第8話 精霊のお願い

洞窟の中は昨日と変わらず淡く光る苔のような植物が薄く照らしていた。

キュルルも普段と違った様子を見せることなく、僕の肩でゆらゆらと揺れている。水は苦手のようだけど洞窟の中は平気みたいだ。


特にトラブルもなく、僕が横たわっていた空間の入り口までやって来た。


昨日は何も感じなかったが、改めて空間の入り口に立ってみると、少しばかり違和感を覚える。


何が?と聞かれると回答に困ってしまうのだが、僕の記憶と今視界に映っている風景が何となく違うような気がするのだ。


腕を組み、手を顎に当て、いぶかしげに前の空間を見つめる僕を、キュルルは不思議そうに見ている。


僕は暫くその場で立ち止まり、違和感の原因を解き明かすべく目を配るが、誰かが潜んでいる気配や第六感が警鐘を鳴らしている訳でもなかった。


「思い過ごしかな?」


僕は、細心の注意を払いながら空間へ足を踏み入れるのであった。


そこは昨日と変わらない空気に包まれていた。

まだ違和感を払拭するには至らないが、とりあえず先程までの心配が杞憂に終わって安堵する。


僕は気を取り直して、炭を保管するのに最適な場所を探し始めた。


全体を一周すると、壁が凹んでいて物を置くのにちょうど良い場所がある事に気付いた。


足元からそれなりの高さにあり、湿気もこもり難いだろう。

置き場所は凸凹してるので風通しも幾分良いのではないだろうか?

奥行きも葉っぱを広げて炭を置くには十分なうえ、横幅も余裕があるので炭を並べて置くこともできそうだ。


僕は十字に縛っていた紐を解くと、炭が岩に触れないように葉っぱを広げて置いた。


付近には水が染み出している場所もないので、これで炭の保存は大丈夫だと思う。


僕は踵を返すと、キュルルを撫でながら洞窟の出口に向かって歩きだした。キュルルは気持ち良さそうに身を委ねている。


そして、この不自然な空間の入り口付近で、先程覚えた違和感の原因を知ることになる。



僕は二度と聞くことが無いと思っていた言葉を耳にした。


「おいっ、ちょっと待つのじゃ。」


突然の声に驚き振り返る。


「なんなのじゃ、この黒い貢ぎ物は?

昨日のお礼にしては随分と粗末なものじゃのぅ。」


そこには癖の無い背中まで伸びた銀髪と、苔の明かりでもはっきりと分かる、色白であどけない表情の女の子が僕の置いた炭を頬張っている姿があった。


炭をモグモグと頬張る姿にも驚いたけど、何よりも日本語で語りかけてきた事に衝撃を隠せなかった。


「昨日崖の中腹で見つけた時はもう駄目かと思ったが、元気そうでなりよりじゃ。」


女の子は両手にひとつずつ炭を持ち、モグモグと炭を頬張りながら不味そうな表情を浮かべ僕を見ている。


僕はこの女の子が突然現れたことや炭を頬張っていることよりも、今話している日本語が気になって仕方なかった。


「君は日本の人なの?」


「日本?何じゃそれは?」


「いや、だって、君が話してる言葉は日本語じゃないか。」


「言葉?ああ、これの事か?

これはな、ワシが話してるのではなく、主が感じて聞き取っておるのじゃよ。」


「聞き取る?」


「なんじゃ、理解できぬのか?

