りかけてくる。

 ……思い出した。こいつはヒデアキだ。苗字と漢字は覚えてないけど小学校の頃の俺の友達だったやつだ。


 ……これはなんだ?


 確かさっきまで俺は………………、何をしてた? 記憶が混濁している。それにさっきとはいつのことだ。

 自分の手を見る。すごく小さい。そして真っ白だ。紛れもなく小学生の手だ。


 まるで…………タイムスリップしたみたいだ。


 そんな漫画みたいなこと、ありえるのか……?






「そうだ、居眠りしてた罰だ。前に出てきてこの問題を解いてみろ」


 そう俺に言いながら黒板に書いてある問題を指差す……、思い出した、こいつはヤナギバだ。若くてイケメンで人気があった先生。たしか、俺の4年から6年までクラス担任だったような気がする。

 黒板に目を移してみるとどうやら今は数学の授業だったらしい。……いや、小学校だから算数か。

 舐めてるとしか思えないほど簡単な問題が書かれていて、それを俺に解けというらしい。


 言われるがまま、黒板まで出て行き、答えを書いた。

「おい藤城…………お前、途中式は?」

「……はい?」

「いや、そりゃ正解であることは間違いないんだが……お前、そんな頭良かったか? ……まあいい。席、戻っていいぞ」


「藤城すげー! 頭の中で計算したのかよ!」

「すごいね!」

「こらお前たち、静かにしろ! お前らも真面目に勉強してこれぐらいできるようになれ」


 そんな会話すら耳に入らずに席に戻る俺。

 

 全く理解が追いついていない。これはどういうことだ。夢なのか。

 いや、夢以外何があるというのだ。

 タイムリープなんか現実にはありはしない。……はずだ。


 じゃあ何で俺はこんなけったいな夢を見させられているんだ。


 




 …………そういえば。






 もし仮に今、この夢が俺の小学生の時の記憶を写しているというのなら、

 きっとアイツがこの教室に。





 ————————いた。





 どうやら夢は夢でも、これは悪夢の類かもしれない。


 窓際の一番後ろの席。生まれつきの茶髪、やけに長い前髪が目元を隠していてよく表情がみえないが、確実にアイツだ。

 一度たりとも忘れたことはない。忘れられたことなんかない。




 ————佐々宮 楠葉ささみや くずは




 あの車屋の前の交差点で、トラックに轢かれて死んだ、







 …………いや、自殺した、俺の幼馴染。




















 俺たちは、普通の幼馴染だった。

 向かい合わせの家に住む同い年。仲良くならない理由はない。

 幼稚園の頃から小学校低学年までずっと一緒に学校へ行って、そして一緒に帰ってきていた。

 そんな日常が壊れたのは小学4年生の頃、楠葉の父親の不倫が原因で夫婦仲が悪化し、そのまま時を待たずして離婚した。楠葉は母親に引き取られ家を売り近くのマンション住むことになったのだ。

 それから俺と楠葉、近所ではなくなってしまったが、二人の通学路が交わるこの車屋の前で待ち合わせして学校へ行っていた。

 でも楠葉の不幸はそこで終わらなかった。母親と二人暮らしになってからの直葉は母親の離婚からくるストレスのはけ口にされ、虐待を受けていた。

 もっとも当時、幼かった僕は、それに気付きもせず、楠葉と通学路を共にしていたのだけど。


 彼女の轢死体からは車に轢かれてもなお、認識できるほどの虐待の後が残されていたらしい。


 俺は長い間能天気に肩を並べて、あの雲が何に見えるかを語り合うとか、色のついた床だけを踏んで帰るとか、永遠と別れるまで終わらないしりとりとか、どうでもいいことを繰り返してばかりで、幼い俺は何も知らなかった。


