すけこまし 6/6 ~恥ずかしがる~
今日は岡本食堂も大学も小学校も休みだ。悠、詩織、亮太の三人は、お昼を食べに商店街まで来ていた。
「りょうた、何か食べたいものある?」
詩織がそう聞くと、亮太は迷わず答えた。
「ラーメン」
「えー」と悠が難色を示した。
「ラーメン…重いな。他にはないの?」
「えー、ラーメンがいい」
小学一年生の亮太にはそもそも「重い」の意味が分からない。亮太が納得しなかった事と、他のメニューで悠にも対応可能だったため、結局ラーメン屋に行く事になった。
ここは学生街で、ラーメン屋も何件もあるのだが、亮太は自分のお気に入りのラーメン屋を指定した。「いちむらや」という男子大学生やおじさん達が来るような、どちらかというと男っぽい店だ。どうやら、お母さんとよく来ていたらしい。
昨日牛丼屋では亮太の望みを聞かなかったが、ここは以前お母さんと来ていたらしい店だ。悠は何を頼むか少し気になったので、亮太に望みを聞いた。
「ラーメン。ほうれん草増し」
やはり好きなものが決まっていた。こんな男っぽい、大人が来るようなラーメン屋でお気に入りのメニューがあるなんて、やっぱりなんだか生意気だ。
三人は席に座ると、昨日の夕飯の時のようにお喋りをしながらダラダラと食べた。悠は結局ラーメンが食べたくなって頼んだが、やっぱり重く、持て余し気味だった。その横に座る亮太が、不意に悠をつついた。
「ねえ悠」
「ん?」
「おれノリ要らない。あとほうれん草も、もういい」
悠は飲んでいた水を吹き出しそうになった。
「ちょっと! ほうれん草増しがいいって言ってたじゃん! なのに『ほうれん草もういい』って!」
「普通のじゃ足りないの! でもこれは多いの!」
悠は亮太の器をのぞいた。ほうれん草以外の具材もかなり残っていて、悠にも食べきれそうにない。
「詩織に頼んでみて」
亮太は詩織の方に向き直った。
「詩織これ食べない?」
「うん。いいよ」
詩織が亮太のどんぶりを自分の方に持って行こうとした時、すかさず悠が言った。
「ねえ詩織、具材だけってのもなんでしょ? 私の麺食べない?」
三人とも満腹状態でラーメン屋から出た。昨日の牛丼と違って、悠は一切の文句なしに満たされた。嫌っていた相手と一夜にして意気投合して、一緒におなかいっぱいになるまで食事。最高だ。こんな楽しい気分になれる日はそうないだろう。
ところが、ラーメン屋から出てすぐ、視界の端に見覚えのある顔がちらりと見えた瞬間、悠のたっぷり満たされた気持ちがそのまま怒りとして燃え上がった。
あいつだ。詩織の元カレ。見た事もない女の子と手をつないで歩いている。昨日見た浮気相手とも違う女の子だ。背が低めで、可愛らしい女の子。どっちかというと詩織タイプだ。チラリと後ろを見ると、詩織と亮太はまだ奴に気付いていないらい。
悠は詩織達が気付かないように違う方角を指さして言った。
「詩織ほら、向かいのあのお店見て」
道路の向こう側の文房具店「文具アテヤマ」だ。
「昨日言った文房具店だよ。岩田さんいると思うから見てきなよ」
「そうなの。じゃあ、ちょっと見てくる」
詩織にとっては、少し不可解だった。なぜ今いきなり? それに、悠は一緒に来ないのだろうか。疑問に思いながらも、取りあえず詩織は言われた通り亮太と一緒に道を渡り始めた。
ところが、道を渡りかけた時、悠の視線の先に元カレがいる事に詩織も気付いた。悠は何かするつもりだ。それも詩織に内緒で。いったい何をするのか不安だが、今から悠の元に戻るのも変に迷惑かけそうだ。詩織は亮太をつれてそのままアテヤマに入った。
