スースー 4/7 ~悠、ウキウキ!詩織、鬱々~
詩織が帰ったあと、悠は亮太を寝かせ、マンガをパラパラめくりながら、読まずに考え事をしていた。
詩織は最近、ふっと暗い顔をすることがある。西園寺さんに誘いを断られるなんて、悠からすれば大したことではないが、詩織はどうやら気にしているようだ。
だが、その気持ちを悠には教えてくれなかった。どうして教えてくれなかったんだろう。仲良くなったとは言っても、つい最近からだ。まだ信頼してもらえていないのかもしれない。
詩織が信頼しているのはどんな人だろう。彼女は大学に通っている。大学生は高卒の自分よりずっと頭がいいだろう。知識も豊富なはずだ。先生もいる。当然学生よりもっと知識が豊富だろう。詩織のまわりには悠より頼りになる人が大勢いるに違いない。悠はその人たちに比べたら取るに足らない存在なのかもしれない。
じゃあ詩織が悠と仲良くしている理由は何だろう。
お隣だから手軽に暇つぶしできる?
かわいい子供を預かってるから仲良くしておくとお得?
そんな存在で終わりたくはない。
ここは何としても西園寺さんにオーケーを出させて、悠が頼りになる存在だと証明しなければならない。
まずは明日、学生たちとの話をうまいことやらなければ!
*
次の日、悠は亮太と一緒に大学構内の学生食堂にやってきた。本当は一人で来るつもりだったのだが、亮太が来たいとごねたので、学校終わりに迎えに行って、そのまま連れてきてやった。
まだ授業時間で学生はあまりいない。席を確保しておく必要もなさそうだ。詩織達との約束の時間まであと十分ほど。とりあえず二人は適当な席に着いた。
「ねえ悠、詩織いつもここでお昼食べてるの?」
「そうなんじゃない? 知らないけど」
「何あるか見てきたい」
「いいよ。行ってきな」
亮太は椅子から降りると悠の手を引っ張った。
「一緒に来て」
亮太に手を引かれて、悠は一緒に入り口に置いてあるショーケースのメニューを見に行った。
カレーとかラーメンとか当たり前のメニューから、ねばねば丼だの、海藻スパゲッティだの、変わり種のメニュー、単品のお惣菜もたくさんある。
「ねえ、おれこれがいい」
亮太はロースカツ定食を指さしている。
「はあ? 何言ってんの。給食食べたでしょ?」
「じゃあこれ」
亮太が続いて指さしたのは期間限定の小さなマンゴープリン。二百二十円。
「うーん……分かった。じゃ今日だけね」
「うん」
その足で買いに行こうとした亮太を「詩織達が来てから!」と引き止め、二人で席に戻ると、間もなく詩織達が窓の外の通りを歩いてきた。
詩織を除いて五人。大体予想していた程度の人数だ。女の子が三人、男の子が二人。美術専攻というイメージとそぐわず、案外地味な子が多い。
ただ、一人だけ風変わりな女の子がいる。
「美紀さんだ」
亮太がポツリと言った。
「どこどこ?!」
「目がみどりい人」
『みどりい』というのは緑だという事だ。
カラコンを入れたみどりの瞳、服も風変わり。見るからに『変わり者』という感じだが、実際はどんな子だろう。
「悠、お待たせ」
「うん。お疲れ様」
悠が詩織にそう返すと、美紀が悠に向かって軽く会釈した。
「…んちは……」
「こ」が聴こえない。少し恥ずかしがっているような、もじもじした挨拶だ。ダメダメ。挨拶は元気良くしないと。こんな風にね。
「こんにちは」
「この人が悠だよ。私の隣に住んでるの。最近仲良くなったんだ。悠、この子が美紀。小学校からの友達。あと、えーと……皆さん、自己紹介してくれますか?」
詩織の指示通り、残りの四人が自己紹介した。みんなにこやかで真面目そうで感じがいい。ただ、使う言葉は別段難しくないし、端々に何となくまだ子供といった雰囲気がある。
「りょうた、スースーとトリケラトプス、みんなに見せてあげたら?」
悠に促されて亮太は、持ってきたカバンからスースー達を取り出し、テーブルに並べた。それと同時に学生達は「うわ!」「すっげぇ……」「えぇぇ!」と感嘆の声を上げながら身を乗り出した。どの学生も目を丸くして驚いている。
やはり美術専攻の彼らからしても、西園寺さんの作品はハイレベルらしい。みんなトリケラトプスに釘付けだ。
亮太は学生達にチラチラと目をやりながら、自分の手元に置いてあるスースーを一人で眺めていた。すると、男子学生の一人がそれに気付いた。
「ねえ亮太君、そっちは何?」
「スースー」
「スースー?」
悠はすかさず間に入って説明した。
「このティラノサウルスの名前です。詩織がつけさせたんですよ」
「ああ、そうなんですか。いいね亮太君。スースー、かっこいいね」
スースーを褒めてもらった亮太は嬉しそうに、恥ずかしそうに、にっこり笑った。
