第三話 スースー

スースー 1/7 ~紙ヒコーキ~

 亮太は紙ヒコーキが大好きだ。空に向けて投げると、まるで命があるみたいに自分で動いて、風に乗って滑空していく。試行錯誤を重ねて折った紙ヒコーキが、長い時間空を舞ったり、遠くまで飛んで行ったりするのは本当に快感だ。


 今日は日曜日。亮太は朝から紙ヒコーキを作りまくっていた。ミニテーブルの上は折り紙の紙ヒコーキでいっぱい。ミニテーブルの下も、ミニテーブルの周辺も、ミニテーブルから少し離れたところも、ミニテーブルからだいぶ離れたところも。

「ねえりょうた、ここお昼ご飯までに片づけてよ?」

「向こうのテーブルで食べればいいじゃん」

 素直に言う事聞けよ! というセリフを飲み込んで、悠はため息をついた。このままのペースで紙ヒコーキが増え続ければ、こっちの部屋はあと十分で足の踏み場がなくなるだろう。

「いったいどんだけ作る気?」

 悠は床に落ちているいくつかの紙飛行機を拾い上げ、ふと気づいた。

「せめてもうちょっと……あれ? これとこれ、おんなじ形じゃん! 同じの何個も作ってんの?!」

「同じじゃない!」

 亮太にパシリと言われて、悠はもう一度、拾った紙ヒコーキを見比べた。同じだ。

「同じだよ!」

「同じじゃないの!! 翼が少し違うの!!」

 もう一度紙ヒコーキを見比べてみた。よく見ると片方のヒコーキの翼は紙を軽くねじって微妙にカーブさせている。

「え、この翼わざとやってるの? これで飛び方とか変わるの?」

「うん」

 紙ヒコーキをそこまでよく知っているとは感心だが、とにかくまだまだ大量に作る気らしい。この部屋はあきらめた方がいいかもしれない。


 亮太と交渉するのも面倒だ。紙ヒコーキは放っておいたまま、悠はお昼ご飯にチャーハンを作り始めた。

 フライパンを温め、溶き卵を入れる。すぐに残りご飯を入れてしゃもじでザクザクかき混ぜて、塩胡椒。

亮太がメニューに気付いて声を上げた。

「おれチャーハンいらない! ラーメンがいい!」

「ラーメンもうない。それにチャーハンもう二人分作っちゃってるから!」


 五分もしないうちに二人分のチャーハンがテーブルに並んだ。具は玉子の他に、ネギとこま切れのハムだけだ。

「ねえ、おれスープほしい」

「あ、そうか。私も飲みたいな」

 悠は席から立ってインスタントスープの入っているケースを引っ張り出して覗き込んだ。わかめスープが一袋。あとはコーンポタージュときのこクリーム。この二つはチャーハンには合わなそうだ。つまり、お昼に使えるのは一袋のわかめスープだけ。

「ねぇりょうた、わかめスープ半分こでもいい?」

「うん。早く」


 チャーハンの脇に少しだけスープの入ったお椀が添えられて、昼食がそろった。

「いただきます」

「いただきます」

 二人が食べ始めると、窓の外から「キュイーン」と電気工具の音が聴こえてきた。少しの間聴くだけならいいのだが長時間続くと、結構うるさく感じる。

 音の出所は分かっている。一階に住んでいる住人の

「西園寺さんだ。いつもいつも、あの人何やってんのかな……」

「ねえ悠、今日も臭いするかな」


 西園寺さんは一階、一号室の住人だ。暗い雰囲気の男の人で、挨拶してもほとんどリアクションなし。休日になると部屋で何かの作業をしているらしく。電気工具の音がしたりツンと鼻をつく嫌な臭いが漂ってくる。

 もたもたしていると、その鼻をつく臭いを嗅ぎながらチャーハンを食べる事になってしまう。

「りょうた、さっさと食べちゃおう」

「うん」

 二人は味わう余裕もなく、とにかくチャーハンを口に押し込んで、スープで喉に流し込んでいった。そうやって大急ぎで食べ終わった頃、二人の予想通り、嗅ぎなれた鼻をつく臭いが漂ってきた。あっという間に臭いは家中に充満し、息をするのも嫌なほどになってしまった。

