できない代わりに 3/8 ~なんだかきな臭い~

 三人は大学の正門からの大きな通りにやってきた。広いウッドデッキがあり、所々それを貫くようにケヤキが何本も生えていて、その根元にはベンチが設置されている。

 学生だけでなく、附属の幼稚園の幼児や、子連れのお母さん達もいる。木陰は少しだけ涼しいし、子供の声やお母さん達の話し声、鳥のさえずりに木の葉がすれる音。とてものどかで心地いい場所だ。

 三人は正門から一番奥のベンチに腰掛けた。

「詩織、もう授業ないの?」

「うん。今日はもうない」

「ホルス君だっけ? さっきの子達、詩織と仲いいの?」

 そんなわけない事は悠にも分かっている。詩織の反応が見たいだけだ。

「うん……仲いいっていうかさ、同じ国語専攻だから……まあでも仲いいって事かも」

 もやもやした返答だ。だが少なくとも彼らに対して「好意的」なニュアンスはない。あんなに馬鹿にされたら、それも当たり前だ。

「詩織、私達に会う前レポート出しに行ってたの?」

「うん」

「一人ずつ出しに行くもんなの?」

「ううん。そうじゃないけどさ」

 この話はあまりしたくないらしい。だが悠にはこれでハッキリ分かった。


 詩織は何かが「出来ない」って事をすごく気にしている。馬鹿にされるのが怖くて、それを悠に隠そうとしているのだ。

「ねえ、大学の宿題……課題? どういうやつなの?」

「この間あったのはね、紙粘土を使って、『あなたが考える憎たらしい子供を作る』っていうやつ」

「え? 何その課題。私、大学の課題ってレポートとか論文みたいなものばっかりだと思ってたけど、そんなのもあるんだ」

「うん。まあ、レポートとかの方が多いけどさ。あとは指導案っていう、授業の計画書みたいなのとか」

「へえ……詩織、憎たらしい子供ってどんなの作ったの?」

「塾で先に勉強しててさ、先生より先に答え言っちゃう子供」

「ああ、いそうだねそんな子。先生困るよね。りょうた、クラスに一人くらいそういう子いるでしょ?」

 悠は詩織との間に座って紙パックのジュースを飲んでいる亮太に聞いてみた。亮太はそれに答えようと口をストローから離した瞬間

「んぁ、かっほ! こっこぁっほ!」

 思い切りむせこんだ。詩織がすぐにリュックからハンドタオルを出して亮太に渡し、背中を軽くとんとん叩いた。

「大丈夫? これで口拭いて」

「えぁっこっほぁ! おっけっこぉっほ!」

 ニワトリみたいだ。苦しそうな亮太を悠は笑いそうになってしまった。

「いぅ……あぇっっえっほぁぁっ!!」

 亮太は咳をした拍子に、持っていた紙パックを勢いよく握りしめた。ストローからぶどうジュースが吹き出して悠のジーパンにふりかかった。

「あぁっ! ちょぉっと!」

 悠はくすくす笑いながら自分のカバンからティッシュを取り出し、ジュースをふき取った。

 まったく、ご飯は食べきれないし、むせるし、人のジーパンにジュースこぼすし。しょうがないヤツだ。

「いぅ……えっっほぁっっお……」

 何か言おうとしているらしい。

「え? なんつった? ジーパンなら平気だよ」

「ぅおっほぇ……いる……」

「いるって? さっき私が聞いたやつ? クラスに答え言っちゃう子がいるって話?」

 むせ込みながらうなずいた亮太を見て、詩織が大笑いした。

「りょうた、むせながら必死にそれ言おうとしてたの? あっはははは!」

 悠と違って一切の遠慮なしで笑っている。



                  *



 次の日だった。亮太は学校から帰てくると、いきなり悠に突きつけるように茶封筒を渡した。

「はい。これ読んで」

 少し嫌な予感がする。学校からの特別な書類か何かだったら、悠には対応できないかもしれない。悠は茶封筒を受け取ると、ハラハラしながら中の紙を引っ張り出した。

 だがそれは書類ではなく手紙、それも先生からではなかった。




 お久しぶりです。蜂谷です。

 亮太君には、日頃からうちの翔聖と仲良くしてもらって、とても感謝しています。翔聖は私が家に帰るといつも学校の楽しい話を聞かせてくれます。もう口を開けば「今日亮太が……」と、亮太君の話が出てきて、翔聖の顔もとても嬉しそうで、その姿を見られるおかげで、仕事の疲れも吹き飛んでしまいます。

 栄川を越えて少し行った所に、大きなアスレチックや芝生の広場がある公園があるのですが、翔聖が亮太君と行きたいと言っています。

 二人だけで行かせるのは不安なので、私が連れて行こうと思っているのですが、もしよろしかったら、来週末、お母様も一緒に四人で自転車に乗って行きませんか? 日頃のお礼もかねて、昼食をご馳走させて頂こうかと思っています。