「スースーって名前も亮太君が考えたの?」
「うん。おれが考えた」
「いい名前だね。なんか足速そう」
「速いよ」
「やっぱり! 亮太君名前つけるの上手いね! スースーは亮太君の事大好きだよ。僕には分かる!」
亮太は鼻で「んふ……」と笑った。どちらかというと失笑だ。
「皆さんから見てもすごいですか?」
悠が学生達に話しかけると、みんなうなずいた。
「いや、すごいっすよ。俺、正直ここまでだとは思わなかったな」
「ね! やばいよね!美紀が惚れるの分かる」
「でしょ? 西園寺さん会ってみたいしょ? 他ん作品も見たいしょ!」
かなり盛り上がっている。これなら西園寺さんが色々教えてあげられるだろう。
「西園寺さん、お休みの日はいっつも恐竜とかプラモデルとか作ってるみたいなんですよ。塗料かなんかのくっさーい臭いがしてきたり、『ウィーン』とか工具の音がしてきたり。前は何してるのか分かんなかったんで、ちょっと不気味だったんですけど」
「へぇー。その人、やっぱ美大とか出てるんすか?」
「いや、自分で本読んで勉強してるって言ってたな」
「うそ! すごい……」
次第に話が弾んできた。
「普段は暗い感じでボソボソしゃべる人なんですけど、こういう物の話題になると、饒舌になって」
「えーやっぱカッコイイ!」
「え、そう? 髪もボサボサだし、オシャレでもない人ですよ。夏はTシャツだけだったりとか」
「あー何か、何となく想像できる」
「え、ひょっとして、美術やってる人ってそんな感じの人多いの?」
「多いっす」
「美紀ちゃんみたいな子はレアキャラ?」
「いや、これは……」
「こういう人も、たまにいますね」
詩織は悠と学生達が楽しそうにお喋りしているのをじっと眺めていた。自分も話に入りたいが、どこでどう入ったらいいのか分からない。
―― 悠は上手いなこういうの。今日初めて会ったのに、もう私よりこの人達と仲良くなってる。みんな楽しそう。私がいなくなっても誰も気にしないだろうな。
学生達との話に夢中になっていた悠は、詩織がまた暗い表情になっている事に全く気付いていなかった。
「あの、木村さんは、大学生なんですか?」
女子学生にそう質問され、悠は少し面くらった。自分の事を質問される事を考えていなかったのだ。頭の中に不安がよぎった。
―― 大学生って、高卒で働いてる人間をどう思ってるんだろ。ひょっとしたら「社会の底辺」とか思ってるんじゃないかな…。もし私がそうだって分かったら、馬鹿にして私の言う事に耳を傾けなくなるんじゃ……。嘘ついちゃう? いやいやダメだろ! 詩織は私の事知ってるし、美紀ちゃんにはもう全部しゃべってるかも。あ、そうだよ詩織。大学生の詩織はもう私の事知ってるじゃん。私の事馬鹿にしてるか? してないでしょ。
「岡本食堂っていう定食屋で働いてるんです」
男子学生の一人がすぐに食いついてきた。
「えっ、ガソリンスタンドのはす向かいの? 俺行った事ありますよ!」
―― あぶね。よく考えたらこういう可能性もあったんだ。よかった、正直に話して。
「ホント? 私の事覚えてる?」
「あー、すいません覚えてないっす」
「だよね。ごめん。私も君の事覚えてない」
ここで女子学生が話に入ってきた。
「悠さん、大学生の男子って興味あります? 私のまわりガキばっかりでいい男いないんですよね。社会人から見て、この大学の男子ってどうですか?」
「え、そうだな……さっき大学歩き回ってたけど、『男前!』って子は……正直あんまりいなかったかも」
「そうですよね!! 特に美術専攻の男子ってイケてないんですよ! この二人はどうですか? 悠さんから見て」
女子学生はそう言いながら、男子二人を指さした。
「え…………言えない!!」
ウケを狙った悠の答えに男子二人は苦笑い。女子三人は大笑い。それも食堂中に響くほどの大声だ。
―― 笑いすぎだよあんたら。他人の不幸(?)でそんなに笑うなって。ちょっと男子可愛そうだな……。
「いやでも、真面目な感じはすごくいいと思うよ。私はチャラいやつより好きだもん。こういう子達の方が」
そう言えば、西園寺さんが自信ないのって、本当に制作が上手いかとか、そういう事なんだろうか。何となくそう思っていたが、根拠は何もない。
自分の持ってる暗い雰囲気だとか、オシャレじゃない、何となくイケてないみたいな、そういう事で自信がないのかもしれない。
悠自身も、詩織がオシャレだから、特に女の子の大学生ってみんなそんな感じなのかと何となく思っていた。しかし今ここにいる美術専攻の子達は案外地味だし、ここに来るまでキャンパス内で見た他の学生達も、詩織並にオシャレな子の方が少なかった。
