一人で幸せに 3/6 ~詩織、動き出す~
次の日の朝、悠は亮太に事情を聞いてみた。亮太によると、昨日の事の顛末はこうだった。
まず公園で、亮太と翔聖君、あと二人の男の子合計四人が砂場で遊んでいた。それを結衣ちゃん達女の子三人が「砂場で遊ぶなんてガキだ」みたいな言い方で馬鹿にしたらしい。それで口論になったのだが、向こうの方が口が強かった。
ひたすら馬鹿にされ続けた結果、男の子の一人が小さなバケツに水を汲んで、リーダー格の結衣ちゃんにぶっかけたらしい。それで他の男の子にも火が付き、四人で女の子三人に水をかけながら追いかけ回したというわけだ。つまり
「りょうたが悪い」
「なんで!」
「口で負けたからって水かけちゃダメなの。一緒に水かけるんじゃなくて、ダメだよって他の子に教えてあげなきゃダメでしょ。次結衣ちゃん達に会った時に謝りな」
「なぁんでぇ!」
「なんでも!」
亮太はじだんだを踏みながら必死に主張した。
「なぁあんでぇえ! だぁっておぉれ、あぁどがらやったぁけっでぇ、さぁきにほぉなみがぁ! わぁうぅぢいっだっどぇ!」
もう何を言っているのか分からない。
「ずっとやってな!」
亮太は「ドスン!」と思い切り足を踏み鳴らして言い放った。
「ばか!」
「何だって?!」
「ばか! ばぁか! っばぁあか!!」
「いい加減にしな!!」
悠が怒鳴って立ち上がると、亮太は走って距離を取り、悠を睨み付けた。
「謝る気がないんなら、ずっとそうやってな! 結衣ちゃん達に謝る気がないんなら…私もりょうた許してあげないからね」
亮太は黙って悠を睨み付けているままだ。悠もこのまま話を終わりにはしたくないが、もう仕事に行く時間だ。悠は出がけに詩織の家に寄り、亮太の話を聞いてくれるようにお願いして、ついでに昨日岡本食堂に来た美紀とその彼氏の事も軽く話してから仕事に向かった。
*
詩織が悠の家に来てみると、悠に教えられた通り、亮太は不機嫌だった。「詩織は悠の味方だ!」と思っているらしく、詩織が詳しく話を聞かせてくれと頼んでも、亮太は「やだ」の一点張りだ。
「よし! じゃあさ、今日悠が帰ってきたら、私りょうたの味方してあげる。だからさ、お話聞かせてよ。じゃないと味方できないもん」
そう持ち掛けると、亮太は横目でじろりと睨んだ。まだ信用されていないようだ。
「じゃあさ、今から私と一緒に、悠を言い負かす作戦つくろうよ」
「……いいよ」
詩織には亮太の言い分を全肯定するつもりは初めからない。細かい事情は知らないが、基本的には悠の言い分に理があるだろう事も分かっている。悠を一緒に負かすと言うより、上手く二人の間に入り込んで、調整するだけだ。
詩織は亮太と一通り作戦を練ると、悠があらかじめ作っていたお弁当を亮太に持たせて、家から送り出した。今日は翔聖君と約束があるらしい。
亮太の事はこれで何とかなるだろう。次に気になるのは美紀のことだ。詩織は美紀の彼氏には会ったことがない。どんな人か知らないが、今朝の悠の話を聞く限り、二人の関係はあまり健康的ではなさそうだ。
誰かと美紀の事を相談したいが、美紀と共通の知り合いは悠の他にはほとんどいない。悠の他に安心して話ができるのは黒川君くらいだが、詩織は連絡先を知らなかった。詩織は大学の美術棟に乗り込んで黒川君を探す事にした。
*
美術棟は大学の西にある。夏休み中の現在でも、ツナギを着た学生達がちらほら徘徊している。
黒川君は普段「製品・環境デザイン研究室」の活動に参加している事は聞いていた。詩織は美術棟の入り口にある地図を眺めて研究室を探し始めた。
―― 「川西研究室」「下山研究室」……違う。この辺じゃないな。「書道演習室」「工芸実習室」……あ、「グラフィック・インフォメーションデザイン研究室」! なんとなく近い。隣は…え、「版画研究室」? なんでよ!
「なんかお探しなんすか?」
詩織が声の方に振り返ると、背の高い男子学生が立っていた。きりっとした顔立ちのイケメン。服装もワインレッドのシャツに黒いズボンにブーツを履いて、結構オシャレだ。
―― お、この人結構カッコ…いやいや、それは後で!
「知り合いを探してるんです。製品・環境デザイン研究室にいると思うんですけど」
「ああ、『製環』すか。俺…」
―― え! まさかこの人、製環の人?!
「隣の『グライン』行くんで、一緒に案内しますよ」
―― なぁんだ。いや、別にいいけどさ。……あれ?
「ありがとうございます。あの、グラインってグラフィック・インフォメーションデザイン研究室ですよね? その隣って…」
詩織がもう一度地図を見直すと、彼はこう言った。
「版画になってますよね。それ間違いなんすよ。その地図、製環載ってないんで」
―― な?!
案内を買って出てくれた彼は一年生で、黒川君の事を知っていた。「いそべえさん、すごく優しくていい人っすよね。頼りになりますし」と黒川君の事を褒めていた。黒川君は後輩にも「いそべえ」と呼ばれているようだ。
彼は扉を押し開けて詩織より一足先にセイカンの中に入って行った。彼が「いそべえさんいますか?」と大きな声で呼ぶと、黒川君が奥の方からヒョイッと顔をのぞかせた。
「あ、池谷。お疲れ。どした?」
「いそべえさんの知り合い来てますよ。可愛い女の子です。ひょっとして彼女ですか?」
―― え! 私の事可愛いって?! こ、こりゃあ………! 今、池谷って言った? グライン一年池谷! 覚えとこ。
「あ、垣沼さん」
黒川君の声で詩織は我に返った。今は池谷君の事を考えてる場合じゃない。
「どうしたんですか? わざわざここまで…あれ、連絡先交換してないんでしたっけ?」
「あ、うん。あのさ、ちょっと相談したいことがあって。美紀の事なんだけど…」
黒川君は驚きもせず「なるほどね」という雰囲気で軽く数回うなずいた。
「多分、あの子の彼氏の事ですよね?」
「うん。…急にごめんね。忙しい? 私は今日、夜まで暇なんだけど…」
詩織が申し訳なさそうに言うと、黒川君は腕時計を確認して言った。
「全然大丈夫ですよ。僕も若干気になってましたからね。一時間くらいしたら作業終わりますから、大食堂で待っててもらえますか? 美紀の心配してる子は他にもいるので、連れて行くかもしれません」
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