 お返事お待ちしています。


                                蜂谷恭二





「ああ、蜂谷さん……て誰?」

翔聖しょうせいのお父さん」

「翔聖君ってのは、りょうたの友達?」

「うん。ねえなんて書いてある?」

 悠は亮太に教えるのを一瞬だけためらった。何となく、亮太がわがままを言いだすような気がする。しかしだからといって嘘も言えないし、思いつかないし、結局は教えるしかない。

「りょうたとお母さんと、翔聖君とお父さんの四人で来週末公園行きませんかって」

「え行きたい!」

 行きたくない。蜂谷さんがどんな人かは知らないが、亮太の事で何か介入しようとするかもしれない。今悠が誘いを受けるより、亮太のお母さんが帰ってきてからの方がいいはずだ。

 それに…なんとなく内容がきな臭い。翔聖君のお母さんはどうするのだろう。

「これはりょうたのお母さん帰ってきてから行きな。翔聖君のお母さんと五人で」

「なんで」

「なんでって……私、翔聖君のお父さんの事知らないし。翔聖君のお母さんがいない所でお父さんだけと私が合うのも……えーと……」

「翔聖お母さんいないよ」

「えっ?」

「もう離婚した」


―― 一年生のくせに離婚なんて言葉よく知ってるな。翔聖君が教えたのかな?


「ねえ行きたい!」

「だめ。お母さん帰ってきてから。翔聖君にまた今度って言っときな」

 悠がそう言うと、亮太は何も言わずに奥の部屋へ歩いて行った。まあ、大人の理屈だから納得いかなくて腹も立つだろうが、いずれは行けるだろうし、今回は我慢してもらおう。

 ところが! 次の瞬間、亮太は肩を動かしながら鼻をすすりはじめた。そしてそのすぐ後に「ふん~」とかすれるような情けない細い声が聞こえてきた。


―― ちょっと、泣かないでよ……。怒るんだったらこっちも気が楽なのに、泣かれちゃったらもう……行くしかないじゃんか!!




                  *



 その週の日曜日、悠、詩織、亮太の三人は自転車で小学校の正門前に来ていた。

「詩織、ありがとね。無理言ってゴメン」

「ううん。全然無理なんかじゃないよ。むしろ声かけてくれてうれしい」

 蜂谷さんには返事を書いて、悠と詩織が一緒に行く事は知らせてある。悠が詩織を呼んだのは、自分と蜂谷さん二人だと気まずいという事と、子どもが関わる事は、詩織がいてくれた方が心強いからだ。

「ねえ、悠は蜂谷さんに会った事あるの?」

「ううん。ない。りょうたからあの手紙受け取って初めて知った。あの手紙どう思う? りょうたのお母さんと……」

 すぐそこに亮太がいる事を思い出して、悠は慌てて話をここで止めた。亮太の方をちらりと見ると、翔聖君達が来るはずの方角を見つめている。帽子をかぶっているので、表情までは分からない。

 詩織は悠の様子で察したようで、小指を立てて見せてきた。

「……知り合いみたい。ねぇりょうた、翔聖君、お母さん離婚しちゃって、いないんだよね」

「うん」

 亮太はむこうを向いたまま答えた。

「あぁ、離婚したんだ……」

 詩織はもう少しこの話をしたそうだ。悠も正直言うと、この話を続けたい。だが亮太がいるところではまずい。今日もし時間があったら……いや、別に明日以降でもいつでもいいけど。

「あ来た!」

 悠と詩織が亮太の視線の先を見ると、フルスピードで自転車をこいでくる男の子と、その後ろからピストをゆっくりこいでくるお父さんらしき男性がいた。


 お父さんはわりと若い。三十代前半といった所だろうか。ひょっとしたら西園寺さんより年下かもしれない。西園寺さんより背は低いが、より清潔感がある。

 ベージュ色のチノパンに、紺色の柄入りポロシャツ。腕時計も立派なものだ。派手ではないがなかなかオシャレだし、なかなか男前だ。

 そして翔聖君の方も、お父さん似の端正な顔立ちに、カットしたてのような整った髪型。親子二人で、何となくイカした雰囲気を漂わせている。


 翔聖君は亮太の目前で急ブレーキをかけて、タイヤのこすれる音とともに止まると、すぐ亮太にこう言った。

「亮太、グローブ持ってきた?」

「うん」

「まずおはようだろ」

 翔聖君と亮太のやり取りにお父さんが割って入った。二人が挨拶すると、お父さんも、にっこり笑って悠と詩織に挨拶してくれた。

「おはようございます。蜂谷です」

「おはようございます。木村です。今日はよろしくお願いします」

「垣沼です。おはようございます」

「よろしくお願いします。ここでお喋りしててもしょうがないですし、とりあえず行きましょうか。僕と翔聖が先を走るんで、ついて来て下さい。三十分くらいで着きますから。途中、どこかのコンビニによって、一休みしましょう」

 五人は栄川を自転車で下り始めた。

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