できない代わりに 7/8 ~やっと成功!報告しなきゃ~

 悠はその後もしばらく抱っこしてやれなかった。何度も抱っこしてやろうとしたのだが、いちいちタイミングを計ってしまい結局踏み出せずにいるまま、ふと気付けば、もう七時半を回っていた。

 こんな調子では抱っこしてやれない。詩織に助けてもらおうとスマホを手に取ると、すでに詩織から連絡が入っていた。


 --- 帰ってすぐ寝て、今目が覚めちゃった。すでに筋肉痛。抱っこ出来た? 今日八時から、テレビで巨大紙ヒコーキの番組あるみたいだよ。あとさ、蜂谷さん、やっぱりりょうたのお母さんの事好きなんだって! 都(みやこ)さんっていうみたい。ああ、早くこの話したい! 今度の水曜日また大学来てよ。 ---


―― あー、やっぱり蜂谷さん……いやいや、その前に巨大紙ヒコーキの番組! これだ。りょうたに夕飯食べさせて、テレビ見にいく時に抱っこしてやって、膝の上にのっけて一緒にテレビ見よう。


 急いでカレーを温め、ご飯をよそって亮太を呼びつけた。


「えー、カレー? ねぇジャガイモ小さい?」

 亮太は大きく切られたジャガイモが大嫌いだ。中まで味が染みておらず、口の中が味のしないただのイモでいっぱいになるかららしい。

「大丈夫。ちゃんと小さく切ってるよ。長く煮込んだし、朝作って冷蔵庫に入れてたから、味も染みてるはず」

 亮太は席についてカレーを食べ始めた。テーブルの下で足をパタパタ動かしながら黙々と食べている。普段なら「貧乏ゆすりするのやめな!」と注意するところだが、今日だけ許してやる事にした。

「ごちそうさまぁ」

 食べ終わった亮太が席から降りた。


―― 今だ……今今! ……今!


 悠も席から立ち、亮太を追いかけた。

「りょうた、ほら! いよぉいしょおっ!!」

 亮太が悠に抱き上げられ、二人の頭が交差した。


―― あー恥ずかしい!


「りょうた、今日楽しかったね」

「うん」

「翔聖君って、りょうたが言ってた先生より先に答え言っちゃう子?」

「うん」

「りょうた、自転車こぐのすごく速かったね。私ついてくの結構大変だったよ」

「うん」

「朝飲んだオレンジジュース、美味しかった?」

「うん」

「詩織が教えてくれたけど、八時から巨大紙ヒコーキの番組あるって」

「うん」

「一緒に見よ」

「うん」

 悠はベッドに座って亮太を膝に座らせなおすと、リモコンでテレビをつけた。


 亮太は疲れていたせいか番組が始まって十分もたたないうちに眠ってしまった。ちょっと気を抜くとずり落ちてしまうから、ずっと膝に座らせておくのは大変だ。それでも悠は番組が終わるまで座らせておく事にした。こんな機会、次にいつ来るか分からない。


 番組は期待外れだった。タレントが紙を折りながら大騒ぎして、パッと画面が切り替わると、もう巨大紙ヒコーキが完成してしまい、全然飛ばずに「このタレントは不器用だ」みたいなオチがついて終わりだった。



                  *



 水曜日、詩織の誘いに応じて悠はまた大学に来ていた。詩織は蜂谷さんの話をしたいらしい。もちろん悠もその話に興味はある。だが悠にはもう一つ、詩織にどうしても伝えたい大事な話があった。


 今日は亮太がいないので、悠は詩織との待ち合わせ時間より早めに来て、何も気にせずブラブラとキャンパスを歩き回っていた。地図を見ると、正門から北西の方角に、小さな農園があるらしい。大学にある農園ってどんなのだろう。薬草とか毒草とか、世界中の珍しい草木を育てているのだろうか? 悠は少し興味をそそられた。