店の中は文具だけでなく、かわいいハンカチや木製の小さな人形、オシャレなスリッパまで置いてある。奥を覗いてみたが、人影は見当たらない。詩織は店の中から隠れて悠を見ている事にした。
悠は元カレに気付かれる前に背を向けた。二人が自分の前を通り過ぎる瞬間に、不意を突いていきなり声をかけた。
「あれ、こんにちはー」
まるでよく知っているかのような悠の挨拶に、元カレは思わず振り返り
「あ、どうも」と思わず挨拶を返した。こっちの思惑通りだ。
「昨日詩織ちゃんの家に来てましたよね。なんかモメてたみたいですけど、大丈夫でした?」
女の子の方は頭の上にクエスチョンマークが浮いたような表情をしている。
「昨日? バイトだったよね」
「そう、朝から。あの、それ俺じゃないと思います」
元カレは女の子と悠に交互にそう言った。まあ、いきなり正直に白状するはずもない。悠の狙いは白状させる事ではなく、女の子の方に間接的に事実を教えて、彼氏に疑念を持たせる事だ。
「朝からバイト? あれ、でも昨日お昼頃どっかの女の子と二人で、富士ノ台団地のカフェにいましたよね。私通り過ぎる時にお顔見ましたけど」
悠の追及に女の子が反応し、元カレに対して少し厳しい口調で言った。
「ねえ、詩織って誰?」
「知らないよ。あの、それ俺じゃない…」
「もう諦めろって!」
悠が大きな声で突然彼の話を遮った。
「ホントは詩織から聞いて全部知ってるんだよね。二股かけてると思ってたら、三股だったんだ」
文具アテヤマの中にいる詩織には会話は全く聞こえない。ここから見る限り悠と自分の元カレがなんだか言い合っている。
だんだん激しくなり、ついに元カレが悠の左肩を軽く突き飛ばした。すると、悠の方も両手で強く突き飛ばし返した。元カレが思わず悠の胸ぐらをつかもうとした次の瞬間、悠はその手を片手でひねりあげ、もう片方の手で平手打ちをくらわせた。
女の子の方は、はたかれた彼氏に目もくれず歩いていき、元カレはそれを慌てて追いかけていった。
自分の元カレがはたかれるのは何だか微妙な気持ちだが、置いてけぼりにされている所を見るのは…
―― ざまあみろ!
悠が詩織に気付かれないようにしていたという事は、これは詩織のためにというより、悠自身がやりたくてやったという事だ。それはそれで、なんだか少し嬉しい。
こちらに向かってきた悠を見て詩織は慌てて店の奥へ逃げた。亮太が蛍光ペンで試し書きをしている。何を書いているのか覗き込もうとすると、亮太はそれに勘付いて腕で隠してしまった。
「ダメ見ないで!」
「あ、ごめんごめん」
その時、さらに奥にあるレジの方から太い声が聴こえてきた。
「ダメだよ。小学生の男の子って、意外と繊細なんだよ?」
詩織がはっと目を向けると、色黒でがっしりした体つきの男の人がレジに立っていた。ワイルドな雰囲気のイケメン。恐らく五十代後半。間違いなく岩田さんだ。
「お二人ともいらっしゃい。兄弟?」
「あ、いえ。えっと……知人の子なんです」
岩田さんの表情は本当に優しげだ。それに、声の印象も、自分の主張を相手に投げつけるというより、相手への興味を優しく伝えるような感じがして、とても温かい。なんだか、こっちから話をしたくなる。
「小学生の男の子って、繊細なんですか…。私が小学生の頃は男の子って、何にも考えてないと思ってました」
「もちろん中にはそんな子もいるよ。でもね、まあ、女の子には悪いけど、小さいうちは男の子の方が繊細だよ。それが大人になる間にいつの間にかひっくりかえっちゃうんだよ」
「へえー」
自動ドアが開いて悠が入ってきた。
