#4

「大丈夫ですか?」

会場へ戻るため、無機質な白い廊下を歩いていると、ミヤギさんに問われる。私は何も答えられず、答える気力もなく、ただ曖昧に微笑んだ。

「な、わけないですよね。」

彼は何故かさっきから、申し訳なさそうに目を伏せている。

「あなたをこんなことに巻き込んでしまったことは、確かに僕の責任が大きいんです。……申し遅れましたが、僕はこういう者で」

ふと立ち止まると、ミヤギさんはスーツの内ポケットから名刺入れを取り出し、中から一枚差し出してくれた。【レイヴプロダクション所属アーティストマネジメント担当 海野 雅祇ウンノ ミヤギ】という文字が目に飛び込む。ミヤギ、ってこういう字書くんだ。

「『ムーンクラウンズ』のマネージャーをしてます。こういう会場では基本的に不審者や危険なファンへの対策をとっているんですが、ちょっと会場側のスタッフと打合せをしている間に、あなたがここに迷い込んでしまった。そして、皆さんの本来の姿を……」

「そう、ですか」

だからさっきユウヤさんが、ミヤギさんのせいって言ってたんだ。もし私が迷ってる間に、ミヤギさんがいてくれたら、こうはなっていなかったのかな。

「僕ら、元は“夜の国”の住人だったんです。」

「……“夜の国”?」

聞き慣れない言葉だ。まるでどこかのテーマパークの名前のようで、現実味を帯びていない。

「ええ。平たく言うと、人々の恐怖を象徴する存在の集まる場所、っていうんですかね。僕らはその存在の継承者なんです。」

恐怖の象徴の継承者って、字面だけでもおぞましい響きだ。

「あれ。僕らってことは、ミヤギさんも?」

私はふと、ミヤギさんの方を振り向く。その言葉にぴくっと反応を見せると、苦笑を浮かべてしどろもどろに口を開いた。

「まあ……実は。僕はインキュバス。夢魔むま、と呼ばれたりもしますが……」

「むま」

やっぱり聞き慣れなくて、思わず噛み締めるように復唱した。

「その、お恥ずかしながら……えぇと、異性の方の寝ている間に……ここでは言えないような、あの……ハレンチな悪さをする、魔物なんですが」

と、自分で言いながら、ミヤギさんは恥ずかしそうに手で顔を覆う。

「ミヤギさん、ハレンチなんですか……」

わざとらしく、彼をじっとりと見つめると、ミヤギさんは慌てふためき、顔を覆っていた手を身体の前で思いきり振った。

「いっ、いやいや!僕はそんなんじゃありません!……先代にはそんな方もいたというだけで。」

そんなミヤギさんの姿に、私は思わず吹き出してしまった。

「意外と意地悪ですね、キセちゃん。」

「えっ?」

あ、今、私のこと、名前で……

「まあ、ご先祖様と今の姿は往々にして違いますから。僕も睡眠中にお邪魔しようと思えば、異性の方だけとも限りませんし。」

ご先祖様?今の姿——。どうしてもイメージがわかなくて、また曖昧に頷いてしまった。

「またみなさんのことも、追ってお話ししていきますね。ひとまず明日は、米原さんの出勤後にお迎えにあがります。半永久的にご実家には帰れない可能性がありますので、服や雑貨などの荷物は持てるだけ持ってきてください。」

「半、永久的……」

わかってはいることだけど、改めて言われると、少し胸が詰まる。

「家具などは社有寮にありますから、そこはお気になさらず。また、気になることがあれば、いつでもそちらにご連絡ください。」

と、ミヤギさんの視線は、私の手元にある名刺を指していた。

 気がつくと、見慣れた景色に出ていた。会場から出てすぐの、エントランスである。私はここに、心から戻ってきたかった。随分と遠回りをして、そして、もう戻れないところにまで、行き着いてしまった。

「あー、それから!」

ミヤギさんが思い出したように声をあげる。

「仕事の内容は基本的に、個々のお世話になります。最近は個別の活動も増えてきたので、僕がメンバー全体を見て、米原さんには別行動となるメンバーさんのお世話をお願いすると思います。基本的に、あれがほしいとか、これはだめとか、言われたことに従えば大丈夫です。徐々に雰囲気を掴んでいってください。」

メンバーさんの、お世話か。にわかに不安になってきた。あれだけ啖呵を切ってきたけど、覚えの悪い私にちゃんと務まるのだろうか。

「……はい」

「そうだ。お席に戻る前に、ちょっと」

と、隅の方まで腕を引かれる。なんだ、なんだ?

