Day.1
悲しみ×喜び+幕開け
#5
いつからここにいたのだろう。気づくと私は、悲鳴のような歓声の中にいた。前も後ろも、両隣も、皆一様に立ち上がって嬉しそうな笑顔を浮かべている。
「“月夜に君を迎えに行く、”」
「『ムーンクラウンズ』です!」
という男声に、一際大きな声が上がった。ホールが割れそうなくらいの黄色い歓声だ。私もその勢いに押されるように立ち上がった。
そこは、いつか見た、小さなホールの狭いステージ。そこに、男の人が5人、横一列に並んで大きく手を振っていた。左から2番目の男性が、端の男性にマイクを手渡す。その仕草だけで、小さなどよめきがあちこちで起き、ユイー!ユイちゃーん!という女の人の声が飛び交う。
「こんにちはー!ダンサーの
何の変哲もないたった一言で、また会場は悲鳴に包まれた。あれが、ユイさん。ふわふわした子犬を思わせる髪型、甘いマスクに、人懐こい話し方。きっと、欲しいと思ったものが何でも手に入ってしまうタイプ。転んだ私を足元から見下ろしていた。
「本当はヴァンパイアでーす」
……えっ?
「メインボーカルの
あ、ユウヤさん。健康的な浅黒い肌に、整えられた口ひげがワイルドな感じ。しっとりと深みのあるいい声が、ギャップをそそられるのかな。青黒い髪の隙間から覗く瞳の力強さに、何度も引き込まれそうになった。
「俺にはメドゥーサが宿ってます。」
えぇっ?
「ダンサーの
シュウザブロウさん。ユイさんの保護者みたいな方で、いつも私に手を差し伸べてくれた。センター分けでウェットな髪は金と黒のツートンカラーで、それを真似してるらしい男性ファンも見受けられる。
「僕はシュリーカーでーす!」
えー!?
「メインボーカルの
前髪男、リョウさん。背が高くて、小顔で細身。力強い、唸るような声。挑戦的な視線と態度が、女の子たちにはたまらないみたい。
「狼男だ。」
……やっぱり、聞き間違いじゃ!
「あ、こんにちはー。ダンサーの
ケント君。初々しいし、おそらく誰よりも年下。ファンからもかわいいーって声があがってる。丸顔で優しい表情だから、尚更かわいいイメージなんだろうな。つるんとした金髪で、毛先の深い赤が印象的。
「僕は、サラマンダーっていいます」
聞き間違いじゃ、ないんだ……!そんなこと、言ってよかったの?こんなに大勢の人がいる前で!
「そして、米原キセ!彼女は今日から俺たちの仲間です!」
ユウヤさんの声で会場の照明がすべて落ち、瞬時に私のもとにスポットライトが当たる。私はカツラをしていなくて、真っ白い地毛のショートヘアのまま、声も出さずに立ち尽くしていた。
「ようこそ、“夜の国”へ。」
えっ、何なの、これ。さっきまで鳴り止まなかった歓声がぴたりと静まり返り、会場の視線は一気に私に集中した。ひとつひとつの視線が細く鋭い針のように突き刺さってくる。どうにか逃れたいのに、身動きがとれない。楽屋での出来事が、フラッシュバックする。
私はここから出られない。
生きて帰れない。
家族のもとに、帰らせて。
「迎えに来た。」
嫌ぁ――!!!
朝だ。
驚くほど、いつも通りの朝だった。
隣には、気持ちよさそうに眠る、妹のリナ。
変な夢を見てしまったな……。
私はそっとリナの前髪をどけて、その寝顔を盗み見た。リナの寝顔を見たのは、何年ぶりだろう。いつも彼女のほうが早く起きて、学校へ行く支度をしている。こんな風に一緒に眠ることも久々だったから、長いことこの愛らしい寝姿を見ていなかった。
「……じゃあね。」
これ以上ゆっくりしていたら、離れがたくなる。私は重い身体を起こして、ふすまを開けた。
居間には、誰もいない。壁掛けのカレンダーによると、母は深夜の当直で、あと一時間ほどで勤務を終えて帰ってくる。
「会えない、な」
私はそっと自分の部屋へ戻り、リナを起こさないように適当なレターセットとペンを持ってダイニングについた。きっと、会って話せば、泣いてしまう。余計な心配をかけるよりは、この方がよかったのかもしれない。
「よし」
彼らのことは、他言無用。手紙には、転職することになったこと、そこには寮があって長い間帰れないこと、仕送りはすること、リナが昨日のコンテストを頑張ったこと、誕生日を祝ってくれたこと、そして、20年間本当にありがとう、というようなことを書いた。それから、夜勤お疲れ様、ゆっくり休んでね、と最後に書き添えた。
いつも通り出勤する準備を整え、地毛が見えないようカツラをセットし終えたら、昨日ささっとまとめた荷物を持ってもう一度我が家を振り返った。
のびのびと生まれ育ち、妹ができ、父が亡くなり、大学へ行かず就職した。ここ以外での出来事には、何一つ思い出などない。やっぱり私にはここが一番で、生き甲斐だった。それはきっとこれから先も、変わらないだろう。
