スースー 6/7 ~ウキウキも鬱々も一旦停止~
詩織はずっとケヤキの下のイスに座っていた。来てからもう三時間以上経つ。あたりは暗くなって、ケヤキは少しだけ明るみが残っている空に真っ黒な枝葉を泳がせていた。
―― もう西園寺さんの返事聞いた頃かな。ひょっとしてまた「考えさせてくれ」って言ったかも。……いや、でも悠なら何とか今日返事聞くはずだな。だからもう全部終わってるきっと。あの時私が嘘ついて逃げたりしなかったら、私も一緒に行って、上手くいっても行かなくても今頃もう少しは気持ち晴れてたはずなのに。嘘ついて逃げたりしなかったら。ホントに何やってんだろ私。嫌だな……嫌。大っ嫌い。……そろそろ帰ろうっと。
詩織は一番近くの駐輪スペースに停めてあった自転車までとぼとぼと歩いていくと、鍵を外してまたがり、右足のペダルにグッと体重をかけてこぎ始めた。
ところがおかしい。暗くなると自動で点くはずのライトが点かない。詩織は軽く蹴飛ばしてみたが、それでも点かない。壊れてしまったようだ。もう暗くなっていたので、自転車から降りて、押して歩いて帰るしかなかった。
詩織がアパートの近くまでくると、ふと窓の明かりが目に入った。一号室だ。西園寺さんは帰宅している。それに悠の家の明かりも点いている。やはり、もうすべて終わっているだろう。
―― 一旦私の家に帰ってから……いや、そうやって先に延ばすとまた暗い気分になるな。いきなり悠の家に行っちゃお。あ、そういえば、もうスマホに何か連絡来てるかも。
詩織は駐車場に自転車を停めるとカバンからスマホを取り出した。悠から未読の連絡が一件ある事が表示されている。すぐさまタップして開いた。
---- 西園寺さん誘ってみたよ。帰ったら私のうちに来て。 ----
―― もう、すぐ教えてくれればいいのに。……あぁ、また私……。悠は私と美紀のためにわざわざやってくれてるのに、何自分勝手な事考えてんの? ほんっと嫌い!
激しい自己嫌悪を燃え上がらせながら、詩織はアパートの階段を登って悠の家のインターホンを押した。
悠は夕飯を作って詩織を待っていた。インターホンの音に「はーい」と返事をしてすぐに玄関の扉を開ける。
「お帰り。ほら入って。ご飯食べてきな!」
フライパンを火にかけっぱなしだ。悠はすぐに台所へ戻る。背中側で扉が閉まる音がする。
「ご飯食べて行っていいの? ありがと」
フライパンをあおって振り向くと、詩織はテーブルの脇に立っている。悠は「座って」と言ってまたすぐにフライパンに向き直った。
フライパンに入っているのはトマトクリームにエビ、アスパラガスやタマネギが入ったパスタ―ソースだ。鍋でスパゲッティも茹でている。
テーブルにはシーザーサラダ。ゆで卵にコーン、クルトン、粉チーズ。いつもより豪華な食事だ。
悠はスパゲッティをザルにあけながら言った。
「生パスタだよ。のびやすいからすぐ食べよう。りょうた、もうできるよ」
詩織がポツリ「すごいね」と言った。亮太が走ってきて席に着き、食事の準備は完全に整った。
「ねえ詩織、西園寺さん、オーケーしてくれたよ。土日ならいいって」
悠は腕によりをかけて作った料理を前にして、詩織に笑いかけた。喜んでくれると思いきや…。
「え、……そう。よかった。ありがとう」
詩織が悠に向けたのは憂鬱な感情が滲んだ顔だった。
悠は、一瞬にして凍り付くと同時やっと気付いた。詩織の役に立ってやろうと思いながら、実は自分の事しか考えていなかった。詩織の様子を今まできちんとうかがっていなかった。
「んー! 美味しい!!」
詩織がパスタを一口食べてそう言った。このリアクションは嘘ではないだろう。顔色は少し明るくなった。
悠は気持ちを入れ替えた。役に立ってやるとか助けてやるとかではなくて、まずは楽しい時間を積み重ねよう。
「このソース自分で作ったの?」
「そうだよ。牛乳とバターとトマトの缶詰使って。生パスタは食べた事ある?」
「なかった。柔らかいね」
「モチモチなんだよ。でも、この麺初めて買ったやつなんだけどイマイチだな。ベタベタしてる。駅の方にある生パスタのお店はもっとずっと美味しいんだけどね」
「駅にそんなお店あったっけ?」
「あるある。北口の方だよ。パン屋の隣」
「え、でもさ、パン屋の隣ヘアサロンじゃなかった?」
「パン屋、パスタ、ヘアサロン」
「そうだっけ?」
「うん。りょうたは覚えてる? この前パン屋に行った時に『今度入ってみよう』って言ったお店だよ」
亮太は待ってましたとばかりにバシッと言った。
「赤い看板のとこでしょ」
……そうだっけ?
「そうだっけ? 黄色じゃなかった?」
「赤だった! おれ見たもん。悠も赤い看板オシャレって言ってたじゃん」
「え、それはこの前大学行く途中に見つけた、アリア…何とかって洋食屋さんでしょ?」
「違うよ!」
それを聞いて詩織が入ってきた。
「悠が言ってるのって『アリアドネ』? あそこの看板は木目の見える木でできてるよ」
……そうだっけ?
「……そうだっけ?」
「うん。りょうた、そうだったでしょ?」
「わかんない」
誰も何も覚えていない。
食事で話したのは、この程度のなんてことない内容だが、詩織の顔色は少し明るくなったし、悠にはそれだけで一安心だった。
次は西園寺さんとの食事会。力まずに楽しくやろう。
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