算数について

 紙に書いて計算する筆算とそろばん。

どちらが便利か?

質問されたら、私はどちらも便利だと答える。

※7黒板(もしくはホワイトボード)とチョーク(または水性ペン)の値段は、そろばんより高くない。

その使い方もまた、そろばんとそう変わらない。

※補足情報7:原文は石盤せきばん石筆せきひつです。

石筆は現在でも通信販売で入手可能ですが、石盤は歴史資料館などでしか見当たりませんでした。そこで該当する品物に変換させて頂きました。


 ただ筆算は一人で出来るのに対して、そろばんは二人(問題を読み上げる人とはじく人)必要となる。

計算速度は同じだが、筆算なら一人分の手間が省けるメリットがある。

これだけを考えれば、筆算のほうが利便性が高い。

だが、まず0~9までのアラビア数字を覚えないと話にならない。

学校で算数の授業を受けた者以外には、通用しないデメリットがある。

学校で足し算、引き算・掛け算や割り算などのやり方を学んで家に帰っても、まだまだ世間はそろばんが幅をきかせている。

保護者はもちろん、大人になったら、そろばんが現役で活躍している厳しい現実が待っている。

相手がそろばんをはじいている中、筆算を使って計算したとしよう。

頭にカビの生えた古い彼らはなかなか降参するどころか、逆に「計算間違っているんじゃないか?」などと因縁をつけてくる可能性すら否定出来ない。

何よりも、この筆算のやり方自体、怪しい教師も少なくない。

これでは、せっかく学校で教わった事が水の泡となるだろう。

しかし、もし在学中にそろばんの練習をしていたら、途中で学校を辞めても雑用をこなせ、しかも親の手助けにもなるだろう。

トラの絵を学んで、猫なのか? それとも犬なのか?

見分けがつかない動物を描いてしまうぐらいなら、だれがどう見てもハッキリ「猫」だと分かるやり方を学んだほうが子供の為になる。と言いたいのだ。

理屈では、筆算とそろばん。両方便利なアイテムであるが、今の時代では筆算はデメリットが多いと言わざるをえない。


 小学生では少しレベルの高い話になるが、ついでにお金の流れを記録する重要性についても軽く触れておこう。

私は明治初期に、初めて西洋簿記の本を読んだ。

これは便利と思い、早速、翻訳して『帳合法』という本を二冊、出版した。

世間では徐々にお金を記録する行為の重要性が広まり始め、最近ではこの西洋簿記のルールを採用する企業がちらほら出てきた。

西洋簿記のやり方は0~9までのアラビア数字を横に記し、その横に取引先や事柄を記載している。

左から右に向かって読むやり方だ。

この方法は非常に便利である。

なぜなら、アラビア数字は書きやすく、あるいは既に完成した商品にも適用できるからだ。

第二の理由として、こまかく帳簿にどれほど記入しても冊子がさほど分厚くならず、持ち運びなどにも便利なのだ。

アラビア数字を知らない者なら、ちょっとだけ勉強する必要があるが、翻訳作業などする必要がない。

やり方さえ学んでしまえば、それに従ってあとは記入していくだけだ。

しかし、このやり方が日本国内で定着するかどうか? に関してはまだまだ不都合が多い。

そもそも家計簿をつける重要性について、いまさら言う必要はないだろう。

お金を管理する大切さを知らずに商売する人間は、目的地までの行き方を知らずにただ、行きあたりばったりに歩いているようなものだ。

自然の景色がなければ、楽しむ事も出来ない。

もしくは目的地を行きすぎてしまったり、回り道をすれば、それだけ余計に交通費がかかったり、時間をロスしてしまう。

それは企業に対して、損失を与えている人間と言えるだろう。

家庭や企業の不祥事はさておき、公共の場を想定してみよう。

税金の支払い、取引における訴訟。土地から獲れる米や麦、あるいはマグロ・ワカメといった海産物の収穫量。

企業がどれくらい成長しているか? 

状況を知りたくても、やり方が分からなければどうにもならない。

役人と国民との間に家計簿のつけ方と見かたを知っている者がいなければ、それは真っ暗闇くらやみの中で、ろうそくや懐中電灯を探しているようなものだ。

日本において、統計表はまだまだ不十分であるが、その罪の多くは帳簿のやり方を習得していない者が多いからだ。

お金を払った、もらった。そんなやり取りを記録する重要性は以上だ。

これを民間企業に採用させ、公務員や一般家庭になくてはならない存在になるまで、広めるのがもっぱら急務といえるだろう。

しかし、アラビア数字を使って、左から右に向かって日本語を記していくやり方をはたして国民が受け入れてくれるだろうか?

