すけこまし 3/6 ~発見!~

 次の日の昼、亮太を引き取った悠は、アパートから少し離れた「富士ノ台団地」のショッピングセンターに来ていた。昨日亮太を泊めてくれた詩織さんへのお礼を買うためだ。


 いつも行っている最寄り駅のスーパーより品物の値段が高いので、ここまで来ることはあまりない。ただ、悠はサランラップだけはいいものを使うと決めていて、それが切れるといつもここまで足を延ばしていた。

「あんまりお金もないしなあ、やっぱり食べ物かな。りょうた、昨日あの子の家で何食べさせてもらった?」

 振り返って悠がそう聞いてきた。後ろについて歩く亮太はすこし迷いながら答えた。

「えーと、スープパスタ」

 オシャレな雰囲気の料理名を聞いて、悠はまた詩織さんの悪口を言うんじゃないだろうか。

「スープパスタか。じゃあ、そういう可愛いオシャレな食べ物探そうか」

 悠の反応はこの言葉プラスため息だった。悪口とも言えないだろうが、完全に嫌味。概ね亮太の予想通りの反応だ。


「ついでに今日の夕飯の買い物もするからね。何食べたい?」

 スーパーにつくと、悠は他のお客をほいほいとかわしながら、カートとカゴを取って、奥へと進み始めた。かなり速足だ。亮太は取り残されないように必死に追いかけながら悠に言った。

「じゃあ親子丼」

「親子丼ね。むね肉が冷凍庫にあるから、あとは卵だな」

「お味噌汁も」

 亮太は昨日の味噌汁の事を思い出して、慌てて追加注文をつけた。正直言って昨日のインスタントは大して美味しくなかった。それでまさに、消化不良になってしまっていたのだ。

 ところが悠は、「ええ~?」あからさまに面倒くさそうな声を出した。

「お味噌汁? インスタントでいい?」

「え~?!」

 それが気に入らなかったから頼んだんだ! お前は自分で作ったくせに、味噌汁の魅力が分かっていないのか。トンチンカンが! という亮太の怒りは、悠に届くはずもない。

「インスタントのやつは昨日も飲んだ!」

「え、スープパスタとお味噌汁だったの? 何そのでたらめなメニュー。……あ、そうだ」

 悠は押していた急にカートを止めた。遅れないよう速足でついていた亮太は悠の足にぶつかりそうになってしまった。

 危ねーだろうが! という亮太の苛立ちも、悠には届かない。

「別にお礼の品買わなくても、夕飯とかに招待すればいいか」

「え、一緒にご飯食べるの?」

 どう考えても詩織さんを嫌っている悠が一緒に食事すると言い出すとは意外な展開だ。亮太には理由はさっぱり分からなかったが、悠からすれば、詩織さんを避ける事より出費を抑える事の方が大事だし、何もお礼しないのはさすがに悪い。断られたらその時、何かお礼の品を買う事を考えればいい。

「卵はどうせ多めに買うし、むね肉もだいぶあるし」

 亮太はワクワクしはじめた。昨日の詩織さんは悠が思っているような嫌な人じゃなかった。二人が一緒に食事をすればお互いの誤解が解けて楽しい時間になるかもしれない。

「よし、それならちゃんとお味噌汁作るか」

 やることがはっきりして、買い物のペースは一気に上がった。亮太の気分も一気に上がってきたが、「味噌汁の具材はエビがいい」「肉はパサパサしないやつ(もも肉)がいい」という亮太の希望は、きちんと悠に届いた後、ことごとく却下され、味噌汁の具は豆腐、肉は家にあるむね肉となってしまった。



                  *



 スーパーを出ると目の前はショッピングセンター中央の広場だ。二人が店を出ると同時に、向かい側から男の人の大きな笑い声が聞こえてきた。

 どこかで聞いた事があるような声だ。悠と亮太が目を向けると、その男の人は、顔にも見覚えがあった。二人とも、あの人はアパートで何回か見ている。

「あれ…ねえりょうた、あの男の人ひょっとして…」

「あ、詩織さんの彼氏だ」

 少し遠目で悠には確信が持てなかったが、見た目も歩き方も、アパートでたまに見る詩織さんの彼氏にそっくりだ。

 普通だったらそれが分かっても気にも留めないはずの悠がその男を凝視したのは、知らない女の子と手をつないで歩いていたからだった。

「あれ浮気? 今日詩織さんに言わないとね」

 そう言う亮太の声には使命感が滲んでいる。だが自分達は詩織さんのプライベートに口出しできるような関係じゃない。悠はすぐに首を横に振った。

「いやいや、言わなくていい」

 どうして! だの何だのとゴネられると面倒だ。悠は言うとすぐに亮太の手を引っ張って歩きだした。亮太はやはり納得がいかないようで、下唇をほんの少し押し出しながら悠の後ろに続いて帰った。