要するにじゃ、主は耳で音を拾い脳で理解する。ワシは主が理解できるように意思を音で伝えとるのじゃよ。」


「脳で理解?要するに脳内で翻訳してるって事か?」


確かに女の子が言ってる事は間違っていない。

通常、耳で拾われた音は電気信号に変られ大脳で認識し、それが何の音なのかを識別している。

この女の子が日本語を話さなくても、僕の脳が日本語だと認識すれば日本語として聞こえるはずだ。


「しかし、そんなそんなこと可能なのか?」


僕は俯き、こめかみに指を当て考え込んだ。


「可能じゃぞ。なんせワシは偉大な岩の精霊様じゃからのう。不可能は無いと言っても過言ではないのじゃ、わっはっはー。」


女の子は腰に手を当て胸を張り、高笑いしながら言い放った。


「岩の精霊?」


「そうじゃ、岩の精霊じゃ。」


恐れ入ったかと言わんばかりに大きく頷く。

が、何か引っかかる事でもあったのか、しばし考え込むと、突然両手をバタバタさせながら涙目で訴え始めた。


「っと言うか、様を付けろ様をっ。ワシは凄い偉いんじゃぞっ。本当に凄いんじゃぞっ。敬え、敬って敬い倒すのじゃっ。」


今にも泣きそうで手が終えなくなった僕は、優しくなだめると話題を変えることにした。


「君は昨日の事を知っているのかい?」


「昨日?お主をここに運んだ事かの?」


「さっき、崖の中腹で見つけたって言ってなかったっけ?」


「そうじゃよ。目隠をして両手両足を縛られ倒れていたお主をワシが見つけここに運んでやったのじゃ。」


「手足の縛りを解いてくれたのも君なのかい?」


「そうじゃ、ガチャガチャと不自由しとったみたいだったしのぅ。

何かのプレイだとも思わなんだし、無断で外させてもらったわ。

迷惑じゃったか?」


「ううん、感謝してるよ。

でもどうして目隠しは外さなかったの?」


「目隠しか?眠っておったからの。

暗いほうが良く眠れると思いそのままにしてやったわ。」


「そういう事か…」


昨日僕の手足が自由に動かせたのは、この女の子、いや、岩の精霊が外してくれたからだと知った。


「ん?でも、手錠は引き千切らないとはずせなかったのでは?」


「何を言っとるのじゃ?

魔法を使えば簡単じゃろう?」


「魔法?」


僕は突然現れた単語に意表を突かれた。

魔法って、ファンタジーな世界で登場するあれの事なのか?


「何素っ頓狂な顔をしておるのじゃ?

魔法を見た事がないのかの?」


何故か僕は少しだけ恥ずかしそうに頷く。


「そうか、なら偉大なる岩の精霊様であるワシが見せてやろうかの。」


そう言うと、岩の精霊は右の手の平を上に向け、目を閉じ何かを呟いた。

すると、手の平の頭上に緑色の光が輝き始め、消えると同時に一本の岩の剣が現れた。

岩の精霊は、現れた剣を一振りすると、


「どうじゃ、これが魔法じゃ。

遠慮なく驚くが良い。そして敬え、敬って敬い倒すのじゃっ。」


確かに、僕の目の前で起きた現象は物理的には説明できなかった。

しかし、何と言うか、その…


「地味…」


得意げに剣を振り回していた岩の精霊の耳がピクンッと反応する。


「地味じゃと?今、地味と申したか?」


「えっ、いや、その、つい本音が…」


「なんじゃとー。

この可憐な岩の精霊であるワシを地味と申すのかー?

ショックじゃ、ショック過ぎて立ち直れなさそうじゃ、このままショックが原因で消えてしまいそうじゃ。」


大粒の涙をためながら、今にも泣き出しそうな雰囲気だ。


「ちょっ、ご、ごめんよ。そういうつもりじゃなかたんだけど。」


僕は慌てて慰める。


「ではどういうつもりなのじゃ。」


「えっ?その、何と言うか…」


不味い、今にも涙が流れ落ちそうだ。


「そう。

可愛い女の子が重そうな岩の剣を片手で軽々と振り回す姿にびっくりして、とても魔法どころじゃ無かった…気がする。」


「可愛い?じゃと。」


あれ?

もしかして地雷を踏んでしまったか?


「お主、今可愛いと申したか?」


「えっ?うん、確かに言ったよ。」


「そうかそうか、可愛いとな。ふむふむ、可愛いとな。むふふふふ。」


今まで泣きそうだった勢いは何処へ行ったのだろう?

とりあえず九死に一生を得た気分の僕は、話を続けることにした。


「ところで、昨日の事を教えて欲しいんだけど。」


「昨日の事じゃと?

