何かがうまくいかない時に
ロドリーゴ
小説本編
第一話 夜の買い物
夜の買い物 1/2 ~夏を特別にした一言~
東京は下町と山手だけじゃない。浅草だの渋谷だの新宿だの、池袋だの中野だの吉祥寺だの、そういう「東京感」はまるで持っていない街が、東京にはたくさんある。ここはそんな街の一つだ。
プチセレブが集まる、割合オシャレな街並みも見られれば、以前映画とドラマにも登場した、小田急線と横浜線沿線のちょっぴり小汚い街並みも見られる。
内陸で、毎年夏になるとムシムシ暑い。普通、夏に限らず一つの季節は三か月という事になっているが、ここらでは夏は五月から九月まで、五か月もある。
そんな街の、どちらかというと小汚い地域に、一軒のぼろアパートがあった。2DKで風呂もトイレも付いているけど、家賃は格安。このアパートの住人にとって、この夏は特別だった。
*
まず、三号室に住んでいる
小柄でも体系は標準的。髪は細くて柔らかい栗毛で、長くも短くもない中途半端な長さ。大人が見れば誰でも可愛いと思うだろう。
勉強はそこそこ。恐竜とか虫とか、飛行機とか宇宙とかが好き。小柄な事もあって、スポーツは苦手。
ちょっと反抗期気味で、わがままを言う事もあるし、好き嫌いもある。でも基本素直。
つまり、どこにでもいる男の子。
そして、六号室に住んでいる
定食屋の看板娘。普段、柄入りのポロシャツにジーパンみたいな、オシャレでもないけど地味と言うほどでもない、気取らない服装。髪は長めで、暗い茶髪。でも根元がもう黒くなっている。
いつも一人で、友達はいない。彼氏もいない。
まあ、案外どこにでもいる女の子。
二人は以前からたまに顔を合わせていたが、顔をちらりと見るだけで挨拶もしないし、お互いの名前も知らないし、話した事もない。
亮太からすると悠は、太めの眉毛を除けば、綺麗でかっこいい、憧れの大人のお姉さん。悠からすると亮太は、可愛い、いつか自分も欲しい憧れのちっちゃな子供。でも、お互いそれ以上の存在ではなかった。
*
「本当に家にはないんですね?!」
水曜日の朝。悠は電話の相手にちょっぴりイライラしながらも、鍵をポケットに押し込んだ。相手は勤め先の定食屋『岡本食堂』の大将だ。
「もちろんこれから店に行って探しますよ。でも一応大将ももう一度家の中探してくださいよ?」
電話を切って靴を履く。今日は水曜日で定休日なのに、店にキーホルダーを忘れたらしい大将のために、これから店に行かなければならない。
「だから合鍵作ってくれって言ってるのに……」
店の鍵を管理しているのは悠。本当は大将も鍵を持っていたのだがだいぶ前に紛失してしまい、それ以来ずっと悠しか鍵を持っていない。
扉の鍵を閉めて、アパートの庭兼駐車場へと降りた時だった。アパート前の坂道を一人の男の子が駆け下りてくる。あれはたまに見る浦浜さんちのお子さんだ。
腕時計を見ると、午前九時半。幼稚園か学校があるはずの時間じゃないか。それなのに、手ぶらでこんなところにいる。どうしてだろう? ……まあ、別に自分が気にするようなことでもないか。
悠は亮太に一言もかけずに店へと向かった。
*
「ありましたよキーホルダー。他にも色々」
悠はキーホルダーを見つけた後も、電話しながらあちこち漁っていた。次々と大将の物が見つかる。
「前になくしたって言ってた『ひと月で売り上げが上がる経営術』って本とか、腕時計に習字セットにマイルスデイヴィスのCDに……」
よくもまあこんなに色々忘れられるものだ。この店は古くて、あちこちゴチャゴチャしているから大将はよく物をなくす。
毎年年末の大掃除に大将がなくしたものが次々と出てくるのだが、今年の年末は少なくて済みそうだ。
*
帰りにお昼を食べ、本屋にCDショップに靴屋だのドラッグストアだのを巡って、悠がアパートに帰ってきたのは午後六時。そこで、またしても亮太と出くわした。
やはり手ぶらだ。悠をチラリと見たものの、何も言わずに自分の家へと走っていく。そして家のドアを開けて中に入る。鍵をしていなかったようだ。
どうして手ぶらで一人でちょろちょろ走っているんだろう。しかも家に鍵も掛けていないとは不用心だ。ちょっと気にはなるものの、口を出してもし親御さんに煙たがられたら、面倒くさい。
悠は黙って二階に上がり、自分の家へと入った。
漫画を読みながらダラダラしていると、気付けばもう七時。夕飯はどうしよう。今日は結構歩いたし、自分で作るのはちょっと面倒だ。コンビニで何か買って食べよう。
悠が家を出ると同時に、一階から聴こえるドアを開く音。亮太がまた庭を駆け抜けて外へ出ていく。やはり一人で、手ぶら。さすがに何かおかしい。
まだ若干迷いはあったものの、道路でキョロキョロしている亮太を見て、悠は話を聞いてみる事にした。
庭で待っていると、亮太はすぐに帰ってきた。庭にいる悠をちらりと見るが、何も言わずに自分の家へ走っていく。悠は深めに息を吸って、声を投げかけた。
「ねえ、君どうしたの?」
この一言が、この夏を特別にした。
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