SideB.2(END)

 当然の事ながら、歩は怒っていた。

 交代のバイト仲間が入り、エプロンをはずしても、怒っていた。

 ……少なくとも、三宅にはそう感じられていた。

 店を飛び出していって戻るまで一〇分ほどだったと思うが、たった一〇分、されど一〇分である。

 戻ったときの歩のさわやかな笑顔が今脳裏に焼き付いている。

『三宅くん、おかえりなさい。』

 ちょっとかわいい顔つきの歩の渾身の笑顔である。

 三宅は寒気を背中に覚えた。

 店に客がいたら、卒倒モノだろうに。

 小さなディバック一つで、三宅はコンビニを出る。

 革かばんを持った、制服姿の歩も一緒だ。

 二人は無言で駅へ向かう。

 歩はいつもの帰り道だ。しかし、三宅は……。

「三宅くん、今日は駅なの?」

 いつもの調子で、歩は問う。 かえって何を思っているのか、三宅にはわからない。

「え? あ、う、うん……」

 慌てて三宅は答える。

 いったい埋め合わせに何を要求されることか……。

 さっきから、そればかりが三宅の頭の中を巡っていた。

 たしか、以前にバイトをすっぽかした日は、駅前喫茶店のビッグパフェをおごらされた。

 遅刻した日は、ホテルのケーキバイキング。

 バックルームで寝こけたときは、並ばないと買えない有名ケーキ屋のショートケーキワンホールだった。

 いつもなら、おごられてしまっても構わない。悪いのは三宅なのだし……。

 しかし、今日だけは別だった。 今日は給料日なのだ。そして金曜日である。そして……。

 三宅は、隣町まで行き、買い物をしようと考えていた。

 目的の店の閉店時間まで、あと一時間。

 今日は大事な日なのだ。

 今日だけは、歩に付き合わされるわけには行かない。

「ふぅん。」

 先を歩く歩の表情は見えない。

 無言で二人は歩く。

 人通りの増えてきた、日の傾いた街並み。

 無言で連れ立つ二人の姿は特に浮いて見えるわけでもない。

「……明日、映画付き合ってくれる?」

 ポツリと、歩は言った。

 あまりのさりげなさに、三宅は危うく聞き逃すところだった。

「明日?」

 ほんのすこし小走りで、三宅は歩の横に並ぶ。

 歩はうつむき、かばんからチケットを取り出す。

 それは、映画の試写会の招待券だった。

「折角二枚あるし……」

 一枚を三宅に差し出す。

 そして、うつむいたまま、自分の分をかばんに仕舞いこむ。

 三宅はチケットを受け取り、しみじみ眺める。

 チケットは、CMで話題のアクション映画の物だった。

 肉体派俳優が主人公を務める、三宅も気になっていた作品。

「えぇの、こんなんもろて」

 もっと他に、友達とか彼氏とか、一緒に行ってくれる人がいるのではないか。

 明日ならば時間もあるし、……見たいと思っていた映画だ。断る理由はない。

ぱっと歩が三宅を見て笑う。

「みんな、こう言うアクションもの、興味ないみたいなの。

 折角あたったのに誰も誘われてくれなくて。今日のお詫びに、付き合ってよ」

 三宅は苦笑した。まるで自分がお子様のようではないか。

 しかし、好きなことにはかわりない。

 帰宅ラッシュの始まった駅前で、歩と三宅は時間を決めて、別れた。


 反対ホームへ去っていく三宅を人ごみに埋もれて見えなくなるまで、歩は見送っていた。

 懸命に作った最上の笑顔を凍りつかせて。

 今日何度目かのため息をつく。

「馬鹿なんだから」

 そして電車が入ってきた。


 最終締め切り時間まで、あと二時間。

 バイク便で印刷所まで余裕で届く。

「ただいまー」

 窓もない廊下の奥の終点。

 多田吉は見なれた扉を開ける。

 男ばかりの狭苦しいオフィスでは、方義が書類の処理に勤しんでいた。

「おつかれさん」

 顔も上げずに言い、タバコをふかす。

 相も変らず、書類が多い。

 多田吉は、仕事を終えた後の笑みを浮かべ、自席へ向かう。

 かばんを起き、和久井から回収してきた封筒を置く。

 青い、ちょっとばかり厚い封筒。

