第10日目:Ⅱ【事件の終幕と明日】

 バスがハイジャックされた。

 あの、目つきの悪い学生が叫んだ。何と言ったかはよく分からない。怒りを表した言葉だった気もするし、自傷の言葉だった気もした。とにかく、汚い言葉だった。

 最初、学生はポケットからカッターを取り出した。百円ショップなんかでも売っている、誰でも手に入るだった。

 彼はそれを近くの女性の首に押し付ける。歯は出ていたようで少し紅いものが見える。

 浩介の恐怖は最初の叫びから、増していくどころか減っていた。それどころか余裕の表情まで浮かべていた。

 浩介の鞄の中には、例のドアだけでなく他にも裕平に隠れて作っていたものがあった。

 例えば、目標のものだけをくっ付けられる強力磁石がある。

 まだ、実験はしてなかったのでちょうど良い。今、実験する事にする。

 磁石に付いている小型の操作パネルでカッターを指定し、スイッチをONにする。

 すると、学生の手からカッターはスルリと抜け、この磁石にくっ付いた。

 それと同時に、片方の肩紐だけをかけていた鞄から人が飛び出した。



 片方だけしか破壊していなかったどこでもドアを探すため、教室を飛び出す。

 先生にはトイレだと伝え、全くの逆方向ーー美術室へと向かう。

 運良く、授業外の時間だったようで、斉藤先生しか居なかった。

 斉藤先生はただ頷くと、準備室の端に設置されたどこでもドアを開いてくれた。


 どうやら先客が居たようだ。

 千華先輩が上靴で目つきの悪い学生をひたすら叩いていた。

「おい、裕平。来るのは良いが、お前は何するつもりだったんだ?」

 真後ろに立っている浩介先輩が僕に聞く。

 確かにそうだ。来たは良いが、僕は何をするつもりだったんだろう。

「先輩がハイジャックにあっているって聞いて、いてもたってもいられなくて」

「それより、役に立ったな。このドア」千華先輩の妄想で怖くなって壊したドアだ。使っていないのに壊すのは、やっぱり良くなかった。「この小さい方がバレてるとは思ってなかったけどな」

「バレバレですよ、前より良いのを作ろうとしてたんでしょうけど、あんな音出してたら」

 そんなことを話していると、千華先輩が学生を紐でぐるぐる巻きにしていた。

 バスの乗員が「お〜」と言い、僕らがさらなる恐怖に背筋を凍らしていた頃、バスは無事学校に留まり、僕らは警察の事情聴取を受ける事になった。


 事情聴取が終わり、学校も終わった頃、とっくに退部していた先輩達と一緒にバス停に向かう。

 どんな話をしようか悩んでいると、千華先輩が口を開いた。

「こんな時くらい雪が降ってくれたら良いのにね」全く降らない訳ではないが、もう五年も雪なんて見ていない。

 またもや千華先輩の妄想と化していた。

「あと、3週間もしたら滅多に会えなくなるな。裕平」浩介先輩は鼻を啜りながら言う。きっと寒さのせいだ。

「そう…なんですね」僕も鼻を啜りながら答える。僕のもきっと寒さのせいだ。


『違う』


 悲しいんだ。

 変わっていくことが、消えていくことが、なくなってしまうことが。

 人も、物も見る機会がなくなって来るとだんだんそれに関する記憶は消えていく。タンスの奥底で隠れた0点の答案用紙のように。

「だけど、記憶は蘇る。ふとした瞬間、懐かしいものに出会った時に」

 いきなり浩介先輩が、僕の想像に続けて話して来たので驚いた。

「どう…し…て」僕はもう、ほとんど泣いていた。「気持ち悪いですよ」

 浩介先輩は、mp3プレイヤーのようなものをひらひらさせていた。どうやらあれで、僕の頭の中を読み取っていたらしい。

 もうそんな事も驚かなくなっていた。

 だけど、突然白く冷たいものが落ちて来た事には驚いた。

「雪だ」

「雪じゃん」

「雪ね」

 皆は口々に、言葉で驚きを表した。

 それは、千華先輩の妄想が、初めて本当になった瞬間でもあったが、それだけでなく僕が、僕らが、改めて友情を感じた瞬間でもあった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

“もしも”実現部の日常。 幻典 尋貴 @Fool_Crab_Club

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