 窓を閉めればいいのだが、今日はかなり暑い。エアコンをつけると電気代を喰うので、家にいるなら窓は開けておきたい。いっその事外出してしまおう。

「ねえ、部屋臭いし、ちょうどいいからその紙ヒコーキ、公園にでも飛ばしに行こうよ」

「うん」

 二人は部屋の窓を閉じて台所の換気扇をつけると、公園へと向かった。


「悠! あっちにいて。おれが飛ばすから」

 公園の中央で亮太が指示を出した。悠は後ろ歩きで距離を取っていく。

「取って戻ってくればいいの?」

「違う。次のを飛ばしてから、飛ばなかった方だけ持ってくるの!」

「ああ、なるほどね。どれが一番飛ぶか調べるって事か。はいはい」

 悠は亮太から三メートルくらい離れて向かい合った。

「近い! もっと離れて!」

 亮太は悠を払うように腕を激しく何度も振った。

「え、もっと? そんなに飛ばないでしょ」

「飛ぶよ!」

「紙ヒコーキなんて絶対そんなに飛ばないって。取りあえず一つ飛ばしてみな」

 悠にそう言われると、亮太は紙ヒコーキを入れてきたランドセルの中から、切り開いた牛乳パックを折り曲げて作った謎の装置を取り出した。槍のような細長い紙ヒコーキがセットされている。

「え、何それ? あ、りょうたちょっとま」

 悠が止める暇もなく、亮太は謎の装置の両端をつまんで左右にクイと引っ張った。その瞬間、ボウガンのように紙ヒコーキが猛スピードで発射され、一直線に悠の左頬を直撃した。

「いっった!!」

「あ」

 これじゃ飛行機じゃなくてミサイルだ。悠は頬をおさえながら紙ヒコーキを拾い上げた。こんな兵器を人に向けて発射するなんて! 怒られる準備はできているんだろうな。と言わんばかりに、悠は亮太をギロッと睨みつけた。

 亮太は怒られる未来を察知しているようで、眉毛をハの字にして頬の筋肉を引き上げている。加えて上目づかいで……ヘンな顔だ。悠の怒りは風船の空気のように口から抜けた。

「ちょっと、気を付けてよ」

 悠は拾った紙ヒコーキを亮太に渡してやった。よくみると先っちょがひしゃげている。相当な勢いで悠の頬にぶつかった証拠だ。

「いや、でもすごいわ。こんなに飛ぶとは思わなかった。私、横から見てればいいんだよね。もっかい飛ばしてみな」

 亮太はセッティングしなおし、もう一度飛ばした。紙ヒコーキは絹をすうっと裂くように空中を飛び、芝生の上にふわりと着地した。すごい飛距離だ。十メートル以上飛んだかもしれない。

「うわ……すごいじゃん! 次の飛ばしてみな」

 亮太はご機嫌で次々紙ヒコーキを発射していった。三十機以上飛ばして、一番よく飛ぶ紙ヒコーキが判明すると、亮太はその紙ヒコーキを何度も何度も飛ばして遊んだ。

 よく飽きないものだと悠は思ったが、亮太は楽しそうだし、家に帰って鼻をつく臭いをかぎ続けるのは嫌なので、気が済むまで付き合ってやった。


 一時間半以上紙ヒコーキで遊んでから家に帰ってくると、臭いはほとんどおさまっていた。代わりに電気工具の音が聴こえて来ていたが、まあこの程度なら我慢はできる。

 部屋でスマホをいじっている悠の横で、亮太はまた紙ヒコーキを飛ばし始めた。

「また飛ばしてんの? 公園であんなに飛ばしたじゃん」

「これは遠くまで飛ばすやつじゃなくて、長く飛ばすやつなの」

 紙ヒコーキをよく見ると、公園で飛ばしていた槍のような紙ヒコーキとは違って、かなり幅広の凧のような形をしている。「長く」と言うのは滞空時間の事だろう。確かに綿毛のようにフワフワとゆっくり空中を漂っている。

「へえ。そんな違いもあるんだ」

 悠がまた感心しながら紙ヒコーキを眺めていると、ヒコーキはフワフワ部屋を漂った後、開けていた窓からフワフワと出て行ってしまった。

「ありゃ」

「あぁっ!」

 亮太は慌てて窓に駆け寄って、落ちて行った紙ヒコーキの方を覗き込んだ。何秒かそうやって窓から顔を出していたが、亮太は悠の方を振り向いて言った。

「ねえ、入っちゃった」

「え! どこに?!」

「西園寺さんち。窓から入った」

 悠は息の入り混じった声で「えぇ……」と漏らすと、目をつむってうつむいた。あの得体の知れない人をたかが紙ヒコーキを取りに行くためだけに訪ねないとないといけないのか……。嫌だ!

「りょうた、自分で取ってきな。すいませんって言って」

「え、やだ。一緒に来て」

「自分一人で行きな」

「やぁだ! ねえ一緒に来て!!」

「えぇー……」

「ねぇえー!」

 亮太はこうなったらもう聞かない。

 西園寺さんとはほとんど話した事がないので、どんな人なのかはよく知らない。だが、たまに挨拶する時のノーリアクションっぷりや、今日のような休日の怪しい作業を考えると、訪ねるのは気が重い。

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