 楠葉は年の割にかなり大人びていて、そして達観した目線を持っていた。それが当時の俺には、格好良く思えて、そして同時に恐ろしく思えていた。



 大人になった今でも、彼女には何も勝てないんじゃないかと、思ってしまうほどに。


 でも実際にそれを確かめ、測る術はもう存在しないのだ。

 彼女を記憶の中に置き去りにして、俺だけが大人になった。




 楠葉は、いつでも笑っていた。


 彼女の中でどれほど過酷な日常が繰り広げられていようと、俺と共に歩くこの200メートルの通学路では、笑顔を絶やさなかった。


 そんな彼女の強さが、俺はずっと怖かった。




 それでも、たとえ夢だとしても、俺は楠葉の声が聞きたかった。


 もう二度と、俺の元に訪れるはずのなかった時間が、今この瞬間に流れている。


 それが幻想であるのか、虚像でしかないのか、空想に過ぎないのか、

 そんなことは、気にするまでもなかった。




 今、彼女と同じ空間を共有している。

 それだけで、俺の思考は覆い尽くされて、支配された。









 彼女に、もう一度会えたことを、


 俺は、幸福だと感じてしまっていた。
















 授業が終わり昼休みになると同時に、俺は楠葉の元へ駆け寄った。

「おい……楠葉、だよな……」

 俺の声に反応して眠そうな瞳をこちらに向ける。俺の記憶、そのまんまの姿の彼女がそこにはあった。

「……なんですか、

 そっけなく、そして拒絶するような瞳で、本来とは違う呼び方をされる。


「いや、……あの、」

「用がないなら、どっかいってくれますか。眠いので寝させてください」

「お、おう……」

 その必要以上の拒絶に威圧され、言葉が出なくなる。


「おーい! 崎ヲ! 何やってんだよ、早く昼飯食って遊び行こうぜ! グラウンド、他の学年に取れちゃうぞー!」

「……お友達、待ってますよ? ……早く行ったらどうですか?」

 それ以上は何も言えず、俺は黙ってそこから退散し、呼ばれた方へ向かう。

 だんだん思い出してきた。ヒデアキ、タカフミ、ヒロタカ、この3人といつも学校では遊んでいた。……だが、


「佐々宮と何話してたんだよ。魔女との契約でもするつもりかー?」

「おいやめろよヒデアキ。女子に聞かれたらどうすんだ、崎ヲもあんまりあの子に近づくなよ、危ないから」

「突然、どうしたんだ。崎ヲ、お前らしくもない」


 そう。

 こいつらは俺と楠葉が幼馴染であることは知らない。そして楠葉は、親からの虐待のみならずクラスでいじめを受けていた。


 よくある話だ。いじめを受けた奴が、それから逃れるために自分より弱い奴をいじめて、いじめから逃れようとする。そうして対象がコロコロ変わる。

 そんな幼いコミュニティーの中で、一人それに動じない達観した奴が現れると、そいつに照準が固定されてしまう。

 そして、楠葉は女子に執拗に攻撃対象にされていた。成績優秀で、そして贔屓目で見てもルックスが他の女子に比べて良く、珍しい茶髪という見た目も要因の一つであるだろうが、いじめの対象になる前は男子からの人気もあった。

 それを良く思わない女子たちが、楠葉へのイジメが始まったと同時に、その鬱憤をこれでもかと発散し始めたのだ。

 具体的に何をされていたのか、楠葉は話したがらなかった。というより、いじめられていたこと、そして虐待を受けていること、そのことすら彼女の口から告げられたことは一度たりともないのだ。












 虐待も、いじめも、気付くまでに多くの時間をかけてしまった。

 俺がそのことに気づいたのち、俺と楠葉の間で約束が交わされた。
















■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■







「だから約束」

「……え?」

「私たちがずっと友達で居られるように」

「私たち二人が、笑顔で居られるように」

「私たち二人が傷付かないように」

「……うん」

「私たちが友達でいるのはここから車屋さんの前まで、だけ」

「……」

「ここ以外の場所では友達じゃないから、喋らない。見ない。気にしない。…………そして、助けない」

「……でも」

「これは私たちのため。『私』と、そして、『君』のため」

「……」

「ねえ、……お願い」

「……」

「崎ヲ……」

「……………………うん」

「ありがとう! 崎ヲ、大好きだよ」


 そう言って、彼女は笑顔で僕に抱きついてくる。

 そんな顔をされたら、それ以上、僕は何も言えなかった。







■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

    










