できない代わりに 6/8 ~仲直りしましょ~

 木陰のベンチはさっきと同じで、ムシムシしてそれほど涼しくない。詩織は亮太にスポーツドリンクを飲ませてタオルで汗を拭いてやった。

「りょうた、自分でもよく分かんないんだよね。自分の気持ち」

「……だって悠が……おれのボール取ったから……」

「ふふ」と亮太に優しく笑いかけてやる。

「そうだよね。悠、今日は翔聖君の味方ばっかりしてるよね。上手い上手いって。りょうたの気持ちに気付いてあげられなかったよね。悠はお母さんになった事ないからさ、色々分からない事があるんだよきっと」

「……」

「悠はさ、りょうたが翔聖君と仲良しだから、りょうたのために自分も翔聖君と仲良くしなきゃって思ったんだよきっと。それに一生懸命だったから、りょうたにかまってあげられなかったんだよ。かわりにさ、今日おうち帰ったら……そうだな……悠に抱っこしてもらったら?!」

「やだよ」

「なんで?」

「なんでも!」

「恥ずかしいんでしょ?」

「違うけどやなの!」

「やなのか。残念……。りょうたを抱っこ出来たらさ、悠も嬉しいと思うけどなきっと」

 亮太の機嫌は治らなかったが、詩織にとっては手ごたえありだ。亮太の気持ちは、ほぼ間違いなく詩織が想像している通りだろう。


 亮太の気持ちが少し落ち着いた後、蜂谷さんが昼食を買いに出かけた。蜂谷さんによると、この近くにちょっと高級な美味しいお弁当屋さんがあるらしい。

「あのさ翔聖君、りょうたも。今度は悠の助けなしで、二人だけでアスレチックに挑戦してみてよ。できる? 意外と難しいよきっと」

「え楽勝だよ? さっき一回やったから」

「おれも楽勝!」


 亮太は翔聖君に続いてそう言うと、先にアスレチックに走り出した。翔聖君がそれを追いかけて行く。二人がある程度離れると、詩織は悠に話しかけた。

「あのさ、何でさっきりょうたが怒ったか、分かる?」

「うーん、私にボール取られて悔しかったから?」

 詩織の思った通り、少々理解不足だ。二人は時々翔聖君と亮太に手を振りながら、話を続けた。

「それだけじゃないよ。りょうたは焼きもち焼いたんだよ。それにさ、悔しかったんだと思うよきっと。だってさ、悠、翔聖君ばっかりちやほやしてたでしょ?」

「え? あぁ……」

「さっきさ、りょうたに、おうち帰ったら悠に抱っこしてもらいなって言ったんだよ。そしたらさ、恥ずかしがって、やだって言ったけど、絶対喜ぶよ抱っこしてあげたら。だからさ、うち帰ったら悠の方から抱っこしてあげてよ。たっぷり甘えさせてあげてみて」

 悠は息を吐きながら静かに笑った。

「抱っこ……」

「恥ずかしいんでしょ?」

「え、いや……うん」

「お互い恥ずかしいなら、悠の方が我慢しないと。だってさ、今日ずっとりょうたに我慢させちゃったんだよ?」

「分かった。抱っこしてやるか。しょうがないから」

 二人の視線の先では翔聖君とゴールにたどり着いた亮太が手を振っていた。



                  *



 蜂谷さんが買ってきてくれたお弁当は、和牛や天ぷら、煮物に甘味まで入った豪勢な懐石弁当だった。「ちょっと高級」なんてレベルではない。二千円……いや、下手したら四千円以上するかもしれない超高級弁当だ。

「あの、こんな高そうなお弁当、ごちそうになっちゃっていいんですか?」

 申し訳なさそうにそう言った悠に蜂谷さんはにっこり笑ってこう返してくれた。

「いいですよ全然。垣沼さんはまだ学生さんだし、木村さんもお若いから、あんまりこういうの食べる機会ないでしょ? せっかくなんだから今日は豪華に行きましょうよ。その方が俺も楽しいですよ」

「あー美味しい!」

 ひとくち口に運んで悠は唸るように言った。この高級な日本料理の美味しさが小学一年生に分かるだろうか。もし亮太が美味しくないなんて言い出したら蜂谷さんに失礼だ。

 悠がそう思っていると、詩織が翔聖君の方に声をかけた。

「すごく美味しいね。翔聖君はさ、これ食べた事あるの?」

「うん。食べた事ある。おれこれ好きだから」

 こんな渋い料理の美味しさが分かるなんて、やっぱりイカしてる。すかさず亮太が張り合った。

「おれもこれ好き」


―― あーなるほど。詩織、翔聖君に好きって言わせれば亮太もそう言うって踏んだんだ。その目論見通り。上手い事考えたな。


 悠はそう思いながらも、一抹の不安を感じていた。詩織は好き嫌いが多い。悠の家にご飯を食べにくると、毎回最低二つは嫌いなものがあって必ず残している。

 詩織があれやこれやと残したらそれもやっぱり蜂谷さんに失礼だ。そう思っていると、案の定詩織が椎茸の天ぷらを悠に差し出してきた。

「あのさ、これあげる」


―― ほら始まった!


