できない代わりに 2/8 ~ハット卿?~

「あのさ、りょうた、今日の時間割何だった?」

「国語、算数、生活、音楽……」

 新たにサバの味噌煮を買って『サバの味噌煮定食・味噌汁抜き』を食べている悠の横で、詩織と亮太は楽しくお喋りしている。

「国語あったの? 授業で教科書読んだ?」

「うん。先生に当てられて、おれが読んだ」

「そうなの?! 何読んだの?」

「七ページにある詩を読んだ」

「たんぽぽのやつ?」

「うん」

「いろんな音の名前あったでしょ」

「うん。あった」

 悠には何の話かよく分からない。でも詩織は楽しそう。亮太も楽しそう。自分はお腹いっぱいでもどしそう。


「ハット卿!」


 大きな声が響き、詩織が反応して振り向いた。

「ハット卿ずっとそこにいたの? 全然気付かなかったよ!」

 ぽっちゃりした背の高い男子学生だ。黒縁のめがねをかけてやたらにこにこしている。その学生と一緒にいる何人かも詩織の方を向いてにこにこしている。

「あ、ホルス。みんなも。お疲れ様」

 詩織がそう返事をした事から察するに、「ハット卿」と言うのは詩織の事で、このぽっちゃり男子学生は「ホルス」だ。

「ねえハット卿、これ食べる? いくよほら!」

 奥にいる女子学生が個別包装のクッキーを一つ放った。詩織が慌てて身を乗り出し、受け取ろうと手を伸ばす。悠はその詩織を見ながら心の中で呟いた。


―― あぁ落としそうだな。詩織ダメだって、手をそんなに伸ばしちゃ補足しづらいよ。そっちじゃないって。もっとこっち。それじゃ落とすって!


 ぺちん! と音を立ててクッキーが床に落ちた。おそらく、悠だけでなくホルス達にも予想通りだろう。

 女子学生は「ごめんごめん」と言いながら、ホルス達と一緒にくすくす笑っている。詩織は黙ってクッキーを拾うと「ありがと」と言って席に戻った。

「ハット卿、今もギター弾いてるの?」

 ホルスの向かいにいる小柄な男子学生がそう言いながら手をブラブラと動かした。ギターを弾くジェスチャーのつもりだろう。

「うん。たまに」

「マジ? 今度聴かせてね」

 ホルスがそう言って、詩織が苦笑いを返すと、みんながまたくすくすと笑った。何だかテレビのお笑い芸人でも見ているような、詩織本人の気持ちを無視した笑い方だ。

 悠はこの時点で三つ確信した。


―― こいつらみんな、詩織の事を馬鹿にしてる。


―― でも馬鹿にしてるって自覚がないからブレーキが一切かからない。


―― 詩織はこの二つに気付いてる。


「詩織、ギター弾けるの?」

 小さい声でそう聞いた悠に詩織は目を合わせず短く答えた。

「うん」

「いいなあ、そういうの。なんか、カッコイイ趣味だね」

 詩織は「無言」で返事をした。

「ねえハット卿、その男の子知り合いなの?」

 さっきの女子学生が亮太に興味を示した。教員養成課程の大学生だから子供は好きなんだろうが、どっちかというと詩織をからかう材料になる事を期待してるように見える。

「うん。同じアパートに住んでる子」

 悠は当然、詩織をからかうホルス達の事は気に入らない。彼らと詩織を交互に眺めながら黙っていた。

「かわいいね」

「うん」

 詩織はあんまり向こうと話したくなさそうだ。悠がいつまでも食べてたら、詩織はいつまでもこいつらにからかわれ続けてしまう。早く食べないと。

「ハット卿、どうだった? さっき、レポート出せた?」

 ホルスは終始にこにこしている。声色も、気さくで優しい雰囲気を醸し出してはいる。たぶん本人は、本当に単純に「気さくに、優しく」しているつもりなのだ。

「うん。一応出してきた」

「へえ、今回は受け取ってもらえたんだ。よかったね。先生なんて言ってた?」

「うん…」

「あ、大丈夫だよハット卿。言いたくなかったら言わなくても」

 悠は我慢できずに箸を置いて立ち上がった。

「詩織、お待たせ。もう行こう」

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