 主導権はいつだって楠葉に握られて、俺はその彼女の後ろについていくことがやっとだった。 

 いや……こんなもの言い訳でしかない。傷ついたその時を近くで見ていたとしても、その俺の目の前でなお、彼女は笑っていた。

 


 


「今日のあれは、だめだよ」

「……え?」

 俺たちは帰宅路につき二人で肩を並べて歩いていた。

 こんなことに満たされる気持ちは、冒涜だ。だけど、それでも、

「教室では話しかけちゃだめだよ」

「ごめん、……でも」


「だめ」


 強く、強く否定する。

「…………」

「私は、この時間をなくしたくないの」

 俺は情けないまま、ずっとあの頃のままだ。小学生にすら反論できずに、自分ばかりが守られて、そして甘えている。

「ごめん」

「君との、この時間は誰にも邪魔されたくない。誰にも奪って欲しくない。だから……お願いだよ……この大切な時間さえなくなったら、私はきっと壊れちゃうから……」

「……ごめん」

 やっぱり敵わない。この少女が抱えてるものは、今の大人になった俺でさえ敵いやしない。






「あ」



 楠葉が立ち止まる。

「どうした? 楠葉」

「雨」

 その楠葉の言葉を合図にするかのようにぽつぽつと雨が降りはじめる。

「どうしよう、俺、傘持ってない」

「なにそれ」

 そういっていきなり何がおかしいのか笑い始める。

「?」

 俺はその意図を汲み取ることができない。

「カッコつけ?」

 彼女は笑う。幸せそうに。

「え?」


「『俺』だなんて、崎ヲらしくないよ。『僕』のが可愛い」


 …………そういえば、小学生の時は、自分の事僕っていってたっけ。


「あ、あはは、そ、そうだね。でも可愛いはやめてよ」

「だって可愛いもん。可愛くて、…………離したくない」

 自分の顔が赤くなっているのが鏡を見なくてもわかった。

「顔真っ赤だよ? やっぱりかわいい。傘、私のがあるじゃん」

 そうして、持っていた青い傘を楠葉が開く。

「からかうなよ、もう」

「ごめんごめん、……おいで? 強くなってきたよ」

「う、うん」

 そしてそのまま手を引かれ、二人で傘に入る。

 やがて雨は大粒になって、撥水加工された布を盛大に鳴らす。狭い傘の中は、まるで二人だけの世界みたいで、外の世界とは遮断され、どんな悲しみも苦しみも入ってこれない気がした。

