第6話 君の名は?

どれくらい歩いたのだろうか?

正直そんなに歩いてはいないと思う。

何故なら、先程の場所から数分進んだ所で水の打ち付ける音を聞く事ができたからである。


まだ微かではあるが、森の葉擦れに混ざって不規則だが絶え間なく水の塊が水面を打ち付ける音が伝わってくる。

僕の進行方向から見て左手側には洞窟から続く崖がある。

それを考慮すればそれなりの高さから一定以上の水が連続的に落ちている状態、つまりこの先に滝があるのではないかと考えられる。


引き続き周囲を警戒しながら慎重に進むと、徐々にひんやりと湿った空気が漂い始め、足元には岩肌が目立ち、やがて木々の切れ間から探し求めていた滝が姿を現したのだった。


水量はそれほど多くは無いが、5メートル程の高さに崖の割れ目があり、それが滝口となって湧き出た水がそのまま水しぶきをあげながら滝壺に流れ込んでいるようだった。


詳細な水質検査は今の僕では行う事ができないが、水の透明度は高く、滝壺の川底にある石まではっきりと見る事ができる。


水中には小さな魚影も確認でき、特に危険な水質ではないと考えて良さそうだ。


僕は、滝壺から川下に向けて危険な生物が居ないか確認しながら、所々で硫黄や鉄分などにより変色している場所が無いか調べた。


一通りの安全を確認した後、滝壺の岸にしゃがんで両手で水を掬ってみる。

水はひんやり冷たく指の隙間からキラキラと零れ落ちた。

僕はもう一度水を掬うと少量を口に含んでみる。


当然の事だけどカルキ臭さはなく、口の中で刺激を感じることも無かった。

味も不味くない、と言うかとても美味しい。

肉眼で確認できない微生物までは調べようがないが、大量に飲まなければ大丈夫だと思う。


一息付いた僕は焚き火の用意に取り掛かった。

春の気温と言っても、水浴びをして濡れたままでは風邪をひいてしまうだろう。

洗った服を乾かすのにも焚き火は有効だ。

今の僕には頼れる相棒だっている。


僕は一通りの準備を終え、相棒の力を借りて火を起こした。

相棒はパチパチと火の爆ぜる音を聞いて楽しそうに飛び跳ねている。

僕はその姿に微笑を浮かべると、豪快に服を脱ぎ捨て、素っ裸になって滝壺に入った。


ひんやりとした感触が全身を駆け巡る。

水量がそれほど多くないので一番深い所でも太股くらいまでの水深だ。


「それにしても…」


僕は全裸で仁王立ちしている今の状況に顔を赤らめた。

いくら誰も居ないからと言って、大自然のど真ん中で白昼堂々とありのままの姿で隠すこともせず…


「ちょっとオープン過ぎないか?」


もし、この世界の住人がこの水場を利用していて今の僕を目撃したら…

ちょっとした背徳行為に心臓がバクバクしているのを感じた。


「今、とても貴重な経験をしてるのかも知れない。」


僕は自然と蹲って腰まで水に浸り、気持ち遠慮がちに汗を流すのであった。


岸に脱ぎ捨ててあった服を洗い、きつめに絞った後、焚き火の近くの岩に広げた。

冷えた体を温める為に僕も焚き火の前の岩に腰掛ける。


相棒は水が苦手なのか僕の肩に飛び乗ろうとはせず、焚き火の近くでゆらゆらと揺れている。


僕は洋梨のような果実を取り出すと、ゆらゆらと揺れる相棒を眺めながら、ひと口ふた口と食べながら思う。


「相棒に名前を付けた方がいいのかな?」


僕は目の前でゆらゆらと揺れる赤い毛玉のような生き物をその場その場で都合の良い呼び方で呼んでいるけど、四六時中一緒に居る親しい間柄なのは疑う余地もない。


彼にこの世界で学名のような統一名称があるかどうか分からないけど、僕は彼に名前をプレゼントするべきではないのだろうか?


例えば愛称なら、学名が何であれ影響を受けることはないだろう。

犬や猫を家族に迎える時と同じように、目の前でゆらゆらと揺れている赤い毛玉のような生き物に何か名前をプレゼントすることはとても有意義な事だと思う。


僕は色々と愛称を思い浮かべた。


毛玉のようだからピル?

赤い色をしてるからレッド?

丸いからボール?

ここは和風に赤兵衛?


我ながらセンスの欠片も窺えない。


心が折れるのを必死に堪えながら、僕はある疑問に気付く。


「そう言えば、性別はどっちなんだろう?」


男の子なのか?

女の子なのか?

それとも、性別と言う概念が存在しないのか?


僕は、赤い毛玉のような君を掬い上げると、両方の親指でまさぐってみる。


判別するための突起物はどちらも確認できなかった。

そもそも分類上哺乳類になるのかも不明な訳だが…


僕はそっと地面に戻すと、両手で頭を抱え空を仰いだ。

視線の先には、僕の苦悩を嘲笑うような雲ひとつない空が広がっていた。


考えれば考える程月並みな名前しか思い浮かばなくなる。

これが深みに嵌るという事なのかも知れない。


いっその事全く関係ない名前にすれば良いのかもしれない。


「キュルル?」


無意識に発した言葉。


肩に乗ってきた時撫で撫でしてやると、キュルキュルと甘えた様な表情をするし、可愛いは英語でキュートと表現する。


「うん。思いつきだけど良い名前じゃないか。」


僕は決断し、焚き火の前で気持ち良さそうにゆらゆらと揺れるキュルルをもう一度掬いあげると、


「今日からキュルルって呼ぶね。よろしく!」


と名前をプレゼントした。


すると不思議な事に、キュルルの体がキスをした時と同じように青白く輝く。

一瞬の出来事だったので、僕の見間違いだったのかも知れない。


当の本人は理解したのかしなかったのか、ニコニコしながらゆらゆらと揺れているのであった。

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