                  *



 家に荷物を置いて出直すのは面倒だ。自分の家に行く前に、悠は詩織さんの家のインターホンを押した。

「もうどっか遊びに行っちゃったかもな~。土曜日だし、大学生さんだし」

 小学一年生の亮太に嫌味なんて分かりっこない。…と悠は思っている。

 フン! 気付いてるってんだよ。一年生をなめるな! という怒りが悠に届かないように、亮太は顔をそむけて、思いっきり舌を出した。

 悠には嫌われてるし、彼氏には浮気されるし。詩織さんはつくづくかわいそうだ。

「……いないか」

 あきらめて悠が行こうとした瞬間、ドアが開いた。

「はい?」

 出てきた詩織さんは、朝の服から着替え、ネックレスに指輪もつけて、いつもよりさらにオシャレをしていた。メイクもばっちり。これから特別な用事がある事くらい、子供の亮太にも分かる。

 これはまずい。断られる可能性大だ。そう亮太が心配する横で、悠が話を切り出した。

「こんにちは。あの、改めて昨日はありがとうございました。お礼と言っては何ですけど、今晩うちで一緒に夕飯召し上がりませんか?」

「ああ、ごめんなさい。今日は予定があるんで。別にお礼はいいですよ。お気持ちだけで。昨日は私も楽しかったですから」

 詩織さんは昨日亮太に見せたのと同じ笑顔になった。

 おい! どうだよこの笑顔。この人優しいだろ? 知らなかっただろ? という優越感が悠に届くように、亮太は渾身のどや顔をして見せたが、悠はチラリとも亮太を見なかった。

 見ろよ! という亮太の怒りも当然届かない。

「そっか。急ですもんね。でも近いうちに何かお礼させていただきますね」

 悠がそう言って体勢を変えた。やっぱり浮気の事は何も言わずに帰る気だ。

 そうはいかないぞ! お前と違ってこちとら優しいんだ。見た事をちゃんと詩織さんに教えてあげるんだ! という気持ちが悠に届いて止められる前に、亮太は大きな声で言った。

「詩織さん、今日彼氏とデート?」

 詩織さんは「ふふ」と笑って、かがんで亮太の顔を覗き込んだ。

「そうなんだよ。でもさ、他の人には秘密だよ?」

「でも、おれ達がさっき買い物に行った時…」

 亮太の顔の横で悠の手がピクリと動いた。次のセリフを止める気だろうが、もう遅い。

「詩織さんの彼氏、違う女の人と浮気してたよ!」

 詩織さんは何を言われたのかすぐには飲み込めなかったようで、その場は一瞬静まり返ってしまった。もちろん亮太は、この後の事なんか何も考えていない。

「いや、あっちのスーパーで似てる人がいたんです。似てる人が女の子と二人で歩いてて、似てるねって言い合っただけで…」

 悠があわてて取り繕った。

 似てるじゃなくて本人だろ。お前の眼は節穴か! という怒りが悠に届くように、亮太は声を荒げた。

「絶対そうだよ! 悠もそうだって言ったじゃん!」

「あー、じゃあ聞いてみるね。教えてくれてありがと」

 詩織さんはさらっとそう答え「ふふふ」と軽く笑って話をお終いにしてしまった。

 子供だから信じてもらえなかったんだ…。という亮太の悔しさは、悠にも詩織さんにも届かなかった。



                  *



 悠の家に戻ると悠と亮太は買ってきた品物をしまい、コップに飲み物を注いで一息ついた。部屋が静かになると、悠は厳しい口調で亮太を叱りつけた。

「ねえ! 垣沼さんには言うなって言ったでしょ?」

「だってかわいそうじゃん!」

 実に子供じみた返事だ。そりゃ子供だから当然だが、それでも悠は思わずイラついた。

「大人は他人のそういう事に口出ししないの!」

「なんで? 先生は知らない人にだって親切にしなさいって言ってた!」

 微妙にずれたセリフだ。だが上手く言葉で否定できなかった悠は、返事を保留して黙り込んだ。

「ねえ、おれお腹すいた。お昼は?」

 亮太に言われて悠は立ち上がって台所に向かった。冷凍してあるご飯は食べきってしまっているし、今から炊くのは時間がかかる。面倒なのでカップ麺で済ませてしまおう。ところが、しまっていた袋を覗き込むと、空になっていた。

「あれ…りょうた、カップ麺食べた?」

「うん。食べちゃった」

 これは少々おかしい。悠は亮太が来てから休日は毎日家にいる。いない時にも、昼食は準備して置いて行っている。平日、悠に隠れてカップ麺を食べたという事だ。朝食も夕飯も毎日食べさせている。昼は学校の給食を食べている……はずだ。