ワシは崖の中腹で倒れていたお主をここに運んだだけじゃよ。

お主が何処から来たのかこちらが聞きたいくらいじゃ。」


「そうか。

この世界に迷い込んだ原因の手がかりになると思ったんだけどな。」


僕は刑壇室で意識を失った時、何らかの影響を受けてこの世界に迷い込んだと考えている。


この考えが正しければ、条件を揃える事によって元の世界に帰る事もできるのではないかと思っているのだ。


どちらにしても、現状では情報が全く足りないので何もする事ができないのだが…


「ところでお主は精霊使いなのか?」


「精霊使い?僕が?」


「そうじゃ。その肩に乗っておるのは精霊の子供じゃろ?」


岩の精霊は、僕の肩でゆらゆらと揺れているキュルルを指差した。


「キュルルが精霊?」


「そうじゃ。すでに契約も終わっておるように見受けられるのだが?」


「契約?」


「なんじゃお主、何も知らんのか?

ワシら精霊は契約することによって力が目覚めるのじゃよ。

お主の場合、既に名も刻んでおるようじゃが?」


思い当たる節はあった。


初めてキュルルと出合ってキスをされた時の青白い輝きと何かが流れ込んでくる様な感覚。

名前を贈った時も青白く輝いた記憶がある。


「ワシが見る限り、その子は炎の精霊のようじゃな。

契約したお主も炎の力が使えるはずじゃぞ?」


岩の精霊の何気ない言葉に僕は背筋をピンと伸ばす。


「えっ?そんな力使えないんだけど。」


「なんじゃ、使い方が分からんか?」


「う、うん。」


「そうか?なら偉大な岩の精霊様が教えてやろう。

ほれ、手を前に出すのじゃ。

そして手の平を上に向けてみるが良い。」


「こう?」


僕は言われる通りにしたが特に何も起きない。


「そうじゃ。

後はイメージしてみるが良い。手の平に炎が揺らめく姿を。」


僕は目を閉じ手の平に意識を集中させ、炎が揺らめく様を意識した。


すると、手の平に熱を感じ始めたと思うと、ゆらゆらと炎が揺らめいたのである。


「えーっと…」


僕が想像したのとは違い、ビー玉サイズの火の玉がゆらゆら揺れたと思ったら弾けて消えたのだ。


「最初はそんなもんじゃ。

精霊が育てば力も大きくなるし、お主が鍛錬しても力は大きくなるはずじゃ。」


「うーん…」


僕は納得いかない表情を見せてみるが、未知の体験に少々の高揚を覚えていたのだった



「ところでじゃ…」


岩の精霊は、明らかに今までと違った眼差しを僕に向けた。


「何?」


「お主に折り入って頼みたい事があるのじゃが?」


「頼みごと?昨日の事もあるし、僕にできる事なら力になるよ。」


「そうか。」


岩の精霊は、ほっとしたような笑顔を見せると、


「なに、難しいことではない。ワシの友人を弔って欲しいのじゃ。」


「弔う?

弔うって死んだ者を供養するってことかい?」


「そうじゃ。ワシは岩の精霊なのでな、友人を土に帰してやる事ができんのじゃよ。」


「岩の精霊だと無理なの?」


「そうじゃな。ワシは岩の中でしか移動できんのじゃ。

友人の眠るべき場所は森の中。

ワシ自らの力で移動する事は無理なのじゃよ。」


「そうなのか。

具体的には何をすればいいの?」


「なに簡単な事じゃ。

ワシと友人の遺骨を運んで欲しいのじゃよ。」


「それだけでいいの?」


「もちろんじゃ。

その森には危険な生き物もおらんのでな。

特に危ない事もなかろう。」


「分かった。それくらいなら僕にも出来ると思う。」


「おおそうか。

では早速遺骨を取りに行くので付いて来てくれぬかの?」


「うんいいよ。

でもその前に一ついいかい?」


「何じゃ?」


「さっきから食べてるその黒い物、食べ物じゃないよ。」


食べ物だと思い無理して食べていたのか、僕が告げた真実に岩のように固まり、両手に持った炭を落とすのであった。


「大事な事は早く言って欲しいかったわい。」


少しばかり気まずい雰囲気を作りつつ、僕は岩の精霊に連れられて洞窟の奥へ向かうのであった。



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