グッバイサマーを囁いて

猫宮噂

グッバイサマーを囁いて

 いつか死ぬのが夢だと言ったら、私を拾って育てた養父ちちはほんの少しだけさみしげに笑って言うのでした。

──じゃあ、海に行こうか、と。


グッバイサマーを囁いて


 汽車がかたんことんと音を立てて、私と養父の二人を揺らします。こういう時の養父は普段からは想像もできないほど静かで、何の気なしに私も黙っていなければいないような心持ちになりますが、こんな沈黙が、私は嫌いではありません。だから私はどこか安心するようなつもりで、養父の肩に頭を預けます。すると彼から慣れ親しんだ鉄と油のにおいが漂ってくるものだから、私はまた安心するのでした。

 私は、この優しい養父と機械技師の仕事をしています。機械油にまみれて、真っ黒になりながら一心不乱に鉄の塊を組み上げる無骨な仕事ですが、私は存外嫌いではありません。自分の作った絡繰りが動く様、アレを見ることは人生において何よりも楽しいのです。

 けれども、この仕事について街の人々からの理解は乏しく、 あろう事か、女の身でありながら、それも貰われ子の身でありながら、技術を私に教えた養父を侮辱するのです。嗚呼、ああ、初めてそれを知った時に、どれほど私が絶望したことか。大好きな養父が私のせいで侮辱されることが、どれだけ悔しいか。

 女子なのだから、綺麗な衣装ドレスに身を包み、楚々と微笑めばいいとご婦人が言いました。女子である癖に、男の仕事を取って代わるなと別の技師の方が言いました。その言葉を聞く度に、私は死んで生まれ変わって、今度こそは養父に恥じぬ男子として生まれようと思うのでした。


 ある日、養父が尋ねました。お前の夢はなんだい、と。私は迷いなく応えたのでした。私は、いつか死ぬことが夢であると。私の答えに、養父は酷く悲しそうな顔をするのでした。


 かたん、かたん。心地よい揺れが音を刻むので、私の意識はいつの間にか溶けていたのでした。

 大きな音を立てて開かれた扉から、生ぬるい空気に混じって潮の香りがしたので、どうやら目的の駅についたのだと、私は養父の腕を取ります。汽車を飛び降りて、駅を駆け抜けて、乗合馬車に飛び乗れば、あとは海までもう少し。

 じりじりと暑い太陽はもうすぐ海の向こうに沈んでいきます。遠くに見える海は、オレンジの光を反射してきらきらと光っているのです。

 その光を見上げながら、私は養父をぎゅうと抱きしめました。物言わぬ彼の少しひんやりとした身体が、熱で火照った肌には少し気持ちよく感じます。ああ、また海に来てしまった。


「とおさま」


 今日も私は生きていますと、嘗て愛しの父が沈んだ海の向こうに囁けば、腕の中のブリキ人形はぎしりと音を立てるのでした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

グッバイサマーを囁いて 猫宮噂 @rainy_lance

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