第3話 火起こしと珍客
僕が森を抜けた頃、洞窟のある絶壁はオレンジ色の巨大なスクリーンとその姿を変えていた。
沈み行く太陽のような夕焼けは、この世界が地球と同じように丸く、大気の層に覆われている事を教えてくれる。
しばらくこの素晴らしい景色を眺めていたい気分だったが、持ち合わせの紐では十分な枝や枯葉を持ち運べなかった事もあり、急いで洞窟に戻らなければならなかった。
何度か洞窟と森とを行き来し、十分な枝と枯葉を用意できた頃には、既にオレンジ色のスクリーンは影を潜め、その姿を暗闇の中へと溶け込ませていたのであった。
僕は洞窟前の岩に腰掛け、森で採取した洋梨のような果実を一つ二つと胃の腑に収めていった。
味は、甘さを除けば地球の青梨とほぼ同じで、慣れない作業で乾いた喉も十分な水分で潤してくれた。
森の中で毒味がてらに一つ食べ、あと4つ残っているのだが、特に大食いでも少食ない僕では2つ食べるのが精一杯だった。
この気温であればそうそう痛むことも無いだろうし、残りは明日の朝にでも食べようと思う。
幸い、夜になっても気温の落ち込みは殆どなく、ほぼ無風状態で体感的な寒さは微塵も感じなかった。しかし風が吹き始めれば薄ら寒さを感じるかもしれない。
この状況であれば暖を取るための焚き火も必要ないのだが、今後の事を考えれば、火起こしのスキルは必須だと思う。
僕は、森で拾った枝葉の中から太目の棒を取り出して地面に置き、手錠の出っ張りを使って傷を付け凹みを作った。
ここに別の棒を隙間が出来ないように差込み、手の平を使って回転させ、その摩擦を利用して火種を作って発火する。
これは「もみぎり」と言われる方法で、縄文時代後期から行われていたとされる原始的な発火方法だ。
数分後…
僕はヒリヒリする手の平をふうふうしながら、予想していた通りの結果に軽く打ちのめされていた。
「やっぱりと言うか、何と言うか…」
知識通りに事が運べば、1分程度で焦げ始め炭粒が溜まり、やがて炭粒は赤くなり見事火種ができるはずだった。
しかし、根っからのインドア派である僕にはハードルが高すぎた。回せど回せど黒くなる気配すら無かった。
僕は棒を放り投げ、やってられるかと言わんばかりに大の字になって寝転んだ。
雲一つ無い夜空には、地球と同じような満天の星が輝いている。
月のような天体も確認でき、ここが地球なのでは?と錯覚してしまいそうになる。
敢えて違いを探すのであれば、月のような天体が複数ある事だろうか?
きっと地球とは違い、複数の衛星がこの星を周回しているのだろう。
僕は寝転んだまま横向きに体勢を変え、ここが本当に地球ではなく異世界である事を改めて認識した。
不意に故郷が懐かしくなり、思いを馳せるべく瞳を閉じる。
今頃地球はどうなっているのだろう?
この世界と時間の概念が同じとは限らないが、まだそれほど時間は経過していないと思う。
できる事なら地球に戻り、僕らが開発した時空移転装置で人類を救いたい。
今となっては叶わない夢だとは分かっていても、やはり心が締め付けられる。
そんな感傷に浸っていると、目の前の野原で草花がわさわさと揺れている事に気付いた。
一変して緊張が走る。
明らかに物理的な現象によってもたらされる草花の揺れは、何者かによる仕業だと考えるのが妥当だ。
僕は視線を向けたまま、火起こし用に置いてあった枝葉の中から、できるだけ頑丈そうな棒を手探りで掴み、大事に備えるべく体を起こして構えた。
その何者かは僕に向かって徐々に近づき、やがてその正体を現す。
「・・・」
棒を構えたまま、しばらく固まる僕。
毛玉のような容姿に愛くるしい表情、ぴょんぴょんと跳ねながら近寄ってくるそれは、考えるまでも無く森の中で出会った赤い毛玉のような生き物だった。
緊張が一気に解け、その場にへたり込む僕。
赤い毛玉のような生き物は、お構いなしの様子で僕の体をぴょんぴょんと跳ねながら左肩に乗り、楽しそうにゆらゆらと揺れている。
僕は右手で優しく撫でながら、
「驚かせないでくれよ…」
と、ため息をつくのであった。
赤い毛玉のような生き物は、僕の撫で撫でが相当気持ち良いのか、目を細めて身を委ねている。
森の中からどうしてここに来たのかは分からないけど、僕を慕って会いに来てくれたなら、それはそれで嬉しい事だと思った。
「どうしたんだい?」
僕は、返答できるはずもない相手に問い掛ける。
案の定、赤い毛玉のような生き物は答えもせず、気持ち良さそうにゆらゆらと揺れているのだった。
「答えが返ってくる訳ないか。」
僕は当然の結果を、わざわざ声に出して確認する。
僕はその場に座ったまま、暫く赤い毛玉のような生き物を撫でていた。
赤い毛玉のような生き物は、まるで僕の肩が居場所だったようにゆらゆらと揺れながら身を委ねてくる。
何故僕の元にやって来たのかは知る由もないが、今は寂しさを紛らわす為にも甘えようと思った。
こうして僕の記念すべき初日は過ぎっていったのである。
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