 いつもより、近くで楠葉を感じる。その横顔は、珍しく赤く染まっていた。

「楠葉も、顔赤い」

「……ばかじゃないの」


 この200メートルがいつまでも続けばいいのに、そう思った。





 どうやら雨は夕立だったようですぐに上がった。だけど僕らは、その二人の世界から出れないまま傘を差して歩いていた。


「お、藤城と、……佐々宮じゃないか」


 聞き覚えのある声が、響いた。

「雨上がってるぞ」

 傘から見上げると、その声の主はヤナギバだった。

「お前ら仲よかったのか」

「あ、いや……」

「…………」

「いやー、安心したよ。佐々宮はクラスでもちょっと浮いてるだろ? だから先生、心配してたんだよ。でも友達がいてよかった。これからも仲良くしてくれよ」

「はあ……」

 何か、心に引っかかりを感じる。

「じゃあ気をつけて帰るんだぞ」

「はい……」

「………………」

 そのままヤナギバは去っていく。どうやら自宅がこっちの方角らしい。

「おい? 楠葉?」

「……ごめん、なんでもないよ」

「帰ろうぜ」

 そう言って俺はまた歩き始める。

「……うん」

「どうかしたか?」

「いや……………………二人きりなのに邪魔されちゃったなー、って」

「……っ……」

「まーた顔赤くなってるー」

「う、うるさいなっ」


「あ! こっから赤い床しか踏んじゃだめね」


 楠葉が突拍子もなく提案する。

「え、赤いのは少ないじゃん、茶色のにしようぜ」

「いいの! あ、追加ルール。二人とも傘から出ちゃだめね」

 おい、無茶言うなよ。

「よっと」

 好き勝手に進んでいく楠葉。傘から出てはいけないらしいので僕も必死で追いかける。

「ほんといきなり無理難題押し付けやがって。じゃあ……、ほいっと」

 お返しに今度は僕の方から次の赤い床に移る。少し遠めなところに。

「うわぁあ! うぐっ……」

 これでどうだ。……っておい。

「赤い床、踏み外してるぞ」

「へへん。マンホールはセーフだから」

 勝手にルールを増やすな。




 最終下校時刻を知らせるチャイムが学校の方角から響く。

 そうこうしてるうちに、車屋の前の交差点にたどり着いた。




「……なあ、やっぱり家まで送——」

「——だめ」



 まっすぐ僕を見据えて、拒否する。



「ここまで。それ以上はだめ」

「…………」

「約束。」

「……わかった」

 そこまで拒否されると流石にくる……。



「じゃあ……」

 沈黙を破ったのは楠葉。

「うん、また明日な」

「うん、ばいばい」

「ばいばい」

 二人だけの世界から、外の世界へ出る。

 さっきまでの温度が、呼吸が、途端に恋しくなる。

 今、楠葉は一人だけで傘に収まっている。



 どうか、その内側だけでも、彼女に安らぎを与えますように。

 


 俺は楠葉に背を向け川にかかる橋を渡り始める。

 その小さい橋を渡ると俺は決まって振り向いて手を振る。すると毎回決まって彼女はそこに立っていて、僕に向かって手を振っている。

「ばいばい! 楠葉!」

「ばいばい! 崎ヲ! ……大好きだよ!!」

「ちょっ……!!」

「顔赤いよー!」

 そう言って、彼女は幸せそうに笑う。

 その距離から顔色なんて見えるわけないのに。


 ……見えないよな?


「俺もだよ!!!」



 ……あー、見えるかもしんない。顔赤いの。



「……ばか」















 突如、痛々しい記憶がフラッシュバックする。

 あの日もこの時みたいに、僕が振り向いて、手を振ろうとした。

 

 しかし、そこに手を振る彼女の姿はなく。代わりに宙に浮く傘と、赤信号、トラック、


 そして赤い、床。



「————————————。」



 その時、彼女が、僕に向かって放った言葉は、僕の元に届くことはなかった。

























 次の日、いつものように車屋の前の交差点で楠葉を待つが、一向に現れる気配がない。体調でも崩したのだろうか。携帯なんていう便利な代物はこの時代、この歳で持っているわけもなく、お互いに7時半を超えたら一人で行くと決めてある。