「まさか、学校さぼった?」

「え? さぼってないよ?」

 上ずった声も大きく開いた目も、実にわざとらしい。

「さぼったでしょ」

「さぼってないよ」

 おそらく、さぼったのだろう。でも証拠はないし、どう対応するべきか、悠には分からない。

「…まあいいや。とりあえず、ラーメンないなら牛丼食べに行こう」


 二人は最寄り駅の商店街にやってきた。休日の昼間だけあって、牛丼屋はぎゅうぎゅうに混んでいた。

 さっさと食券を買って席についてしまおうと、券売機の前に立って、悠は牛丼並の食券を二枚買った。出費を抑えたいので、それ以外のメニューは選択肢にない。

「ねえ悠、おれ卵ほしい」

「今日はダメ」


 カウンター席に座ると、悠はお茶を飲みながら考え始めた。亮太が学校をさぼった理由は何だろう。もし何か問題を抱えているなら自分が解決してやらなくてはいけない。

「ねえりょうた、学校でなんか嫌な事でもあるの?」

 亮太は悠の顔を見もしない。

「ないよ。さぼってないって言ってんじゃん!」

 苛立ちを見せた亮太に、悠はどうしたらいいか分からず黙り込んでしまった。


 少しすると二人の牛丼が同時に出てきた。悠は自分の牛丼に紅ショウガをのせると亮太の方にものせてやった。

「あー! いらないいらない!!」

 亮太が大声で叫び、すぐに悠は自分のどんぶりを近づけた。

「ごめん。私のに入れな」

「お箸につくのやだ」

 悠は黙って亮太のどんぶりから紅ショウガを移しはじめた。


 悠がいつもより少し優しくなっているのは、今自分が苛立ちを見せたからだ。悠は何も悪い事はしていないのに…。そんな亮太の罪悪感は、悠には届かなかった。

 悠は紅ショウガ山盛りの牛丼を食べている間、ずっと考え事をしていた。


―― 私全然子供の事分かってないな。こんな事でやってけんのかなあ…。


「…ねえ悠」

 不意に亮太が話しかけてきたので悠は少しびっくりした。牛丼に何か不満があるのだろうか。だが亮太のどんぶりをのぞくと、もうほとんど空になっている。不満があるようにも見えない。

「詩織さんさあ……」

 またその話か。と、悠は一瞬うんざりしたが、せっかく亮太から話しかけてくれたのだ。今度こそ黙り込まないようにしないといけない。気持ちを切り替えて、体もきちんと亮太の方に傾けた。

「やっぱりかわいそうだよ」

「うん。浮気が本当だったら、確かにかわいそうだね。りょうた優しいね」

 悠はもちろん褒めたつもりだ。だが褒められた亮太は、おべっか使われているようで少しムッとした。しかしそれが悠に届くはずはない。それが分かっているので亮太はただ話を続けた。

「なんとかしてあげようよ」

「そうだね。今日デートするみたいだったから、今度ちょっと話聞いてみたら?」

 話を聞いてあげるだけで相手の気持ちは少し軽くなる、なんて考え方を子供の亮太は知らない。話聞くだけで何の意味があるんだろう? 納得できなかった。

「おれが聞くの? それだけ?」

 悠は亮太の言葉に反射的にこう言い返した。

「だって他にどうするの?」

 亮太の頭に具体的な解決策などあるはずもなく、口ごもってしまった。悠は亮太の様子を見て、しくじった事に気が付いたが、時すでに遅し。その後は二人とも黙って牛丼をたいらげた。


 二人が食べ終わって外に出ると、外は日が昇っていて、店に入った時よりだいぶ暑くなっていた。日差しも眩しい。今日の昼食はあまり楽しい時間ではなかったが、お腹が膨れたので、さほど嫌な気分でもない。

 悠は音が出ないようにゲップをすると、亮太の手を引いて歩き出した。

 少し歩いたところで亮太が悠の手をぐいと引っ張って、進行方向にあるカフェの方を指さした。

「悠あれあれ!」

 カフェのオープンテラスで、詩織さんの彼氏がさっきの女の子と座ってお喋りしている。亮太は少し得意げに言った。

「あれやっぱり詩織さんの彼氏だよ!」

 悠は足を止めずに亮太にささやいた。

「……通り過ぎる時にちょっと見てみようか」

 悠は何気なくカフェを通り過ぎる際に男の顔を確認してみた。やっぱり、間違いなく詩織さんの彼氏だ。ニコニコと実に楽しそうな顔をしている。

 女の子を見ると、超オシャレで高そうなブランド物のバッグに服。整った目鼻立ちはハッキリとしていて、どっちかというとクールで大人っぽい印象だ。背も高くスタイルもいい。小柄でかわいらしい詩織さんとは正反対だ。

 二人は黙ってカフェを通り過ぎると、ヒソヒソ声で話し合った。

「確かにりょうたの言った通り、間違いないね」

「うん」

 亮太と違って、悠は詩織さんにそこまで興味はない。彼氏にはもっとない。だが、彼氏の事はアパートで詩織さんと一緒にいる所を何度も見た事があるが、あんなに楽しそうな顔は初めて見た。

 悠の頭に、さっき詩織さんが亮太へ向けてくれた笑顔が浮かんできた。詩織さんは、あの彼氏の事を今でも信じているはずだ。

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