第九話 一人で幸せに

一人で幸せに 1/6 ~酔っ払い、またしても参上。行ってしまった美紀~

 日曜日の夜、亮太を寝かしつけた悠と詩織は少し離れた駅にある居酒屋に来ていた。今日は二人だけではなく、美紀と黒川君も一緒だ。

 詩織は大学の授業であれこれ上手くいかずに他の学生よりかなり苦労していた。それを知っている悠と美紀と黒川君の三人で企画した、言うなら詩織にご褒美をあげる会だ。もちろん詩織の分は三人のおごり。


 このお店にはビュッフェスタイルの食べ放題と飲み放題がある。食べ物を取りに行った詩織は悠と美紀が予想した通り、ほぼ肉のみ山盛りにして帰ってきた。


「あーここ最高だよ! だってさ、ほら見て! フライドチキンに唐揚げ、ささみフライ、焼き鳥、ロースカツにハンバーグにステーキにカルビ! エビフライにカニクリームコロッケ! さらにお刺身とお寿司まで、なんでもあるよ! みんなも取ってきて! 早く食べよ!」


 詩織は満面の笑みではしゃいでいる。続いて黒川君が食べ物を取りに行くと、残りの三人で飲み物の相談が始まった。

「悠さんどします? あたし最初はビールいこっかなって思ってんですけど」

「私も取りあえずビールかな。詩織は焼酎でしょ? ここ結構種類あるよね」

 悠が聞くと詩織はまた大はしゃぎした。

「そうだよ! 芋、麦、米、泡盛、栗に黒糖まで! 私全制覇する! で、ランキングつける!」


 全員の食べ物と飲み物が出揃い、乾杯すると、詩織は猛然とした勢いで飲み食いし始めた。

「最初は麦がいいんだよね。まず暫定首位」

「唐揚げは安定感あるよね。しかもさ、これ片栗粉タイプで私の好み」

「黒糖いいな。八十点!」

「焼き鳥美味っ!」

「芋! やっぱ王様だね!」

「このハンバーグ、クオリティーヤバい!」

「米っ…こりゃ職人技だ! 文化遺産!」

「お寿司来ました! 日本人の誇りだよ! ナイトの称号を授ける!」

「く、栗ぃ! 伝説築いた! マーベラぁス!」

「エビフライ! お前はタルタルソースともう結婚しろ!」

「くぅーーっ!! あーわーもーりー! こ、古代文明が呼び起こされる!」


 だんだんわけが分からなくなってきた。底なしに食べまくって飲みまくっている詩織の相手を美紀に任せて、悠と黒川君は自分のおかわりに席を立った。

「あの、悠さん…垣沼さんすごいですね…」

 黒川君はマグロのカルパッチョをお皿に盛りながらそう言った。詩織の本気食いを初めて見たのだから、驚いて当然だ。

「ね。あの子、あんなに細いくせして信じられない量食べるんだよ。食べる方はいいんだけど、酔うともう楽しくなって興奮するから、誰かそばに居てあげないと危ないんだよね。本人もそれは分かってて、基本親しくない人とはお酒飲まないみたい。だから今日は心底楽しんでると思うよ」