 地図によると農園に行くには講義棟の中を突っ切って行くのが近道のようだ。授業中だから、あまり音を立てないように気をつけないといけない。まあ一人だし、靴もぺったんこのスニーカーで、大きな音が出るはずもないのだが。


 悠が講義棟の中を歩いていると、ドアがあいた教室の中から「あれ?」という聞き覚えのある声がした。

「悠さん?」

 名前を呼ばれて悠が振り返ると、四、五人の学生が群がっている教室の中から、黒川君と美紀が出てきた。

「あ、黒川君、美紀ちゃん! こんにちは。あれ? この教室は……」

「ここは今空き教室ですね。僕達、この時間授業取ってなくてヒマなんで、みんなで一緒に課題やってたんです。もう終わって、解散したところですけどね。悠さん、また垣沼さんに会いにきたんですか?」

 黒川君は笑顔も優しいし物腰も柔らか。しゃべり方もゆっくりで静かで、それでいてテキパキしていて簡潔。ホルスとは大違いで感じのいい男の子だ。

「そうそう。まだ時間あるから、大学の中歩き回ろうかなって。あ、もしヒマなら二人も一緒に来る?」

「あ、じゃあ僕、一緒に行ってもいいですか?」

「あたしはこん後はちっと……」

 なぜか美紀はニヤニヤ笑っている。理由は黒川君が教えてくれた。

「美紀はこの後、彼氏と約束あるみたいで」

「え、彼氏と! へぇーいいね……あれ? 狙ってた西園寺さんは? まさか……」

 美紀はニヤニヤしたまま答えた。

「いや、サークルん先輩なんです。おっといサークルわって帰っ時一緒んなって、ふたっで歩ってっ途中いっきなり後ろから肩ん手ぇまわさって『俺と付き合ってみない?』とか言わっちゃったんですよ! そんなん初めっで、ちょっ待ってって言ったんですけど、結局そんままラーメン屋寄って、でもした、サークルの他のやつらもふふっ、あぁダメだ笑っちゃうわ! あははは!」


―― ……何語?



 結局悠は黒川君と二人で時間をつぶす事になった。黒川君は附属図書館に用事があったので、悠は図書館までついていき、併設されているカフェでコーヒーを飲んでいた。黒川君はすぐに用事を済ませて、自分もコーヒーを買って悠の向かいに腰かけた。

「悠さん、先週も来てましたよね。あの時は亮太君も……」

「うん。いたいた。あの子の学校、創立記念日で午前中だけだったんだよ」

「ああなるほど。あの時、垣沼さんと同じ国語専攻の人達がいましたよね。いろいろ垣沼さんと話してたと思いますけど…」

「あ、黒川君見てたんだ。ホルス達でしょ?」

「そうです。悠さん、垣沼さんと仲良しですよね。垣沼さんが彼らの事どう思ってるかとかって……分かります?」


―― そこ気にしてくれてるのか。こいつホントにいいヤツだな!


「あんまりかかわりたくないみたいだよ。はっきり嫌いとは言わなかったけど。あんな扱い方されたら、少なくとも好きにはなれないよね。一年からずっとあんな風で、詩織、結構つらい思いしてたみたい」

 黒川君は静かに「うんうん」とうなずいた。

「僕、垣沼さんと同じ授業取ってるんですよ。ホルス君達も一緒なんですけど、その授業の課題で、紙粘土を使って『あなたが考える憎たらしい子供を作る』っていうのがあったんですよね」