「詩織、岩田さんいた?」
「お、悠ちゃん、いらっしゃい。お姉さん、悠ちゃんと知り合いなの?」
「あ、はい」
「みぃないでえ!」
亮太だ。悠も亮太の試し書きを除き込もうとしたんだろう。悠は含み笑いをしながら詩織の所までやってきた。
「詩織、分かってると思うけど、この人が岩田さん。うちのお店の常連さんなの。岩田さん、この子私の隣に住んでて、詩織っていうの」
「ああ、お隣さんなのか。詩織ちゃんって呼んでも大丈夫?」
「はい」
悠は得意げに詩織に言った。
「男前でしょ」
「うん」
「ははは」と岩田さんは恥ずかしそうに笑った。
その場が静かになる前に、悠はサラサラと話を続けた。
「岩田さん、この子ね、男で嫌な目にあっちゃったんですよ」
「ああ、そうなの。世の中には困った男も結構いるからね。特に若いうちは」
岩田さんは細かい事は聞かずに、詩織にこう言った。
「誰でも失敗はするもんだよ。でも、そういう時に優しい誰かがそばにいてくれれば、きっと成長につながるよ。悠ちゃん、見かけよりずっといい子だろ?」
「そうですね」
詩織はすぐに答えた。下手に間をあけると恥ずかしくなってしまうからだ。
悠も同じく、恥ずかしさを回避しようと、同じく間をあけずに岩田さんにツッコミを入れた。
「ちょっと、見かけもいい子でしょ!」
「いや、見かけもいい子だけど! それよりさらにいい子って意味だよ」
「え、ホントですか? いや、でも見かけはそれよりもっといい子でしょ!」
なんだか意味不明なセリフだ。結局恥ずかしい。悠が自分のセリフに軽く吹きだすと、岩田さんも軽く笑って、詩織に言った。
「ほら、恥ずかしがってるよこの子。悠ちゃん、たまにシャイになるよね。お店ではお喋り上手いんだけど。友達の前で褒められたから?」
「あっはっはっは!」
また意味不明なセリフを吐く前に、悠は取りあえず豪快に笑った。だが、いつまでも笑っているわけにもいかない。でも詩織と目を合わせるのも恥ずかしい。
悠は半ば助けを求めるような感情で亮太の方を見た。まだ試し書きをしている。悠の様子を見て詩織も亮太を見て言った。
「りょうた、そのペン欲しい? 今日は特別に私が買ってあげる」
オレンジと青の蛍光ペンを棚から取り出した亮太を見て、悠がすかさず注意した。
「あ、りょうた、一本にしな! 一本!」
亮太は一瞬二本のペンを見比べ、青を棚に戻すと、詩織の元に走ってきた。
二人がペンを買っている隙に、悠は亮太が書いた試し書きを覗き込んだ。お化けだか何だか分からない丸っこい何かが書いてあり、その尻尾から線が伸びてぐるぐると丸が描かれている。一度や二度ではなく、何度も何度も丸を重ねてあった。なぜこんなにしつこく丸を書いたのだろう。
三人はアテヤマを出ると、亮太を真ん中にして並んで歩き始めた。亮太は蛍光ペンの入った小さな紙袋を握りしめて、二人に遅れないように速足で歩いている。
「詩織、岩田さんいい人でしょ?」
「うん。素敵! あの人。笑顔もなんかこうさ、ただ優しいだけじゃなくて、哀しみを知ってそうというか」
「分かる分かる。こっちに共感してくれそうな」
亮太が急に二人の会話に割り込んだ。
「ねえ、悠と詩織、友達になったの?」
二人とも意表を突かれた。でも間を置くと恥ずかしさが増してしまう。先に答えたのは悠だった。
「うん」
亮太は蛍光ペンの紙袋をいじりながら独り言のようにこぼした。
「ふぅん」
第二話 すけこまし - 完
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