スースー 5/7 ~悠、もっとウキウキ!詩織、まだ鬱々~
一時間後、詩織はまた大学に来ていた。別に用事は何もない。悠に「一緒に西園寺さんちに行こう」と言われて、何となく怖くて「バイトがある」と嘘をついて断ってしまったのだ。家にいるわけにもいかず、取りあえず大学に来ただけだった。
詩織にはお気に入りの場所があった。大学の北のはずれの方にある特別支援教育の研究棟の前には、大きなケヤキやカエデが何本も生えている。周りには木をそのまま使ったようなテーブルとイスが何セットか置いてあって、木陰で一休みできる。
詩織がその場所を気に入っている最大の理由は、そのスペースの真ん中に生えている大学構内最大のケヤキが大好きだからだ。
直径二メートル近くある幹は、長い年月をかけて樹皮が何重にもうろこ状に剥がれ、亀の甲羅のようになっている。
その幹を真っ直ぐ二十メートル以上伸ばし、葉の生い茂る枝を風の中でいっぱいに広げて、青空に白を塗りたくって雲を描いたり、その雲をゴシゴシ削って雨を降らせたり。そうやって空と地面を繋ぎ止めたまま、研究棟と学生達を見下ろしている。多分もう何十年も前から。
そのケヤキの近くにあるイスに座って、詩織はただケヤキの木を見上げていた。もう学部の授業は終わっていて、辺りに人はほとんどいない。
風にそよぐ葉の音の他に、少し離れた講義棟の方から金管楽器の音や歌声が微かに聴こえてくる。他の学生は、サークル活動で楽しい時間を過ごしているのだろう。
―― あ~あ。またあんな事やっちゃった。私も勇気を出して悠と一緒に西園寺さんちに行っていたら、今頃心も晴れて楽しい時間を過ごしてたかも知れないのにな。びびりで、根性なしだから、嘘なんかついて逃げて。悠は私と美紀達のためにやってくれてるのに。本当は美紀と仲良しの私が何とかしなきゃいけないのに。そもそも上手くいかなかったのは、私のせいなのに。……嘘なんかついて逃げてさ……。
詩織の心には罪悪感が募るばかりだ。詩織を見下ろしているこのケヤキは、もちろん勇気づけてなんかくれないし、慰めてもくれない。でも糾弾も裁きもしない。詩織を拒絶して逃げたりしないし、追い払いもしない。だけどちゃんと生きている。
今詩織が落ち着いていられる場所はここだけだった。
*
悠は亮太をつれて、一号室、西園寺さん宅のインターホンを押した。西園寺さんはすぐにドアを開け「あ、どうも」と小さい声でボソッと言った。さあ、ここからが勝負だ。
「こんばんは。お忙しい所すみません。この子が、西園寺さんにあげたいものがあるみたいで、良かったら、受け取ってやってくれませんか?」
亮太は「自分が渡せって言ったくせに」と思いながらも、西園寺さんがすぐにこちらを向いたので、それに応えて紙ヒコーキを差し出した。
「はいどうぞ」
西園寺さんが亮太の手から紙ヒコーキを受け取ると、亮太はあらかじめ悠に言われていた通り、紙ヒコーキの説明を始めた。
「このヒコーキの名前『わも』って言います。一時間で地球を一周できます。海にも降りられます。宇宙にも行けます」
「この子、この前頂いたティラノサウルスにも名前つけて、すごくかわいがってるんです。それからずっと、好きなものに名前つけるのにはまってて。この紙ヒコーキも、西園寺さんにあげるからいい名前つけないとって言ってたんです」
「あぁ……。ありがとうございます」
西園寺さんは軽くお辞儀してくれた。西園寺さんのペースで話していると、時間もかかるし、急に話が終わってしまうかもしれない。悠はすぐ次に進めた。
「りょうた! 西園寺さんに見せてあげな」
「これ……」
亮太は持って来たランドセルからスースーを取り出した。
「『スースー』って名前つけました」
「スースーがどんな子かも教えてあげな」
「えっと、スースーは、優しくて、トリケラトプスより強いです。泳ぐのも走るのも速いです」
西園寺さんは嬉しいのか恥ずかしいのかよく分からない笑みを微かに滲ませている。
ここだ! と悠は本題に入った。
「あの、厚かましいお願いだとは思うんですが、この前の学生達とのお食事会の話、もう一度考え直して頂けませんか? 学生の子達に話したら、すごく残念がってたんです。西園寺さんがどんな人か知りたい、お話してみたいって。で、もう一度だけ頼んでもらえないかって言われたので……」
本当は向こうからそんな事は言われていないが、このぐらいの嘘は許してもらおう。
「あぁ……」
その場が一旦静かになった。西園寺さんはどうやら迷っているようだ。悠の心臓の鼓動が少し速くなってきた。西園寺さんは「わも」とスースーをちらりと見ると言った。
「……土日は基本的に空いてます」
―― やった……!! 詩織、何時に帰ってくるかな……。
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