さらに加えて言えば、悠は自分より頭が良くてオシャレな大学生の詩織に対して劣等感を抱えていたが、詩織の方も、自分の事を世間知らずの子供だと言って、悠に対して劣等感を抱えていた。でも今は仲良しだし、お互い相手を馬鹿になんかしていない。
それに気付いた瞬間、悠は一気に気持ちが軽くなった。
―― なーんだ。平気だな全然。この子達感じ悪くないし、自信がない理由が何にしても、多分西園寺さんの取り越し苦労だ。私が一緒に行って、この子達と西園寺さんが上手く話が出来るように空気を作ればいいんだ。
そんな風に悠が肩の力が抜けてリラックスし始めた事に、横にいる詩織はしっかり気付いていた。
―― 悠、何かつかんだみたい。何だろう。全然分かんないや。ずっとこうなんだろうな。悠が全部分かって、私は全部分かんなくて、端っこでこうやって「ただいるだけ」って感じ。悠にもっとしっかりした友達が出来たら、私には見向きもしなくなるだろうな。丁度今みたいに。
悠の方はそんな詩織の様子にやっぱり全く気付いていなかった。
「食事会の事、この前は断られちゃんたんだけど、もう一度誘ってみるから。私も参加して大丈夫?」
「もちろんです! 悠さんいると話弾みそうだよね」
「確かに、俺も含めてここにいるメンバー、あんまりしゃべり得意じゃないし」
「美術系じゃない人いた方が、かえって色々聞けっかもね。ね詩織、詩織もくんだよね?」
美紀に問われて詩織はハッと我に返った。
「あ……」
―― どうしよう。行っても今みたいに、一人だけ蚊帳の外になるに決まってる。でも、ここで「行かない」なんて言うのもな……。
「うん。行く行く」
*
「イイ感じだったね!」
悠は詩織を連れて自分の家に返ってくるなり笑みを弾けさせた。何がイイ感じだったのか詩織には全然分からない。それを悟られないように、詩織はすかさず相槌を打って見せた。
「うんうん」
「みんな感じいいし、西園寺さんの事馬鹿にしたりなんかしないよ。あとは西園寺さんに自信つけてもらえば」
「うんうん」
「私、帰り道に考えてたんだけど、『恐竜作るのが上手い』って事じゃなくて、りょうたが大好きでいっつも遊んでるって事とか、スースーって名前つけた事とか教えてあげたりして。何かこう、よくできてるって事以外にも魅力ある……みたいな」
「うんうん」
「あと、学生の子達の様子もあらかじめ教えてあげれば安心できるし……」
「うんうん」
悠は自分の話に夢中になって、不自然な詩織の相槌に気付かなかった。
「それと、りょうたに紙ヒコーキ作ってもらって、プレゼントさせるのとかどうかな。りょうたにお返しもらったら、それも自信につながりそう」
「うんうん」
「ねぇりょうた、聞いてた? 西園寺さんに紙ヒコーキプレゼントしてあげよう。かっこいいの作って!」
亮太はすぐに「うん」と返事をすると、ランドセルからノートを取り出し、破き始めた。他人にプレゼントする紙ヒコーキを破ったノートで作るつもりらしい。
悠はすぐに亮太を止めると、貰い物のオシャレな和紙を棚の裏から引っ張り出して、窓を開けて埃をはらい、「これで作って」と亮太に手渡した。悠は黙々と紙ヒコーキを折る亮太を眺めながらウキウキ気分になっていた。
―― イイ感じ! これで西園寺さんが誘いに応じてくれれば、詩織も喜んでくれるな!
亮太は紙を折ったり開いたりしながら、かなり複雑で手の込んだ紙ヒコーキを作っている。折り目をつける素早さ、迷いのない手さばき。小学一年生とは思えない熟達具合だ。
隣で見ている詩織は、それに感心しながらも、さらに落ち込んで暗い気持ちになっていった。
―― りょうた、すごいよな。大好きな紙ヒコーキをこんな風に大人顔負けに上手く作っちゃうんだから。西園寺さんも美紀達も、大好きなものは他の人よりすごく上手くできるし。悠だって料理すごく上手いもんな。私は好きなものも他の人と……むしろ他の人より下手。嫌だな……。絶対秘密にしておこう。
「出来た!」
亮太がそう言って、作った紙ヒコーキを頭上に掲げた。途中で二枚に分かれる独特な翼を持ったヒコーキだ。悠と詩織から見ても、なかなかかっこいい。
「いいじゃん! 今夜、西園寺さんにそれあげに行こう!」
悠は自分の役目を上手くやる事に夢中だ。詩織の目にもはっきりそう映った。
詩織ももちろん、これで西園寺さんが誘いに応じてくれたら嬉しい。だが、正直そんな事はもうどうでもいいというか、それより気になる事が沢山あって、それどころではなかった。
しかも、その気になる事が何なのかが、いまいち自分でもよく分からない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます