第2話 赤い実と毛玉と僕とキス?
僕は周囲を警戒しながら森へ入って行った。
今僕の持ち物は目隠しで使われていた白い布と紐と手錠のみ。
サバイバルで必要とされる道具を一切持ち合わせていない上に全くの初心者だ。
自他共に認めるインドア派の僕は中学の課外授業で行ったキャンプを最後にアウトドアなんてしたことが無い。
知識としては多少持ち合わせているものの、それがここで通用するのかと問われれば首を縦に振ることはできないだろう。
もしこの状態で不慮の事態にでも遭遇すればどうなるかなど想像したくもない。
ここが地球ではない以上、未知の生態系にも注意する必要がある。
熊などの大型哺乳類はもちろん、蛇や蜘蛛などに相当する毒を有するであろう生物、自生している植物にも棘や毒を有しているものがあるかも知れない。
もしかすると、地球とは別進化を辿った何かが潜んでいる可能性もある。
とにかく用心に用心を重ねながら、僕は道なき道を進んでいくのであった。
森の中で手に入る食べ物は色々と思い浮かぶが、今の状況を考えると果物が最適だと思う。
果物であれば水分補給も同時に行う事ができるからだ。
火を起こす術を持たない現状では水は危険。
小動物を捕らえるにしても火がないので調理が出来ない。
細菌や寄生虫など、肉眼で確認できない何かに侵されでもすれば助かる確率はほぼ無いだろう。
これがテレビゲームやテーマパークのアトラクションならばワクワクドキドキの展開なのだろうけど、いざ現実となると、ワクワクドキドキは不安と恐怖でしかない。
近い将来地球に戻ったとして、この手の何かの開発を一任されたのなら、きっとリアリティー溢れる素晴らしい作品をユーザーにお届けできるだろうと本気で思った事は秘密にしておこう。
こんな途方もない状況ではあるが、救いだってある。
それは気候が穏やかだったことだ。
汚染される前の日本で例えると、桜咲く季節の感覚に近いと思う。
この世界に四季が存在するかどうかは分からないが、地上を照らす太陽のような光は優しく、洞窟前の野原には色取り取りの草花が咲き乱れていた。
森に入ってみれば草を掻き分ける作業も必要なく、今のところ警戒していたような危険生物との遭遇も無い。
捨てる神あれば拾う神ありとはこういう事の例えなのかも知れないと思った。
僕の予測が正しければ、果物を探すのはそう難しくはないだろう。
森に入って確認した限り生態系は地球のそれと似ていると考えられる。
洞窟前の岩に腰掛けていた時、遠くで鳥の鳴くような声も聞いた。
この環境が僕の知る常識が通用するのであれば、食物連鎖が成り立っていると考えて間違いないだろう。
植物は果実を実らせ甘い香りで誘い、果肉と引き換えに種を運ばせて種の存続を図っているはずだ。
この考えが正しいと証明されるのに、大して時間は掛からなかった。
先ほどから感じる甘い香りが歩を進める毎に強くなって行く。
辿り着いた目の前の木を見上げれば、そこには青々とした洋梨のような果実が至る所に実っていたからだ。
果実の実っている高さは地上から約3メートル。落ちていた棒を拾い、付け根を狙って突いてみたが、落ちる気配はない。
「仕方ない。登るか…」
僕はそう呟くと、目の前の木を丹念に調べ、蛇や蜘蛛、蜂などの危険な生物や擬態している何かが居ないことを確認した。
幸運な事に木登りに自信がない僕でも、幹に出来た瘤を足場にして、難なくよじ登る事に成功した。
洋梨のような果実を五つもぎ取り、目隠しで使われていた白い布を風呂敷代わりに使って包み、それをたすき掛けにする。
足を踏み外さないよう慎重に足場を確認しながら途中まで降り、最後は華麗に飛び降り着地した。
早速手に入れた洋梨のような果実を味見を兼ねて毒味しようとすると、足元の茂みからわさわさと音がする事に気付いた。
「ん?」
僕は達成感から緩み気味だった気持ちを引き締めると、落ちていた木の枝でそっと茂みを掻き分けた。
「なんだ?この生物は?」
そこには赤い毛玉のような生き物がぴょんぴょん飛び跳ねていたのだった。例えるなら動く毬藻とでも言うべきか…
注意深く観察してみれば、どうやらその赤い毛玉のような生き物は、上空にある赤い実を必死に採ろうとしてるようだった。
先程までの自分を思い浮かべた僕は、その赤い実を採ってあげようと実に触れようとしたその時、
「熱っ!」
赤い実に触れたか触れなかったか、僕は反射的に手を引っ込めた。そして、その実が火傷する程の熱を帯びていることを知る。
「何だこの実は?」
森に入ってからの懸念であった未知の生態系とこんな形で遭遇するとは…
まさかの展開にちょっと凹んだ僕であった。
幸いにも事なきを得たが、僕が赤い実を横取りしようといていると思ったのか、赤い毛玉のような生き物が恨めしそうに僕を見上げていた。
「横取りなんてしないよ。」
僕はそう言うと、赤い実に触れないよう、丁寧に枝の部分を折り、赤い毛玉のような生き物の目の前に差し出した。