「……しょうがない、一人でいくか」

 風邪でもひいたのだろうか。それかいつもみたいに寝坊して遅刻だな。

 ……おそらく、教室でいつも寝てるのは、楠葉は語らないが、深夜に虐待を受けてろく寝れないからなのだろう。

 そのまま学校へ向かい、教室で待つ。やっぱりこない。心配だ。


「おーい、ホームルーム始めるぞー、席つけー」


 ヤナギバがやってくる。あー、こりゃ少なくとも遅刻確定だな。




「出席とるぞー」







 …………思い、出した。







「ありゃ、佐々宮は休みか……」



 過去の記憶でも、二人で帰ってる途中、ヤナギバに出会った記憶がある。



「お、そうだ」



 そして次の日、楠葉は学校に遅刻をしてきて、



「おい、藤城」



 朝のホームルームでヤナギバが、



「佐々宮どうしたか知らないか。お前ら、仲よかったよな?」










 教室が、騒めく。

 気付くのが遅かった












  「え、藤城って、魔女と仲いいの?」  「でも話してるところ、見たことないぜ」  「昨日なんか、少し話してなかった?」  「崎ヲ、まじかよ!!」  「なにそれ、気持ち悪いんですけど」 「藤城って、そういうやつだったんだな」  「えー、まじでー」  「きっもっ」  「藤城も魔法使えんじゃね?」  「俺たち呪い殺されるぞ」  「藤城って、そういうやつだったんだな」 「俺はあいつのこと、怪しいと思ってたんだよ」  「私も、私も」  「崎ヲ……」  「なんか冷めてるしね」  「あいつら、付き合ってんじゃないの?」  「うわー、気持ちわるーい」  「藤城、女の趣味悪すぎ」  「がっっかりだなー、藤城くんちょっと格好いいと思ってたのに」  「あんたやめなよ、ろくなことにならないわよ」  「あいつ、どおりで最近、調子乗ってると思ってた」  「なにも、あんな女と付き合うことないのにね」  「やっぱり性格最悪なやつには、性格最悪なやつがくっつくんだよ」  「きもちわるいんですけど」  「私たちを騙してたんだ」  「ほんと、サイアクー」  「しねばいいのに」  「きえちゃえ」  「おまえしってた?」  「しるわけないだろ!」  「お前も仲間なんじゃね?」  「ちげーよ!! やめろよ!!」  「あんなブスとつるんでも何もいいことないでしょ」  「本当馬鹿だな、藤城」  「お前らやめろよ、聞こえるぞ」  「頭おかしい」  「うわっ、こっちみてるよ」 「きもいきもいきもい」  「やばいよ」  「お前、やっつけてこいよ」  「藤城が、まさかな……」  「アイツ、やばくね」  「やめとけって、寄らないほうがいいよ」  「私、席遠くてよかったー」






 ……やめろ。やめてくれ



「お前らうるさいぞ! いったい何を話しているんだ」


 ヤナギバが事態に気づくこともなく、ただのクラスのざわめきをとえようとしている。




 ああ、……ようやくわかった。

 あいつが自殺した原因はいじめでも虐待でもなかったんだ。

 