「ありがとうございました。」
深々と頭を下げて玄関を出た瞬間、中で小さく物音がした気がした。きっとリナが起きたのだろう。私はもう一度ドアを開けたくなるのをぐっと堪え、鍵をかけた。
大きな荷物を引きずりながら、会社へやってきた。唯一友達といえる幼馴染の実家で、電気系統の工事や発注等の下請けをしている。日曜日は基本的に休みだが、社長と部長は大体毎日いる。あと、ベテランの事務の女性も。その人は、何をしに来ているのかは、よくわからない。
「おはようございます」
と、いつも通りあいさつをして、社内に足を踏み入れると、真っ先に例の女性の視線が突き刺さってくる。朝の夢を思い出してしまった。
「あー辛気臭いの来た」
わざわざ私に聞こえるようにそう言って席を立つと、彼女は給湯室へ消えていった。
「昨日はお楽しみだったのー?こっちはお陰で仕事捗ってよかったけどね。別にもう来なくていいのに」
続いて、部長がにこやかにそう告げる。私は自分の席に荷物だけ置くと、部長のデスクへ近づいた。まさか私が来るとは思わなかったのだろう、一瞬慌てたように身をのけぞらせると、なんだなんだと言葉にならない声をあげる。それに構うことなく、退職届を差し出した。1年ほど前からずっと、デスクの引き出しに入っていたものだ。
「えっ……え?」
ただでさえ間抜け面しているのに、拍車をかけるような表情を見せてくれた。私は思わず吹き出しそうになるのを堪えて一礼し、社長室へ向かった。といっても、簡単なパーテーションで区切られただけの部屋だ。普通にノックしても、ドアのように軽やかな音はしない。ビャインビャイン、といった、ぶれたような音がする。
「失礼します。社長」
頭を下げながら足を踏み入れると、社長はデスクで朝刊を広げていた。この人のことは、嫌いではなかった。幼馴染の実父にあたる方で、自分の仕事は責任をもってする方だった。自分の仕事と思われることは、だ。
「本日限りで退職させていただきます。退職届は、部長に提出いたしました。突然のことで申し訳ありません。短い間でしたが、お世話になりました。」
「んー」
ああ、やっぱり――
「失礼しました。」
「んー」
私は、ここには必要のない人間だったんだな。
自分のデスクへ戻って荷物を担ぐと、部長と女性が私を見ながらこそこそと話していた。
「では、失礼します。」
そう告げて一礼し、出ていこうとした瞬間、
「ち、ちょっと、米原さん!」
と、女性に呼び止められた。
「あなた、非常識じゃないの?!昨日休んだと思ったら、今日急に退職なんて!」
「そ、そうだぞ!急に言われても、こっちは人手が……」
部長も一緒になって加勢する。
「だって、私がいない方が仕事が捗ったんじゃないんですか?」
「えっ」
「職場は辛気臭くない方が、いいですよね?」
「え」
いてもいなくても変わらないどころか、いない方がいいと、さっき確かに言われたのだ。私がここで引き止められる理由など、何もないはずだ。
「なっ、何て口の利き方を!」
彼らに私を引き止める理由があるとすれば、ストレスの捌け口がなくなって困る、ということくらいだろう。
「それはこちらのセリフです。せいぜい、労働基準監督署からの監査に怯えててください。それでは」
それだけ吐き捨てるように言って、私は身を翻した。
だめ。まだ、だめだ。ここを出るまでは、泣いてはいけない。背後には、まだ心ない言葉が浴びせられているような気がしたけど、もう私の耳には何も届いていなかった。小さな緊張と恐怖、今後への不安とで、私の中はごちゃごちゃになっていた。何故か膝が笑い、手が震えていた。労働基準監督署の監査なんてはったりだ。こんな小さな会社の、ちっぽけな人間のしたパワハラごとき、しかも被害者はこうして辞めていくし、証拠になるようなものも残していないのだから、動くはずなどない。あんな大嘘をついたのは生まれて初めてだったから、こんなにびくびくしていたのかもしれない。
一度も振り返ることなく、黙々と歩みを進めた。大荷物のことも忘れて一心不乱に歩いたせいで、息があがってきた。そこで立ち止まり、ふうと一息ついた瞬間、真っ黒なワンボックスカーが勢いよく乗り込んできて、目の前で停まった。
ガコンッ。
驚いて立ち尽くしている私を飲み込もうとするように、ドアが大きく開く。そこから頭を覗かせる、いかついサングラス姿の男性たち。
「迎えに来た。キセ」
そう言ってサングラスを指先で下にずらすと、浅黒い肌に整えられた口ひげが、にやりと歪んだ。
Next Story》
レイメイ×レイヴ! 空虹目眩 @kala84mel
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