最初、赤い毛玉のような生き物は警戒しているのか赤い実と僕を交互に見ていたが、害意がないと判断したのだろう。
2粒ある実の一つをその外見からは想像もできない程大きな口でぱくりと一飲みにした。
そして消化でもしてるのか、幸せそうな表情を浮かべ、その場でゆらゆらと揺れている。
「熱くないのかな?」
率直な疑問だった。
僕の指が触れた時の感触だと、電気ポットから出したお湯が指にかかった感じに近かった。そう考えると最低でも摂氏70℃は超えているはずだ。
その実を目の前の赤い毛玉のような生き物は、直径10cm程度の小さな体で丸呑みにしたのである。
普通に考えれば、体内が熱せられて火傷を負ってもおかしくはないはずだ。
そんな考察に明け暮れていると、赤い毛玉のような生き物が僕をじっと見つめていることに気付いた。
「どうぞ、君の為に用意したんだよ。」
そう言って僕は、促すように赤い毛玉のような生き物の前で差し出した実を揺らして見せた。
赤い毛玉のような生き物は僕の意思を察したのか、先程と同じ様に大きな口でぱくりと一飲みし、やはりその場で幸せそうな表情を浮かべ、ゆらゆらと揺れるのであった。
僕は暫くの間、その赤い毛玉のような生き物を観察していた。
消化が終わったのか、赤い毛玉のような生き物もぴょんぴょんと元気に跳ねながら僕の事を見ている。
その姿は実に愛らしい。
「触るのは危険かな?」
高温の赤い実を食べる生物だ。もしかしたらその体温は触るだけで火傷してしまうほど高いのかも知れない。
よくよく観察していると表情がとても豊かでもふもふとしている。
何処に脳があるのか分からないが、知能もそれなりに高いようだ。
現に今もぴょんぴょんと跳ねながら別の赤い実をチラ見している。
これは明らかにおかわりの催促だ。
「まだ足りないのかな?」
別の赤い実の枝を折り、赤い毛玉のような生き物へ差し出す。
今度は遠慮せずに赤い実を一飲みし、やはり幸せそうな表情を浮かべ、その場でゆらゆらと揺れるのであった。
「ヤバイな…」
思わず口から出た言葉。
用心に用心を重ね、最大級の警戒心で臨んでいた僕だけど、幸せそうな表情を浮かべ、ゆらゆらと揺れている赤い毛玉のような生き物への愛着が止まらない。
短い時間ではあるが結論を出してみると、目の前の赤い毛玉のような生き物は危険視する必要はないと考えられる。
その根拠は、赤い実を食べた事から草食か雑食だと推測できること。
ぴょんぴょんと跳ねている着地点が特に何の変化もしていないことの二点である。
もし体の表面が高温であるなら、着地点の草は熱により水分が奪われ、焦げないまでも萎れるはずである。
まあ、何となく偉そうに語ってはみたけれど、原理は全く分からなかったりする。
そもそも、地球での常識や理屈が通用するかどうかも謎な訳で…
それでも僕は覚悟を決めて恐る恐る手を近づけてみる事にした。
かなり近い所まで手を伸ばしたが、火傷を負うような熱さは全く伝わってこなかった。
赤い毛玉のような生き物においては全く警戒する様子もなく、相変わらず幸せそうな表情を浮かべ、ゆらゆらと揺れ続けている。
「大丈夫そうだ。」
僕はそう呟くと、伸ばした指先で頬であろう付近に触れた。
赤い毛玉のような生き物は特に嫌がる素振りもなく、気持ち良さそうに身を委ねてくれる。
想像していた通り、もふもふのふわふわだった。
疲れが一気に吹っ飛ぶとはこの事を指すのだろう。
僕はもう片方の手を使い両手で掬い上げ、もっとよく観察しようと顔の高さまで持ち上げた。
本当に、頬ずりしたくなるような愛らしさ。
そして、しばし見つめ合う。
不意に赤い毛玉のような生き物が動いた。
「えっ?」
赤い毛玉のような生き物はぴょんと跳ねると僕の唇にキスをしたのだ。
同時に青白く輝き、何かが僕の中へ流れ込んでくる感覚がした。
時間にして数秒だったと思う。
赤い毛玉のような生き物は何事も無かったように僕の手の平に戻りぴょんぴょんと跳ねている。
客観的に見れば迂闊な行動だったかも知れないが、意外にも後悔の念や嫌な感じはしなかった。
考えてみれば、愛犬とじゃれあっていればキスくらいするだろうし、流れ込んできた感覚は物理的な何かではなく、何というか、そう、気持ちというか意思というかそんな感じのものだった。
きっと、赤い実を貰った事への感謝の気持ちを、赤い毛玉のような生き物なりに表現したのではないかと思う。
そんな事もあり、僕は名残惜しい気持ちを抑え、赤い毛玉のような生き物を地面に戻しさよならをする事にした。
この世界での昼夜の割合がどうなっているのかわからない以上、森の中に長居して日没を迎えるのは得策ではない。
僕は先程採取した洋梨のような果実を毒見した後、夜に備えて火起こしの材料となる枝や枯葉を拾いながら帰路につくのであった。
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