「あ、その課題詩織から聞いた! 黒川君一緒だったんだ。あの子、先生より先に答え言っちゃう子作ったんでしょ?」

「そうです。あの時も垣沼さん、色々落ち込んでたみたいで」

「え、そうなの? 何があったの?」

『落ち込んでた』という単語を聞いて、今まで気軽にお喋りしていた悠の気持ちが切り替わった。

「垣沼さん、すごく楽しそうに一生懸命作ってたんです。まあはっきり言って、上手くはなかったんですよね。でも、造形の技術を得るための授業じゃないので、それは問題ないはずなんですけど、先生に製作中に作品見てもらった時『何これ? 完成した後のプレゼンでちょっと色々聞かせてもらうからな』って言われて、垣沼さん一気に元気なくなっちゃったんですよね。で、完成した後、それぞれが自分の作品をみんなの前でプレゼンして、先生に講評してもらったんですけど、その時も垣沼さん元気なくて、自信なさげだったんですよね。それが逆に先生に火をつけちゃったみたいで、『この授業を今まで受けてきた上でこの作品を作った、君の考えを聞かせなさい』とか『作ってるとき本当にきちんと考えながら作ってた? この作品見せられたら、とてもそうは思えません』とか『君の言うその意図が上手くいってると本当に思いますか?』とか言われちゃって。垣沼さんはその都度必死に説明してたんですけど、先生には納得してもらえなかったんですよね。その後ホルス君達にも『手を抜くときはもっと器用にやらないと』とか、まあ他にも色々、馬鹿にされてたんです。本人は、顔は笑ってましたけど…」

「かわいそう」

「そうですよね。先生にしても、あんな言い方する事ないのにって思うんですけど」

「うん。ちなみに詩織の作品って、黒川君から見てどうだった? もう少し詳しく聞かせてよ」

「造形の技術的には、はっきり言って下手くそでした。美術やってなかったとしても。だけど、可愛かったですよ。僕は好きでしたね。垣沼さんの作った子供って、すごく得意げに答え言ってるように見えて。先生に認めてもらいたくて一生懸命答え言おうとして、それが裏目に出て先生を困らせちゃってる、みたいな感じでしたね。初めのうちは垣沼さん、すごく楽しそうに作ってたんで、きっと子供の事かわいく思いながら作ってたんだと思います」

「でも先生には認めてもらえなかったんだ」

「学生にも認めてもらえなかったように思いますね。ホルス君達だけじゃなくて。はっきり言って垣沼さん、プレゼンも下手くそだったんですよね。だから、あんまり垣沼さんの気持ちが伝わらなかったみたいで。まあ、自信がなかったっていうのも……あったとは、思うんですけど……。垣沼さんは多分、自分で下手くそだって気付いてなかったんだと思います。なのにいきなり『何それ?』なんて言われたから、ショックも大きかったんじゃないですかね」

「そっか。『自分は気付く力すらないんだ』なんて思っただろうね。そうなったら、もう怖くて何もできないよ」

「そうですよね。垣沼さん、サークルとかも入ってないそうですし、大学唯一の友達の美紀も、その……あんな風ですし。あ、いや、いい子ですけど……美紀は美術専攻の他の友達も大勢いるので、垣沼さんといつも一緒なわけじゃないんですよね。彼氏にも浮気されて別れて、今垣沼さんの支えになってるのは悠さんだけかもしれません」

「あれ、なんで彼氏と別れた事知ってるの?」

「美紀から聞きました」

「そっか。詩織、いい子だし、りょうたの色んな事にすごくよく気付いてくれるんだよ。能力あると思うんだけどな」

「そうですよね。授業は、先生に求められてる事ができなかったら、いい評価がもらえないのは仕方ないですけど。垣沼さんは、できない事を気にしすぎてる感がありますね。その代りにできる事だってちゃんとあるのに。ひょっとしたら、できないのに気付いていなかったのと同じように、できる事にも気付いていないのかもしれませんね。できない事は指摘する人がまわりにいて、できる事を教えてくれる人がいないんだと思います。少なくとも大学では」

 黒川君が詩織ときちんと知り合ったのは、西園寺さんの一件、つまり割と最近なのだが、その時から詩織の事をかなり評価していて、注目してくれていたらしい。

 その後黒川君は、詩織との待ち合わせ時間の直前になって、「大事な用事があったのを忘れていました」と言って大急ぎで自転車をこいでどこかへ行ってしまった。

 詩織に彼の話を直接聞かせたかったのに、ちょっと残念だ。

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