「明乃ちゃん、今日は早かったんだね」

 ちらりと封筒に目をやり、方義は作業の手を早める。

 スーツの上着を脱ぎ、多田吉は幸せそうに笑う。

「はい! 先生もやればできるんです!」

 お茶を飲んで少しだけ休んだら、編集部に持っていかなくては。

 湯沸しに自分のコップをもって近づく。

 一時はどうなることかと思ったけれど。和久井も原稿も無事で良かった。

 出がらしの葉を捨て、新しい葉を入れる。

 少しだけお湯を吸わせて……。

 作業に切りがついたのか、方義は咥えタバコで伸びをする。

 小さな掛け声をかけ、椅子を立つ。

「俺の分も淹れてくれよ」

「お茶ですよー?」

 多田吉の言葉に頷きながら、タバコの灰に気を付けて、多田吉の机に向かう。

 お目当ては、和久井の出来たてほやほやの原稿。

 ゆっくりゆっくり多田吉はカップにお茶を注ぐ。

「明乃ちゃん、いまどんなの書いてるの」

 封筒を取り、中身を出す。

 簡素なワープロ文字の原稿。

 もとはといえば、和久井の担当は方義だった。

 デビューしたての新人時代からの付き合いである。

 担当を外れ、管理職の真似事をしているのは、果たして出世といえるのか……。

 方義には、なんとも答えの出ない話である。

「今はぁ、ほら流行りの、ボーイズラブってやつっすよ。」

「……ほぉ……」

 お茶をいれて、多田吉が戻ってくる。

 一つは方義の前へ。もう一つは、冷まし冷ましゆっくりと飲む。

 仕事の後の一杯は、ビールだろうがお茶だろうが、おいしい物だ。

 方義は、取り出した原稿をぱらぱらめくっている。

 真剣に読むには少々時間が足りない。

「器用ですよねぇ。この間まで、純ファンタジー書いてたんすよ。」

「……器用は……器用だよね……」

 方義は原稿をめくる。斜め読みでも、内容は取れる。

 確かに器用には違いない。

 しかし、これは、どう考えても……。

 ニコニコ顔の多田吉は、冷まし冷ましお茶を飲む。

 方義の反応は、多田吉には妥当な物に思えていた。

 中年のおぢさんに、ボーイズラブはちょっと無理か。

「多田吉……。これ、読んだ?」

 原稿を多田吉に渡し、方義はお茶を飲む。

 じっくりいれた多田吉のお茶はちょっと渋い。

「途中経過なら……」

 完成稿を読んでる時間はないに等しい。

「……読んでみろ」

 方義はお茶を持ったまま、自分のデスクへ戻る。

 その後姿は、なんだか楽しそうにも見える。

「読んでみろって……」

 知っている文章があるだけ。

 すでに見知った主人公が、かっこいい彼氏を思い、今日もサッカーに勤しんでいる……はずだった。

 手渡された現行の中、飛んで動いて暴れまわっていたのは、

 なんとも情けないヒーローだった。


 数十秒の後、一階エントランスを駆け抜けるスーツ姿の若い社員の姿が、警備員に目撃された。


「これ良いねぇ。本当に、ありがとう。」

「…………」

 和久井のはしゃぐ声が聞こえる。

 三宅は、手早くフライパンを動かし、ご飯をいためる。

 和久井の声で、手が早まる。

 顔が赤くなっているだろう事が、自分でもわかる。

 閉店前に無事に目的の物を買うことができた。

 ずっと探していたその店で。ずっと狙っていた物。

 入るのも、買うのも躊躇したけれど、思いきってよかった。

 僅かな生活費を残して、今のところの全財産をつぎ込んでいた。

 絶対似合うと思ったのだ。

 炒飯を作り終わると、手早くサラダをこしらえる。

 レタスの水を切り、トマトを並べ……。

 玄関のチャイムが鳴る。

 この時間だと、下山か。

「どうぞー」

 和久井が声をかける。

 声を待っていないかのように、扉の開く音がする。

「おっじゃま、しまーす」

思ったとおり、下山の声。

 声をかけただけで勝手に上がり、リビングへ入ってくる。

 リビングのドアをくぐるとき、僅かに頭を下げるのが、三宅には恨めしい。

「ほら、せんせいたじゃん。」