「お預かりします。」

ミヤギさんは、私が心もとなく手に持っていたカツラを自然に手に取り、ふわりと被せてくれた。

「よし、できた。」

にこり、と整った顔立ちが和らいだ。頭に違和感もなく、上手にセットしてくれたにも関わらず、念入りにここは大丈夫か、痛くないか、と確認してくれる。私は何だか晴れがましくて、大丈夫ですと頷いて見せた。

「じゃあ、明日からよろしくお願いしますね、米原さん。」

ミヤギさんが右手を差し出す。この人も本当は人じゃないなんて、とても思えなかった。ごく自然に、どころか、今まで出会ったどんな男性よりも紳士的に、私と接してくれるなんて。こんな風に握手をすることも初めてだから、ちょっとドキドキしながら、その手をそっと握った。彼は優しく微笑むと、ぎゅっと握り返す。ミヤギさんの手は大きくてしなやかで、少し冷たかった。男の人の手って、こんな感じなんだ……。

「僕ら、こう見えても本当にあなたを歓迎しているんです。あなたにとっては悲劇でしかないかもしれないけど、僕らにとっては好機。今が大事な時期ですから。アーティストとしても、種族としても。」

またこの言葉——“大事な時期”。何だろう。確かに今人気のグループだし、そういう意味で大事ってことはわかるけど、この含みのある言い方は、何か別の意味が込められてるような気がしてしまう。

「まあ、また詳しい話はしますから。心配しないでくださいね。」

よっぽど変な顔をしてしまっていたのか、ミヤギさんにそうたしなめられて、私たちは別れた。


 慌てて元の席につくと、丁度リナの出番であった。……よかった、間に合って。私は大きく息をついて椅子に深く腰掛け、彼女の歌とダンスを目に焼き付けた。一瞬一瞬を、逃してはならないと思った。楽しそうな笑顔も、伸びやかな声も、完璧なステップも、力のこもった表情も、些細なミスも、掠れて艶っぽいアドリブも。誰が何と言っても、私はリナの歌が大好きだし、人を幸せにできる力を秘めてると思う。少なくとも私は、今、幸せだ。


 すべてのプログラムを終えたリナは、メイクも半分とれかかったような状態で私の元へ戻って来た。結果、彼女は全国大会への切符を逃し、泣き腫らしてきたのだ。

「さあ、おいしいもの食べて帰ろう?ね。」

リナはまだ、声を詰まらせていた。話す代わりに何度も頷いてみせ、タオルで顔を覆いながら、身体を寄せてきた。よく頑張ったね。でもまた次があるよ。かけてあげたい言葉はたくさんあったけど、私も胸がいっぱいで、何も言えずにただ背中に腕を回した。

 彼女には夢も、未来もある。きっと思い描いたきらきらした世界に、羽ばたいていける。でも、その景色の中に、私はもういない。


 奇しくも、父がまだ生きている頃家族4人でよく食事をした洋食屋さんで、夕食をとることになった。リナがなけなしのお小遣いで特大ハンバーグステーキをごちそうしてくれ、私はこっそり泣きながら食べた。リナもおいしいお肉にすっかり機嫌を直し、嬉しそうに今日の様子を話してくれた。

「あの、めちゃくちゃ上手なコいたでしょ?そのコとID交換してさー!」

「本当はあと少しで合格できそうだったんだってぇ。事務所の人が教えてくれたの」

「『ムンクラ』のみんなが、出演者全員と握手してくれてね!もーう、めっちゃかっこよかったぁー!」

機関銃のように次から次へと話しまくるリナ。その話題になった瞬間、私は手が止まった。

「『ムンクラ』、か」

「うん!おねーちゃんにも見せてあげたかったなー。あんなかっこいい人、この世に存在するんだなあって」

そうだね、あんな人たちがこの世に存在するなんて、私も思わなかった。

「ねえ、今夜一緒に寝てもいい?」

「えっ」

「だってまだ、話し足りないもん!」

そうだった。リナは昔から、夜眠る前にごろごろしながら、他愛もない話をするのが好きだった。時折睡魔と闘いながら話し相手をしていると、リナの方が先に眠ってしまう。でも何故か、憎めないのだ。

「うん、いいよ。早く帰ってお風呂入って、布団敷こうね。」

喜びに満ちた、きらきらの笑顔。私はリナのあの表情を、きっと一生忘れないだろう。




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