夜の買い物 2/2 ~植木鉢~
「朝も夕方も、一人で手ぶらで走ってたよね。おうちに鍵もしてなかったでしょ。お母さんは?」
三号室、浦浜家は母子家庭。それは悠も前から気付いていた。お父さんは元々いない。
「お母さん今日いない」
悠はゆっくり歩み寄って、しゃがんで目線を合わせた。
「お母さんいないんだ。一人でおうちにいるの怖い? でも鍵はちゃんとかけときな。ご飯は食べた?」
「食べてない。……今日泊めてもらいなさいって言ってた」
お腹や脇の下を掻きながら、ゆっくり答える亮太。
「誰かの家に泊まるの? お友達のとこ?」
「え……お姉さんち」
指は悠の方を向いている。
「ええ、私の所?! でも、君のお母さんからそんな話聞いてないよ」
「でもそう言ってた」
「えぇ……お手紙か何かある?」
「ない」
「ないの?」
「うん」
「えぇ……まあでも、今となっては仕方ないな。このままにもしておけないし。分かった。泊めてあげる」
「うん」
「お母さん、明日帰ってくるの?」
「んー、ううん」
「いつ?」
「えっと、八月」
「えぇ?! 三か月泊めてもらえって?!」
「うん」
「君…あ、名前何だっけ?」
「亮太」
「りょうたか。ねえ、お母さんと連絡取れる?」
「ううん。電話忘れてった」
「え…お母さんどこ行ったの?」
「忘れた」
「忘れたぁ?! ホントに思い出せない?」
「んー、うん」
亮太は脇の下を掻きながら、当たり前みたいな顔をしてそう言った。
「…分かった。とりあえずまず、りょうたの荷物、私の家に運ぼう」
普通はこんなに簡単に泊めてやったりしないだろう。人によっては警察を呼ぶだろうし、本来それが正しい判断かもしれない。
だが悠には、泊めてやりたくなる理由があった。その理由には、まだ自分でも気付いていない。
*
悠は亮太の家に入れてもらって、夏服を袋に詰め、自分の家に運び込んだ。「泊める」なんて言い方をしているが、三か月間だと、泊めると言うより、滞在……子供だったら、世話をする、あるいは預かると言うのが正確だ。
もちろん悠にそんな事をした経験はない。
買って済ませるつもりだった夕飯。亮太が来た最初の夜だから、ちゃんと夕飯を作る事にしよう。亮太を家に置いて、悠は駅のスーパーへと買い物に向かった。あまりお金があるわけでもない。できるだけ安上がりな方がいい。
男の子だし、子供だから肉は好きだろう。鶏むね肉をカゴに放り込む。これで何をしようかと迷いながらスーパーを歩き回ると、電子レンジで作れる唐揚げの粉があった。唐揚げなら子供はみんな好きだろう。野菜も食べなきゃいけないから、カットレタス。あとは味噌汁でも作れば十分だ。
味噌汁の具を考えていると、鮮魚コーナーで半額になっている赤エビを見つけた。半額になっていたって普段は買わない。でも、今日は少しくらいなら贅沢してもいい。
悠は最後に赤エビをカゴに放り込んだ。
買い物を終えて家に帰って、すぐに調理に取りかかる。悠が急いで支度している間、亮太はおとなしく、黙って待っていた。
しばらくすると、唐揚げにカットレタス、ご飯と味噌汁がテーブルに並んだ。
「ほら、味噌汁飲んでみな」
悠に勧められて亮太は味噌汁に息を吹きかけてすすった。
まだ亮太には少し熱いだろうが、一口すすると、塩味と香りが体に染み渡って、体と心の緊張がふわっとほぐれた。それが悠の目から見てもはっきり分かる。悠はにっこり笑いかけてやった。
「美味しい?」
「うん」
亮太は夕飯を残さずたいらげ、悠は二人分の食器を洗って、一息ついた。このアパートは、ダイニングキッチンと洋室、和室がある。エアコンがついているのは洋室だけ。悠はベッドもテレビも、くつろぐための家具は全部洋室に置いていた。
悠が洋室にあるテレビをつけると、亮太が寄ってきた。
「ん? りょうた、何か見たい番組ある?」
「ううん。明日、学校で植木鉢いる。トマト育てるから」
「え、明日ぁ?!」
時計が指しているのは八時四十分。確実に植木鉢を買えるホームセンターは九時までで、ここから自転車で二十分。ギリギリだ。正直言って面倒くさい。
「今からじゃ間に合わないよ。諦めな。先生に無理だったって言って」
そう悠が言ってから十秒も経たないうちに、亮太はTシャツを両手で握りながら「ふん~」と情けない声で泣き出した。悠の視界の端で、亮太のつぶらな瞳が訴えかけてくる。
―― もう! しょーがないな!!
悠は自転車を走らせ、ホームセンターへと急いで向かった。後ろには亮太も自分の自転車に乗ってついてきている。ここらは網の目状に道が細かく入り組んでいて、あまり自転車を飛ばせない。
二人が到着すると、ホームセンターにはまだ明かりが点いていた。中には店員の姿も。「よかった」と胸をなで下ろしながら悠がドアを引くと「ガチャン!」と引っかかった。もう鍵が閉まっている。
悠達に気付いて、男の店員さんがドア付近まで駆け寄ってきてくれた。
「お買い物ですか?」
「すみません。植木鉢一つだけなんですけど、もうダメですか?」
店員さんはレジの方に振り返って言った。
「山下さーん、まだ平気?」
レジにいる店員さんが「オーケー」と手で合図すると、男の店員さんが「どうぞ」とドアの鍵を開けてくれた。
「ありがとうございます! 急いで買いますから」
悠はお辞儀をしながら中に入ったが、亮太は入ってこない。待っているつもりらしい。
「りょうた、来な! どんなのがいいの」
「これくらいの…」
まだ来ようとしない。
「来なって!!」
悠は亮太を引っ張って植木鉢のコーナーまでやってきた。様々なサイズの植木鉢がずらりと並んでいる。
「そんなに大きくなくていいよね?」
「うん」
「これは?」
悠は安そうないたって普通の小さい植木鉢を取って見せた。
「こういうのじゃなくて、青いやつ」
「青……青?」
辺りを見渡しても、青い植木鉢はない。
「色なんかどれでも同じだよ。これでいいでしょ?」
「でもこういうやつじゃない! 四角いやつ!」
「四角ぅ?」
辺りを見渡しても、四角い植木鉢は
「あとペコペコしてるやつ!」
「ペコペコぉ? ペコペコって何?」
辺りを見渡
「それに上がひっくり返って持てるやつ!」
「ひっくり返って持つぅ?! 『ひっくり返って』ってどゆ事?! そんな植木鉢ないよ!」
「ある! 先生持ってたもん!!」
時間をかけるのはお店に申し訳ないし、探しても見つかりそうにない。というかそもそも、どんなのを探したらいいのかよく分からない。
「どれでも同じ! これでもジャガイモちゃんと育つから!」
「トマト!!」
「同じ!!」
結局、買ったのはいたって普通の茶色い小さな植木鉢。亮太の自転車のカゴに入れて、二人で一緒に家に帰る。
―― まいったな。子供って、植木鉢一つでもこんなに手間取らせるんだ。私こんな調子で三か月も世話するのか……。
先を自転車で走る亮太の髪の毛は風に吹かれて、妖怪を探すアンテナみたいになっている。
―― でも可愛い…。とにかく、これから三か月よろしくね。りょうた。
第一話 夜の買い物 - 完
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