8
水のせせらぎが聞こえてくる。芝生の青臭い匂いもする。どこかから音が聞こえる。最初はぼやけて聞こえなかったが、段々大きな声になり、私の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「祭さん起きてください!」
……五月蝿い声だな。俺は眠いんだ。もう少し寝かせてくれ。せっかく今懐かしい夢を見ていた所だったんだから。初恋の女性と感動の再会を果たしたばかりなのだから。
……ん? 初恋の相手だと? そうだ歩ちゃんだ。夢じゃなくて現実だ。
現実を思い出し、体に反動をつけて目覚める。目の前にはアヴァロンの右手が見える。振り下ろされる寸前だった。
目覚めるのがもう少し遅ければ、良い口実を得たとばかりに、強力なビンタがお見舞いされたかもしれない。
「中々目覚めなかったものですから……」
アヴァロンの口からは追加で目覚めてよかった。等と白々しく語りながらも、右手を名残惜しそうに左手で揉みこんで、残念がっている。アルテミスの時とは大違いだ。文句の一つを言い返そうとして、口の中の違和感と鼻を突き抜ける強烈な清涼感を感じた。
「何だこれは?」
口から引っ張り出し、その不思議な正体を尋ねる。
「ああ、それはあれですよ。アルテミスの悪戯で食べたお菓子です。あれは本来、強烈な気付薬や万能薬として知られている食べ物ですからね。おかげで効果的面でしたね」
「……そうか、礼をいっておく」
目覚めるタイミングを計り、わざとビンタの格好をしたのだろう。私が目覚めるまでのにやけ面が予想できる。相変わらず食えない男だ。しかしアルテミスの悪戯が、意外な所で役に立ったな。アルテミスにお礼を言おうとして辺りを見渡すが姿が見えない。
胸騒ぎがした。そうだ目覚めたとき何かがおかしかった。何故アルテミスではなくアヴァロンが最初に見えた? 最初に倒れたときには真っ先にアルテミスが心配して駆け寄った。
……その姿が見えない。
迷子になった子供を必死に捜す、親の心境がわかり心配がよぎった。
「アルテミスはどこに居る?」
「漂流者狩りの女性を追いかけていきました」
「一人で行かせたのか?」
「……はい。あなたの大切な荷物を奪い返しに一人で赴きました」
言われて慌てて胸をまさぐる。歩ちゃんと揉みあいになったとき、指先に引っかかり、そのまま奪われた切符がない。
「そんな物のために」
「そんな物? そんな物とは何たる言い草ですか? あなたはあれがどんなに大切な物か理解していないのですか? あれはあなたがナイトメアと人間界を行き来するのに必要なとても重要なのです。あれはただの切符ではなく、夢力の固まりなのです。あなたがこの人間界で存在するために必要なものなのです。あれがないと祭さんあなたは、明日の朝日を拝めず、夜明けと共に迷い蛍になってしまうのです。それを奪い返しに彼女は向かったのですよ? あなたが油断してミスを犯したばかりに、その尻拭いをしに彼女は向かったのです。彼女は今とある事情により、夢力が発動できない状態であるにもかかわらず、それでも危険を顧みず、自ら向かったのです。それもこれも全部あなたのためにね。 ……それなのにあなたときたら!」
……知らなかった。そんなに大事なものだったなんて。ちょっと考えれば重要なものだと理解できそうだった。教えてくれなかったことに対してではなく、自分に腹が立った。何も知らない自分に、油断してミスを犯した自分に。
歩ちゃんならわかってくれると信じていて、油断していた。それが重大なミスに繋がるなんて思っても見なかった。
私が気を失ったとき、本当ならアヴァロンではなく、アルテミスが一番に駆けつけて、私が目覚めるまで、節目がちな目をしながら、じっと黙って横に居座り、私が目覚めたときに飛び跳ねるようにして、喜んでくれただろうアルテミス。
でもそんなことをしないで真っ先にとった行動は、歩ちゃんを追いかけることだった。私の尻拭いをしにいったアルテミス。彼女はわかっていたのだ。
あれがただの切符ではないことを。迷い蛍になることは私の死を意味する。それがわかっていたから自らの危険を顧みず、歩ちゃんから切符を奪い返しに向かったのだ。
私のために、私が死なないために。夢力が発動できない状態なのに、それなのに向かっていった。自分のへたれ具合に涙が出そうになった。
「……知らなかったんだ。そんなに大事なものだったなんて! アルテミスが夢力を発動できない状態だなんて! 全て油断した俺が悪かったんだ俺は、俺は……」
あまりの悔しさに言葉が詰まった。アヴァロンの顔はまだ怒りが収まらぬ様子だったが、やがて呟いた。
「……いえ間違っていたのは私のほうです。最初に教えておくべきでした。私のほうこそ謝らせてもらいます」
そんなことを言われたらこっちが余計に辛くなる。でも今はそんなことを考えている場合ではない。なすべきことをしなければ。
「アルテミスを探しに行こう。俺の尻拭いを手伝ってくれ。一人よりも三人のほうがきっと見つかる。彼女が心配だ。アルテミスにありがとうと言わないと! だからお願いだ。アヴァロン、力を貸してくれ頼む」
「その言葉は私にではなく、アルテミスに言うべきです。私もちょうど探しに行こうとしていた所ですからね。もっともあなたが言わなければ、今度こそ私の黄金の右手が、祭さんの左頬に炸裂していたところですがね」
笑いながら右手を差し出してくる。
和解の握手だ。その手を拒む手は私にはない。
「しかしどうやって探し出します? 正直私にはその方法がありません」
「俺を誰だと思っている? 漂流人だぞ!」
最初は意味がわからなかったみたいだが、やがてなるほどと頷いた。
「それじゃあ、アルテミスを探しに行こうか」
「ついでに漂流人狩り狩りにもね」
いつもの感じで、青い片目をつぶりながら人差し指を立てる。
「その言い方は違うな。ついでに夢を叶えに行くんだ」
私は芝居がかった演技で、片目をつぶりながら人差し指を立てる。
アヴァロンは最初、きょとんとしていたが、大笑いしながら、エクセレントと力強く肩を叩き、言ってくれた。ふと気になったことがあり、訊ねてみた。
「そう言えば、今の歩ちゃんは夢力に支配されていると言ったな? 何か危ないことになったりしないのか?」
「彼女の状態は今非常に危険です。夢力は本来、生身の人間が発動すると死の危険があります。段階としては第一段階で、夢力の精神支配、第二段階で体力の衰え、そして第三段階ではやがて死に至ります。人間界の付喪神伝説も大体はそんなお話ですよね? 普通の肉体には耐えられないのです。あなた方漂流人は一度死んでいるから、その危険がないだけです」
「それを聞いて安心したよ」
アヴァロンはきょとんと驚いた顔を見せる。
「だって今なら、まだ救えるって事だろう?」
「……あなたって人はお人好しなのか、よほどの大馬鹿ですね」
「馬鹿と天才は紙一重ってね。そういえば、その時の症状には何か呼称はあるのか?」
「いえ特にありませんが…… それが何か?」
ちょっと考え込み答える。
「******ってのはどうだ?」
アヴァロンは目を見開き、失笑した。
「なるほど確かにいい名前ですね! ええ勿論気に入りましたとも。祭さんは名前だけではなく、ネーミングセンスもお持ちのようだ。」
「……馬鹿にするなよ。コンプレックスなんだから」
目を合わせ二人で笑う。
アヴァロンと探り合っていた距離が、・・・・・・少し近づいたみたいだ。
夢力に恋する 山田まさお @cola
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