「あ、垣沼さん椎茸ダメでした?」

「すみません。私椎茸だけは本当にダメなんです」

 詩織はなんだか白々しい声で蜂谷さんにそう言った。


―― 椎茸「だけ」?! また嘘ついてコイツは!


 ところが! 悠の予想を裏切り、その後詩織は椎茸以外の全ての食材をたいらげた。食べられないと言っていた里芋、かぼちゃ、お麩、人参、さやえんどう、こうや豆腐その他もろもろ一つ残らずだ。悠は心の中で思い切り突っ込んだ。


―― へぇなるほどね。詩織、食べようと思えば全部食べられたんだ! 今までずっと、「食べられない」って嘘ついてたわけだ!! 本っ当に嘘つきだなコイツ!!


「あぁ、お腹いっぱいになった。蜂谷さん、ごちそうさまでした。すごく美味しかったです」

 詩織がまた白々しく言った。嫌いなものを我慢して食べたくせに、また気持ち嘘をついている。さらに「ね?」と悠に同意を求めてきた。

「……うん。ホントに美味しかった。ごちそうさまでした」

「喜んでもらえてよかったですよ。じゃぁ、少し休んだら、軽くストレッチして帰りましょうか」

 遊んだ後にストレッチとは。やっぱりなんか…なんかイカしている。

「お父さん、おれ疲れたから今日は帰ったらすぐ寝てもいい?」

 翔聖君がそう蜂谷さんにねだった。

「ダメだよ。塾の課題終わってないだろ? それ終わってからだよ」

「えぇーでも疲れた」


―― 翔聖君、塾に通ってるのか。……あれ? まさかひょっとして……。


 悠がそう思った瞬間、詩織が口を開いた。

「翔聖君塾行ってるんだ。じゃぁ学校のお勉強楽勝だね」

「うん。塾の方が早いから。おれの方が先生より早いよ。もう塾でやってるから」


―― あっやっぱり! さぁ詩織、何て言う?


「先生より先に言っちゃうの? 分かっても秘密にしておいてあげなよ。先生が他の子に教えてあげる楽しみがなくなって困っちゃうよ」

「え、困ってないよ? 全部正解だから」


―― いやー、困ってるんじゃなかな。


「翔聖、先生より先に答え言っちゃってるのか? それより分からない子に教えてあげろよ」

「え、教えてるよ? おれが一番早いから」

 翔聖君は完全に、詩織の言っていた「憎たらしい子」だ。ところが、詩織は翔聖君を見ながらにこにこ笑っている。愛想笑いではなく、本物の笑顔だ。


 その後、全員でストレッチをして、帰路に着いた。詩織がまた途中でへばってしまい、来る途中で寄ったコンビニでまた一休みしたが、翔聖君の機嫌もよかったので、詩織はあんまり気にしていないようだった。



                  *



 アパートに帰ってくると、自転車を停めながら詩織が言った。

「私もうダメ。今日はすぐ寝る。明日絶対筋肉痛だな。でも楽しかった。ありがとね。それじゃ悠、頑張ってね。りょうたもまた明日」

 頑張ってねと言うのは抱っこの事だろう。もっと広げれば亮太との仲直りの事だ。

「うん。お疲れ。また明日」

「ばいばい」

 悠と亮太は詩織に手を振った。


 今日は疲れて帰ってくるだろうという事を見越して、悠は朝のうちにカレーを作っていた。夕飯はこれを温めて食べるだけだ。ただ、まだ四時。夕飯には少し早い。散々遊んで汗をかいたから、亮太にはさっさとシャワーを浴びさせてしまおう。

 今日はいつもと逆に悠が先にシャワーを浴びる事にした。出た後亮太が疲れて眠ってしまっていても、シャワーを浴びれば一旦は目が覚めるはずだ。


 どんなタイミングで抱っこしてやろう。本当のお母さんならタイミングなんて計る必要ないだろう。だが悠は、一時的に親代わりだと言っても他人だ。

 もちろん亮太の事は好きだが、やっぱり恥ずかしい。いつ抱っこしてやるかシャワーを浴びながら真剣に考えた。


―― 寝る直前におやすみを言うタイミングで……いや、これは一番恥ずかしいな。もっとさりげなく……夕飯食べる時に抱っこして椅子に座らせる? ダメだ。これはさりげなさすぎる。りょうたに「抱っこしてもらった」って思ってもらえないかも。


 シャワーから出ると、やはり亮太は眠りこけていた。突っついて「シャワー浴びな」と起こすと、亮太は返事もせずにふらふらと歩いて行った。


―― どうしよう。何にも考え付かなかったな。ていうか、そもそもタイミング計ろうとしてる時点でダメかも。りょうたがシャワーから出てきたら、思い切っていきなり抱っこしてやろうか。うん。それが一番いい。


 少しドキドキしながら悠がテーブルで待っていると、シャワーを浴び終えた亮太がふらふらとやってきた。相変わらず早い。そして相変わらず頭の拭き方が甘い。ポタポタ水滴を垂らしながら歩いてくる。


―― 来た! 今だな。……今! …今だよ…


 緊張して、抱っこどころか自分が席から立つタイミングすらつかめない。


―― ……今……っっ! ダメだ恥ずかしい!! あぁ、詩織助けて!!


 モタモタしている間に亮太はテレビの方へ行ってしまった。

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