第29話チーズケーキ(後編)
「いらっしゃいませ。菓子処『ノン・シュガー』へようこそ」
驚くほどの美少女も、見覚えがある。
どこかおずおずと、こちらを見ていた。
「二度目のご来店ですね。当店にはメニューはございません。お任せの1品のみ、ご提供させていただきます。……お召し上がりになりますか?」
「……。ああ……」
ぼう然としていた俺には、少女の言葉はどうでもよかった。
言われるがままに、返事をしていた。
それから椅子に座り、どれほどの時が経っただろうか。
「お待たせいたしました」
コトリ、と。
目の前に皿が置かれた。
「おお……」
何も写していなかった俺の瞳が、思わず奪われ、釘付けになった。
目を射るほど白い。
だがどこか温かみのある、白色のケーキが、そこに乗っていた。
切り取られた断面の底には、こんがりと焼かれた狐色の層が一筋。
そしてケーキの白さを際立たせるように、ラズベリーやブルーベリーなど、赤や紫の色彩豊かなフルーツが添えられている。
「レアチーズケーキでございます」
「これは、うまそうだな……!」
ここに来た経緯を考えることも、頭からとんでいた。
気付けば、少女にうながされるまま、フォークを手に取っていた。
そのケーキは、よく冷やされているようだった。
手を近づければ、わずかにひんやりとした冷気がただよう。
冷やし固められたその本体に、ぐっとフォークを差し込む。
ぽってりと濃密な手ごたえが返ってきた。
大きく切り取ると、勢いよくかぶりつく。
「うおっ! これは……」
まず感じるのは爽やかな香り。そして心地よい酸味の刺激。
それからとろりとこくのある生地の、フレッシュで乳味豊かなチーズの風味。
まったりと舌に広がる濃密さをもちながら、するりと溶けて、後口はすっきり、さっぱりしている。
そこへ底面にしかれたビスケット生地のようなものが、ザクリとした絶妙の歯ごたえと、香ばしさを添えている。
フルーツと共に食べるのも、強い酸味の後をケーキのまろやかさが包み流してくれるバランスがたまらない。
「うまい……!」
それから俺はむさぼるように食べ、あっという間に一皿を空にしてしまった。
俺の胃袋では一皿では足りん。
「すまん、追加を頼む!」
「は、はあい! ただいま!」
勢いに気圧されたのか、追加注文に慣れていないのか、少女は慌てて追加の皿を準備する。
そうして俺は、追加分もまたたく間に食べつくしてしまった。
「……美味かった」
ケーキなど、普段そうそう食べることはない。
甘味もたいして好みというわけではないのだが、先ほどのケーキはくどくなく、あっさりと食べられた。
「光栄です。ありがとうございます」
「クリームを塗っているようには見えなかったのだが……、ずいぶんと生地が白いケーキだったな?」
「あ、はい。レアチーズケーキは、焼かないケーキですので」
「焼かない……?」
ケーキは焼くものだと思っていた俺は、意外な言葉に、聞き返す。
「はい。ですから、焼き目がつかず、生地は白いのですよ。
初めにバターとクリームチーズを室温に戻しておきまして、ビスケットを粗く砕いたものをバターと合わせて、底に敷き詰め、冷やしておきます。
クリームチーズをよく練って、なめらかになったら砂糖・生クリーム・レモン汁を加えて、その都度よく混ぜます。ゼラチンを加えて、冷蔵庫で冷やし固めて完成です」
「冷やす……? 冷やすだけで出来上がりなのか!?」
「え、ええ。そうですが……」
少女の言葉に俺はうなる。
何て簡単な作り方。
それなのに、出来上がったものは驚くほど美味しかった。
「なぜ、そんな作り方を……」
「さあ……。レアチーズケーキの起源までは、私も存じ上げません。ですが、ベイクド――焼いたチーズケーキとは違った魅力がございますよね。香ばしさや、熟成感など、焼くことでしか得られない風味もありますが――焼くことで損なわれる風味も一方であります。フレッシュな、新鮮な乳の風味――。そして、冷やし固めるからこそ、水気が多くベイクドには向かないレシピでも作ることができますし、薄力粉を使わずにつくることもできます。――要は、作戦の幅が広がるのですよ」
「作戦の――!?」
何気ない少女の言葉に、俺は過剰に反応してした。
「? はい。いつもいつも同じ焼き方をするよりも、時に違う製法で作ったほうが、素材の良さも、異なる方向から引き出すことができます。違った一面を見れますし、様々なコンビネーションでの魅力を楽しむことができます。お菓子のレシピは千差万別。焼くばかりが、その全てではありません。時には、冷やすことも大切です」
「素材の、良さ。魅力――。時には、冷やすことも……」
俺は、熱血に指導すればよいと思っていた。
そうすればするほど、生徒の力はつき、より強いチームになれると。
――だが、結果はどうだ。
ただがむしゃらに練習するだけだった俺は、相手チームの解析など考えてもいなかった。
選手の、疲労した身体のケアも、考えてはいなかった。
それを代わりにやってくれたのは、全て安達先生。
俺がばかにしていた、安達先生だけが、冷静な目で、チームを、そして俺のことを見ていた。
そうして、足りない部分を、陰で補ってくれていた。
「俺は……、ただ一面でしか、見れていなかったんだな……」
ようやくそれに気付き、俺はうなだれる。
そんな俺を、少女は見ていた。そして――
「お客様」
「ん……?」
「私は、お客様の事情を存じ上げてはおりません。ですが、もし何かに気付かれたのなら――これまで気付いていなかった何かに気付くことができたのなら――、お客様の居場所に戻られませ」
俺はぼうっとして、少女を見る。
「戻る……」
「はい。今のお客様なら、同じ間違いはなさらないでしょう。――新たなレシピを持って、お客様を待っている方々のもとに、お戻りください」
「みんなは……まだ、俺を待っていてくれるだろうか」
「それは、お客様次第です。当店のお菓子が――少しでもお客様の助けになれば幸いです」
***
「先生……猪谷先生」
「――! あ、……安達先生」
「どうされました、ぼうっとして。どこか具合でも?」
「……い、いえ。大丈夫です。ここは……」
「これから、チームの写真を撮るところですよ。さあ、是非、猪谷先生も入ってください」
「写真……? でも、私は……」
「先生は、チームをここまで導いた監督じゃないですか。お入りにならなくては」
「…………」
俺はしばらく呆けていた。
――それから、言った。
「安達先生。先生も、一緒に入っていただけませんか」
「……猪谷先生?」
「俺だけでは、チームを勝利には導けませんでした。安達先生。あなたのお力添えがあったからこそです」
「先生……」
「……今まで、すみませんでした。一緒に、写真をとりましょう。そして――よかったら、これからは、俺にも安達先生のような、指導のやり方を、どうか、ご教授いただけたら、嬉しいです……」
今更どの面下げて、と我ながら思ったものだが。
安達先生はいつものように柔らかく笑い、
「もちろん、喜んで」
そう、頷いてくれたのだった。
――さあ、次の試合に向けて、突き進もう。
温と冷、二つの調理法を、携えて。
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