 教室の後ろのドアが開く。遅れてきた楠葉が現れる。

 再度、教室が騒めく、




 自体を把握した楠葉の顔は絶望に染まっている。




 唯一の拠り所である。僕がいじめの対象になってしまった。それに絶望してしまったんだ。











 その日は、二人とも、一日中奇怪な目を向けられ続けた。人生で二度目だが、さすがにこたえる。


 楠葉は毎日これを、くりかえしているのか。


 授業がすべて終わると、すぐに楠葉は教室の外へ消える。急いで追いかけて、いつもの場所でようやく追いつく。

「楠葉!!」

「…………」

 逃げる様子はない。しかし、その表情からは笑顔が消えていた。そして、何も喋ろうとしない。

「…………」

 無言で、僕の横を歩く。

「…………」

 また、雨が降ってきた。

 今度は楠葉が傘を持っていなくて、僕だけが持っている。俺は黙ってその傘を開き楠葉を中に入れてやる。

「…………」


 それでも何も言わずに、彼女はただただ隣を歩くだけ。

 僕は何も言えなかった。

 今まで何があっても笑っていた彼女から、笑顔が消えた。



 まるで、痛みから守ってくれるはずの傘が、逆にこの小さな空間に痛みも苦しみも閉じ込めているみたいで、息苦しい。


 あなたは今、どれほど自分を責め立てているのだろう。




 いつもより沈黙が耳元で騒ぐ。まるで、次に出る言葉で賭けをしているような。



 一体、僕は今、何を言えばいいのか、何をしなければいけないのか。成熟したはずの頭を持っていても、全くわからなかった。





 その時間が永遠に続くような、そんな気がした。


 しかし、そんなことは当然なく、200メートルには終わりが来る。車屋の前の交差点に差し掛かるとともに、最終下校時刻のチャイムが響いた。

 そこで、やっと彼女が言葉を放つ。

「また、明日、じゃあね」



 ダメだ。このまま別れたら、彼女が。




 この後、彼女は、自ら赤信号の交差点に身を投げ、自殺をする。

 たとえ、これが夢でも、あんな光景、二度と見たくはない。







「楠葉」

「…………早く行って」


「行かない」


 例え、拒絶されても、傷をつけても、そんな悲しい結末だけは。


「一人にして」


「…………嫌だ」


「……約束。だよ……」


「ごめん、破る、だけど、僕はずっと楠葉と友達で居たい」


「わがままばっかいわないで、……しょうがないの。…………しょうが、ないの」


 まるで自分に言い聞かせているようだった。


「それでも、僕は、君を」


「…………」



「一人にしたくない」







「……………………ねえ、崎ヲ」

「……なに?」






























「嫌なこと、思い出させて、ごめんね」














「————————————え?」




「君は多分、この現象を、夢だと思っているでしょう」

「…………は?」

「それはね、半分正しいけど、半分違うの」

 こいつは、何を言っている……?

「ごめんね、混乱してるよね。困るよね、突然こんなこと言われても」



 そうして、楠葉は告げる。



「これは、君の夢じゃない。————私の夢なの」



「何言って……」

「君をひとりぼっちにしてしまったのに、傷付けたのに、そんな私が、また君に会いたいと、願ってしまった夢」

「え……?」

「私は、私があなたに会いたいという自分勝手な想いのせいで、君にあんな想いを、させて、思い出したくもないことを思い出させてしまった、悪い夢」

「…………」

「ごめん、なさい……、本当にわがままなのは、私なの……」

 何も言葉が出なかった。

「だから、もし今私を助けても私は助からないし、夢だから、私がこの後死ぬことも、結局避けられない」


 それは、あまり見たことがない、楠葉の泣き顔だった。

 どんなに辛くても、どんなに苦しくても、泣かなかった彼女の、本当の顔。


「私は、あなたにずっと謝りたかった。自分のことしか考えてなくて、一人で逃げてしまって。悲しみを全部君に押し付けて、そんな最低な私が途轍もなく憎い。例え謝っても願っても、許さないで、欲しいぐらいに」

「楠葉……」

「崎ヲは優しいから、そんなことないって、言ってくれるかもしれない。でも、私は、——私が憎い」

「…………」

「ごめんなさい……、ごめんなさい……」





「楠葉」

「うん……」

「嫌なことを思い出したりなんてしてない」

「………………嘘だ」

「……だって、一度だって、君のこと忘れたことはないのだから」

「でも……っ」

「それに、僕も、また君と会えて嬉しかった」

「…………結局、別れることになっても?」

「うん、それでも、奇跡みたいなものだ」


 嘘偽りはひとつだってない。楠葉とまたこうして話せることは、どんな現実があったって、それは幸せなことだ。


「この世界が、所詮夢で幻想でも?」

「うん」

 俺は力強くうなづいた。



 君が死んでしまった現実は、変わらない。世界も変わらない。


 なら自分が変わるしかない。


「僕だって、ずっと後悔してた。あの時、僕が違う行動をしていれば、君は助かったかもしれない。いや、それどころかずっと君は僕が殺したんだと、そう思っていた」


 彼女の泣き顔を見ていたら、君がいない世界で、君がいないままで、僕は、僕を許してあげなきゃいけない。そう思った。


「そんなことはない!!!!」


 強く強く、否定した。その怒号はとても心地のよいものな気がして、こんな僕の存在を肯定してくれている、そんな気がした。


「あなたは……いつも私のそばにいてくれた。この場所じゃなくても、学校でも、私のことを見ていてくれた。私が無理やりつないだ約束なのに、私はどこかで、それが苦しかった。でも、君は学校でも、どこでも、私を見ていてくれた……。死んだ後だって、私のことを、考えてくれていたのだってわかってた。だから崎ヲは何も悪くないの……」