「焼酎ランク付けするって言ってましたけど」

 悠は軽く「ふふ」と笑った。

「うん。全然ランキングになってないよね。ただ褒めてるだけで」

「そうですよね。あの、大学の近くに超大盛りカレー店があるんですよ。まだ女の人で食べきった人いないらしいんですよね。垣沼さんならいけるかもしれないです」

「ホント? じゃ、今度連れて行ってあげたら? 喜ぶと思うよ」

「四人で行きましょうよ」

「あ、いいね。行こうか」


 二人が席に戻ってくると、詩織がテーブルで一人、どんぶりいっぱいの筍御飯をもりもり食べていた。美紀のカバンは席に置いてある。

「あれ? 垣沼さん、美紀は?」

 黒川君に聞かれると、詩織は左手の親指と小指を立てて耳元でプルプル振った。

「むルルルル! あむいはんほーう…あんふふぁ! あえ? あんヴぁっへ?」

 完全に酔っぱらっている。

「詩織、飲み込んでから喋りな。何言ってんのか分かんない」

 詩織は大げさに胸元をドンドン叩きながら、口いっぱいの筍御飯を飲み込むと、やっとまともに喋り出した。

「電話かかってきたんだよ。あれさ、彼氏だよきっと! だってさ……あはは、話しながらどっか行っちゃったよ美紀。それもひそひそだった! ひっそひそ!!」

 なるほど。さっきのは電話のジェスチャーに「プルルルル」という着信音だったらしい。ただ、その後はよく分からない。

「ああ。最近、美紀のところにしょっちゅう彼氏から電話かかってきてますからね」

 黒川君はすっきり納得したようだ。

「そうなの? 美紀ちゃん幸せじゃん」

 悠がそう言うと、黒川君は「うーん…」と軽くうなった後、さらっと言った。

「色々苦労してるっぽいんですよね」

「いおいおっへ、ケンはおふぁ? えもは、みひうかひっかあほうがお。ケンふぁーほっかいおはわ! あふゃあめあを!!」

 詩織はそう言って、胡椒か何かを振りかけるように激しく手を振った。黒川君はその向かいで、ウーロンハイを吹き出しそうになりながら笑いをこらえている。

「詩織、飲み込んでから喋りな」

「んふ、みがっは。えごあ。かぎほケンふぁーえごおはわ。ほっかいわやぎあ」

「飲み込んでから!」


 詩織がまた大げさに胸を叩きながら飲み込んでいると、美紀があたふたと戻ってきた。

「あ、みんなごめん。あたしちっと、も行かないと。詩織ごめん。でもお前今期よく頑張ったよ偉い! 悠さん、いそべえも、お疲れさん。お金置いてっから」

 急いで財布を開く美紀に、黒川君が心配そうに声をかけた。

「彼氏? いっつもいきなり呼び出されてるけど、自分が疲れないようにしなよ?」

「うん。ありがといそべえ」

 美紀は五千円札を出すと、すぐに財布をもどしてカバンを背負った。

「お釣り詩織にやっから。じゃ!」

「やっはあんきゅ! おいみひ、こいおかえひきいまけうあ! ぎあへ! ぎあっへほんげおひきあへ! ぎゅうほへんぎゅふ!!」

 意味不明な言葉を叫びながら力いっぱいガッツポーズを振り回す詩織に、黒川君はついにウーロンハイを口からこぼした。悠もむせてしまい、飲み込もうとしていたパエリアのごはんつぶが鼻に入ってしまった。


―― 「ぎゅうほへんぎゅふ」って何だよ!