 他人の気など知るはずもなく、三宅の顔を見るなり、下山は言う。

 にっこり笑って三宅の正面、カウンターの椅子に座る。

 三宅は頷くだけで、それに答える。まともに相手をしていては、日が暮れてしまう。

 下山は、汗一つかかず涼しげな顔をしながら、花の香りを漂わせていた。

 マウスの後は、研究室で花でもいじっていたのだろう。

 三宅には、何をやっているのかは、皆目見当がつかなかったが。

 炒飯を盛り付けサラダとともに、下山にテーブルまで運ばせる。

 クーラーを作り、シャンパンを挿す。

 最後に大きなケーキを出して……。

 仕事場をかたつけ無理やり作ったスペースで、ささやかながらパーティである。

「明乃さーん。準備できましたぁ。」

「こっちもOK-。ねぇ、三宅くん、小道具はぁ?」

 のんびりとした下山に、和久井は答える。

 お店の人にたんまりと持たされた小道具は、三宅にはどうでも良かった。

 ただ、どきどきする。和久井が自分の選んだ物を身につけていることを考えるだけで。

 きっと似合う。それは、確信めいた思いだった。

「……好きにしてください。」

 洗物をかたつける振りをし、下を向く。

 こんな顔、下山になんて見せられるわけがない。

 シャンパンのグラスを持ち、僅かながらに手伝う下山であったが、当然、そんな三宅に気付かないわけもない。

 三宅に気付かれぬよう、楽しそうに笑っていた。


 そんなに暑い季節でなくて良かったと、多田吉は心から思う。

 この時間、多分一番早いのは、バスでもタクシーでもなく、走ることだ。

 スーツうんぬんを気にしている場合ではない。

 あと、三〇分。

 バイク便という便利な物の存在を失念している辺り、多田吉はまだまだあ詰めが甘い。

 そしてそのことを当然本人は自覚していなかった。

 駅から、たった一・五キロ。

 多田吉なら、五分程度の距離である。……動きにくいスーツでなければ。

 ようやくマンションを視界に入れたときには、涙さえにじんだ。

 入り口を駆けぬけ、今度は階段を一息に上がる。

 ここまで来たのだから、もう代わりはしない。

 間違って持ち出した封筒が、汗を吸ってふにゃりとゆがむ。

 玄関まではもう一歩。そして、帰りの道のりがある。

 ため息とともに、多田吉はチャイムを押した。


 電気を落とし、辺りを暗くしてから、和久井の入場である。

 和久井が部屋に入ってから、電気をつけることになっていた。

 なんと行っても、それのお披露目である。

「いっくよー」

 電気が消えていることを確認し、そろり、和久井は部屋を出る。

 小道具はなんだか楽しそうだし、持ってみた。

 リビングからは、僅かな僅かなろうそくの光が見える。

 和久井も、小道具のろうそくに火を灯していた。

 ピンポーン

 チャイムが鳴ったのはそんな時だった。

 和久井のうちに来訪するものは、和久井の返事を待っていてはイケナイ。

 特に、急ぐ者はお構いなしである。

 和久井が玄関を覗きこむのと、扉が開くのは同時だった。

「あれ、多田吉くん。」

「先生! 原稿間違えて…………」

 多田吉は、それ以上言葉をつむぐことが出来なかった。

 玄関を覗きこむ和久井は、歳の割りに綺麗な足を革で包み、

 きらきらした目でろうそくと鞭を持ち……「女王様」の衣装を身にまとっていた。

「明乃さん……?」

 ひょこっと奥から下山が覗く。

 下山の下から、三宅も顔を出す。

 身長も趣味も得意技も違う二人だったが。

「かっこいい!」

「……似合ってます。」

 女性の趣味は似ていたようだ。

 多田吉は、どっと押しよせる疲れだけを自覚していた。

 印刷所締め切りまで、あと二○分。

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正義の味方株式会社 森村直也 @hpjhal

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