 言葉が出てこない。情けないな。


 でも、確信はないけど、おそらく間違いではない言葉を、僕は放った。









「…………ありがとう」


「え?」

「もう一度、こんな僕に会いたいと思ってくれて、そして、会ってくれてありがとう。会えて嬉しかった。……それだけじゃない、ずっと、こんな僕と友達でいてくれて、ありがとう」


 伝えられなかった、感謝の言葉を君に伝える。

 ただそれだけで、多分よかったんだ。


「うっ……うあああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」


 初めて、大声を上げて泣く楠葉を見た。


 いままで、堪えた分、押し殺した分、そのすべてを一気に解放するように、彼女は泣いた。


 僕はそんな彼女を何も言わずに抱きしめた。


 傘の内側の、僕らだけの世界。それしか、今この場所にはない。


 ただ強く、強く彼女を抱きしめた。言葉はいらなかった。


 いつの間にか、温度が消えた、僕にしがみついてくる君と、それを受け止める僕。


 それだけが世界の全てだった。それが悲しいほどに愛しかった。



 今はただ、それしかいらなかった。




「ごめんね、そろそろ、行かなきゃ」

「……うん」

 僕はそうして、傘の内側から外へ出る。

「傘……」

「僕にはもう必要ないから、あげる」

「……ありがとう」

 いつの間にか雨は上がっていた。

「また、明日、じゃあね」


 今度は、僕の方から別れの言葉を告げた。


「うん、また、……明日!!」


 川を渡っていつものように振り向いて、彼女に大きく手を振る。


 川の向こうには、マンホールの上で、僕が渡した傘を子供みたいにくるくる回す彼女、いや、実際子供なんだけども。


 そして、あの時は、届かなかったセリフを、僕に放った。






「あなたに出会えたから、私は、ここまで頑張れた」














 夢の世界は、収束する。



 いつまでも、手を振っていた。車屋も、川も、橋も、そして、君も。


 何もかも見えなくなっても、僕は、大きく手を振り続けた。













××××××××××××××××××××××××××××××××
















平成△年 ○月×日 午後□時


 

 雨の匂いが、かすかに残っている。24歳の僕が、車屋のショーウインドウに映る。


「戻って、来たのか」


 もう誰も、傘を差していない。

 太陽の光が、強く、あたりを照らす。


「帰るか……、」


 川を渡ろうと、足を踏み出す。



「————こら、崎ヲ! どこいくの!!」



「え……?」


「約束したじゃん!」

 振り向くと、そこには、よく知っている女性が僕を呼び止めていた。



「————なんだ、美奈川みながわか」

「なんだなんて飛んだ挨拶ね。今日こそは付き合ってもらうからね」

「……はいはい、」

「何その態度! そんなんだからあんたには友達ができないのよ」

「友達って、僕はもう24だぞ」

「なにそれ」



「え?」



「ぷっ……僕って、超面白っ! 似合わな……あっはは!」

 大笑いする。彼女のものとはまるで違う笑顔。でも、不快感はなかった。

「あ……」

「でも、悪くないね、それ。可愛いし」

「いや、だから、可愛いとかやめろよ」

「だから?」

「…………なんでもない」

「その方が、印象丸くなるから友達もできるんじゃない? いつもひとりぼっちじゃ、つまんないじゃん?」

「……………………」

「ん? どうしたの、崎ヲ」


「……そうかもな」


「え……」

「……んだよ」

「珍しい……天涯孤独の藤城崎ヲくんが、どういう風の吹き回し?」

「うっせーな、僕だって、昔友達くらいはいた………………あ」

「ほほーん? じゃあ、その友達との思い出話を聞かせてもらいましょうかー?」


 ………………。


 まあ、別にいいか。


「お前と違って、そりゃものすごーく、頭のいいやつだったさ」

 これみよがしに、嫌味ったらしく言ってやった。


「なんなの、それ! バカにすんな!」



 ショーウインドウに映る、天涯孤独野郎を、もう少しぐらいは、大切にしてみよう。

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