 苦しそうに笑う二人と、嬉しそうににまにましている詩織をよそに、美紀はさっさと行ってしまった。

「あーあ、みひいっふぁっはお。ふまーあふやっふゃうめ~」

 詩織の口からも筍御飯がこぼれた。

「詩織、飲み込みな!」

 詩織はまた大げさに胸を叩いて飲み込むと、温泉につかったおじさんみたいなため息を吐いた。

「あ゛ぁ~。筍御飯最高! 次はカレーだな。シーフード! でもその前に黒糖飲み切っちゃお」

「垣沼さん、黒糖二杯目ですよね。それ、一位ですか?」

 黒川君は焼酎のランキングが地味に気になっているようだ。詩織は残っていた黒糖をグビッと飲み干した。

「ううん。一位は芋。だってさ、芋は王様だからね。プライスレスなんだよ」

「芋は何か思い出あるんですか? 最初に飲んだ焼酎だとか」

「あのね、最初はね、麦だった。次は誰かのお土産でもらった泡盛。芋はいつだったか忘れた」

「思い出とかは特にないんですか?」

「だってさ、さっきも美味しかったからね。だからさ、結局芋は王様なんだよ。もうさ、チェックメイトなの。チェックメえーーイっ!」

「え? でも垣沼さん、『プライスレス』って…」

「んぬっふははふは! 細かい言葉尻捕らえて! 今私はカレーの頭なんだよこのふらち者! シュッシュッシュッ!」

 詩織は手刀を振り回すと、お皿を持ってカレーを取りにフラフラ歩いて行った。

「悠さん……垣沼さん、本当に楽しそうですね」

 黒川君は肩を揺らしながら笑っている。悠も笑いながら答えた。

「うん。企画した甲斐あったよね」

「一位は芋みたいですね」

「話を聞く限り、最初から決まってたっぽいね。詩織、可愛いよね。人によっては面倒くさいって思われちゃうだろうけど」

 黒川君は笑いながらうなずいた。黒川君も楽しそうだしもちろん悠自身も楽しい。企画は大成功だ。

 ただ、そう思うと一足先に帰ってしまった美紀の事が悠は気になった。せっかくなら一緒に楽しみたかった。

「僕、お冷もらってきます」

 黒川君が立ち上がった。

「あ、私が注いでくるよ。二人分」

 悠はそう言ってコップを二つ持ち、席を立った。少し歩くと、視線の先に詩織の姿。山盛りにしたご飯にカレーをかけるところだ。

 詩織は悠に気付くと「ぬふ」と不敵な笑みを浮かべ、「ほら見て見て!」と言わんばかりにカレーの入ったお玉を限界まで高く持ち上げて、カレーを滝のようにご飯にドボドボとかけた。

「あ! あ! 詩織やめな!」

 注意された詩織はさっきと同じように「んぬっふははふは!」と豪快に笑うと、カレーを持って席へと戻っていった。


―― まったく。子供相手にしてるみたいだな…。



 悠がお冷を注いで戻ってくると、黒川君が苦しそうに笑っていた。

「なまいんなお! めっにゃうまいの! なっねさ! もう、みろみろみろみろーっね! いにまんなっなもん!」

 また詩織が飲み込まずに何か喋っている。一生懸命に身振り手振りを使いながら話しているが、意味不明だ。黒川君はそれで笑っているらしい。苦しそうにしながら何とか喋っている。

「パン…ク……ですよね…」

「うん。ねもさ、んごうねんにめんなうなの! おがのにがうんなお!」

「じ、じゃあ、そういう…は、激しいロックが好きなんですね。メタ…メタル…とかは…」

「めなうわないにあないんなよね。おうなないむはなまいにうねお。にうわーなわのもないにないねにいな。ねももうわうねな」

「そ…そうなんですか…でも…サ、サウンド的には……んぶっ!」

 話が通じているようにも聞こえる。まさか黒川君は詩織が何を言っているか分かっているのだろうか?

 黒川君の言葉から察するに、話題は音楽らしい。注意深く聞けば悠にも分かるかもしれない。

「ねもさ、ねーもんなっなわすちなお? あのいろおつもうすちなおね。わなにわおつもうにょうみないねの」

 だめだ分からない。

「あ…ゆ、悠さん。…い、今垣沼さん…お……お…おん…」

「あ、にゅう! いまね、おんなぬのあないいねなの! にゅうわのんなのにう?」

 このセリフは悠にも分かった。「あ、悠! 今ね、音楽の話してたの! 悠はどんなの聴く?」だろう。答えは当然

「飲み込みな!」

「んぬっふははふはあっ!!」



                  *



 その後詩織はお寿司とステーキ(ライス付)、芋二杯、シメにコーンポタージュを飲んで、やっと満足した。

 黒川君は、詩織と悠二人だけで夜道を帰ることを心配してくれた。実際は二人でも心配ないというか、黒川君がいても悠にとっては大差ない。アパートまで送るという黒川君の申し出は断り、悠は酔っ払いの詩織を一人で連れて帰る事にした。