理解され当然のように広まっていくとは、私には到底、思えないのだ。

草書を楷書かいしょに変え、ひらがなをカタカナに変えようと頑張っても、恐らく世間では「使いづらい」と不満を言われ、広まらないだろう。

最新である横文字を使った会計方法を教えても、国民は便利さよりもまず驚きが先行して、避けてしまうに違いない。

最先端である家計簿のつけ方は、上流階級の者達にとって支出をやり取りするのに便利だ。

公務員や学者が使用して行くのがふさわしい。

いくら、そう話してもパっとみた感じ、横文字の怪しい雰囲気から、日本社会には合わない。

一歩間違えると実用性すら、疑われてしまうかもしれない。

その事を念頭に置いて広めていく必要がある。

公務員しかり、学者にしても未来永劫みらいえいごう、国民と一切、関係を持たない覚悟ならば可能だろう。

しかし、我々、知識人は見たり聞いたりして得た情報を国民に広めるのが義務といっても過言ではない。

そのためには、なるべく分かりやすく、扱いやすいなどの工夫をこらす必要がある。

縦文字を使って、法律も西洋風を気取って採用してみる。

まずは恐れずに何事もチャレンジしてみる事が、日本国家としての緊急的最重要課題だ。

たとえば、一人の学者の家計具合を取り上げてみよう。

好奇心から、率先して横文字で記録していく家計簿を採用したとする。

一家の大黒柱である夫がドヤ顔で毎月、給料をどれくらいもらった。

家賃やら、食費にいくら使った。残った金額は貯金に回そう。と記録した家計簿を見せつつ、奥さんに説明したとする。

アラビア数字が分からない奥さんから見れば、恐らく「で?」という反応を示すだろう。

奥さんに家計を一切、知らせない。完全に家計を別と扱う単なる同居人か、それ以下のように接するならば、何も問題はないだろう。

しかし、夫婦で上手にやりくりして行くならば、奥さんにも分かりやすいやり方を選ばなければ、理解もされない。

その利益や損失はもとから明白であり、たびたび講演会や学者同士で議論する必要がないくらいだ。

とある人物が、この件について有益な指摘をしてきたので、紹介しよう。

日本の文字を使用すれば、人名や買った品目など書き残すには便利だが、数字が問題なのだ。

家計簿の数字記入欄に2583と記録しても、これは二千五百八十三である。と正しく理解してもらえないかもしれない。

意思の疎通手段としては適さないと言うのだ。

素晴らしい。正論過ぎる!

ならば、よろしい。最終手段だ!

縦文字を素直に縦で使用してしまえばいい。

こうすれば、驚き以上の珍妙な感情はもたれまい。

どんな者でも、一二三という数字ぐらいは知っている。

ただどのように使用されるか、その方法について考えれば良い。

アラビア数字に至っては、0~9までの十文字しかない。

開国以来、初めて知る文字だが、ほんのちょっと勉強すればモノに出来る。

数字の形を効率よく学び、広めていくやり方を日夜、頑張って考え続けてゆこうではないか。

日本の漢数字と比較して、便利か?

はたまた不便かは言わずもがな分かりきっている。

結局の所、アラビア数字での記録はそこそこ流行するかもしれないが、ある程度の年数が経ったころに世代間の問題となって、我々知識人に襲ってくるだろう。

縦で記録して行くやりとりを初歩の入門学にしてしまえば、国民のほとんどが知りえている情報となるので、さほど困難な問題にならないだろう。

たとえば、いま明治政府が使用しているそろばんも、地方の個人商店で使っているそろばんも、使い方はみんな同じだ。

記録方法にも同じ事が言えると私は願っている。

数字の書き方にしても、かたくなに漢数字を用いて「二五八三」と書くのは不便ではある。

「2583円」と書いてしまったほうが、西洋簿記の趣旨に沿った正しいやり方だし、何より手間が少なくて済む分、便利だ。

詳しい話はまたの機会に譲り、話を元に戻そう。

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