「ほら詩織! 赤だよ!」

 悠は赤信号を渡ろうとした詩織の手を引っ張った。

「見えてるよお。だってさ、ほら! 左目開けてるんだよ。ほぅら、ほら!」

 そう言いながら詩織は右目を手でふさいでいる。

「手ぇはなしな!」

「あっはふははっ!」

「青だよ!」

「見えてるよお。だってさ」

「渡るの!」

「どぅはぁっふあ!」


 アパートに帰ってくると、詩織は犬小屋へかけて行き、苦手なはずのジャン坊をなぜか犬小屋から無理やり呼び出した。

「ジャン坊ほれほれ! 飯は食ったのかお前?」

 ジャン坊は夜遅くに起こされた意味が分からず、詩織の前に立ち尽くしている。

「お前はいつも独りで寂しいだろ。えぇ? よし、まかせろジャン坊! お前は今日から明日が誕生日だ。止めるな。もう決めたから」

 ジャン坊はやはり意味が分からず、取りあえずお座りした。

「ああっ、お前その太もも! そんなにもこもこして…このわんこ! わんころもち! シュッシュッシュッ!」

 目の前で手刀を振り回す詩織に、ジャン坊はちょっとびっくりして顔をヒョイッと後ろへ下げた。詩織はびっくりしたジャン坊を無視して、右のふくらはぎを掻いている。

「痒い。そうかお前ノミ移したな。それは痴漢って言うんだよ! 罰金五十万! 懲役二年! 執行猶予ひゃくまんえーん! もう帰れ!! シュッシュッシュッ!」

 詩織は無理やり呼び出したジャン坊を無理やり犬小屋へ追い返した。

「ほら詩織、もう行くよ」

 悠に呼ばれると詩織は「ハッ!」と言いながら手刀でおでこをはじいた。敬礼のつもりだろう。思ったより痛かったらしく、はじいたおでこを自分で優しくさすっている。

 悠は詩織の後ろから背中を押して階段をのぼった。悠の心配通り詩織は、階段を一歩登って二歩下りて、一段飛ばして二歩踏み外しながらもたもた登って行く。

「おっしゃクリア! 見たか十五人の悪魔ぁ! 海岸線は私の物だぁっ!! ぐふぁははっ!」

 階段を登り切った詩織が叫んだ。こだまが帰ってくるくらいの大声だ。悠が「静かに!」と注意するより前に、七号室から山崎さんが現れた。

「あんた達! うるさいよ!」

 詩織は注意されたにもかかわらず、まるで「私じゃありません」というように、驚いた顔をして口元で手をパタパタ振った。すっとぼける詩織の後ろから、悠が山崎さんに謝った。

「ごめんなさい!」

 詩織は悠に振り返った。

「もう、そうだよ悠! ぬっふぁはあ!」

「その子また酔ってんの?! そんなになるまで飲ませちゃダメよ!」

 説教を喰らった悠が「すいません」と山崎さんに返事をすると、詩織は「んふふん」と鼻で笑って、振り返って悠の頬をグニッとつまんだ。

「悪びれなすぎ!」と悠が口元の笑みと厳しい目で表現すると、詩織は「はっ」と息を呑むふりをして、慌てて鍵を取り出すふりをして、口元に人差し指を当てて「おやすみ」と口だけ動かして家に入っていった。


―― まったく…徹底的にふざけ尽して。…まあ、楽しそうでよかった。




                  *



 次の日の朝、悠は詩織の家に様子を見に行った。昨日あれだけ飲んで、相当な二日酔いに悩まされていることだろう…と悠は心配していたのだが、詩織はいつもと同じように、あくびしながら悠を出迎えた。

「おはよ。あのさ、朝ご飯悠の家で食べていい? なんか、食パン食べたい」

「いいけど…詩織、二日酔いとか大丈夫?」

「うん。それよりお腹すいた」

 若干お酒の匂いはするものの、顔色も普通だし、詩織はいつもと変わらない。特に心配なさそうだ。結局その後、詩織は悠の家で食パンを二枚も食べ、仕事に出かける悠を亮太と一緒に見送ってくれた。

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