第28話チーズケーキ(前編)

「菓子だと? ふん。悪いが、そんなものを食べている暇はない。俺は忙しいんだ! すまないが、今すぐ帰らせてもらうよ」

「え? ええと、あの……」

 そういうと、宣言通り、その方は荒々しく扉を閉めて、出て行ってしまわれました。


 『ノン・シュガー』の店内で、私は途方にくれます。

 なんということでしょう。

 初めてのことでした――

 お客様に、お菓子を召し上がっていただくことなく、お店を立ち去られてしまったのは。


***


(なんだ、菓子屋だって? そんなところへ入った覚えはないぞ。俺は。……ったくいつの間に……)

 出てきた扉を閉めると、振り返ることもなくせかせかと足早に、俺は学校へと向かう。

 地区予選が迫っているのだ。

 放課後も、土日も関係なく部活の練習は行われている。

 監督である自分が、そこにいなくていいはずはない。


(今年はいいレギュラーがそろっている。新入部員もなかなか見所がある。いいところまでいけそうなんだ。ここが踏ん張りどころだ!)

 決意も新たに、練習が行われている体育館へと向かった。


 勢いよく、扉を開ける。

「おはようございます!!」

 いっせいに、気持ちの良い挨拶が返ってきた。

 揃いのユニフォームを着た、バスケットボール部の部員達だ。

「おう、おはよう!!」

 負けじと、俺も声を張る。

 挨拶はスポーツの基本だ。常日頃から、それは口を酸っぱくして言っている。


「みんな、基礎練習は進んでいるか?」

「はい! 今日のノルマは達成しました」

「よし。じゃあ模擬試合に移ろう。3組に分かれて、総当りだ! 審判と得点係以外は、基礎練習を続行!」

「……はい!」

 

 指示に応じて、部員達が颯爽さっそうと動き始める。

 だらけたところはない。

 いかなるときも、だらだらと動くことのないよう、気を引きしめておくことを、普段から指導している賜物たまものだろう。俺はそれに満足する。


猪谷いのたに先生」

「……ああ、これは、安達あだち先生。どうされました」

 ふいに声をかけられ、振り向いたその先にいた人物に、思わず眉をひそめる。

「今日も、練習が盛んですね」

「ええ。試合が近いですからね。休んでる暇などありませんよ」

「しかし、あまり過酷な練習で、部員の身体に負荷をかけてしまっては……。たまには、休憩をはさんだほうがよいのではないですか」

 案の定だ。

 お決まりの文言に、俺はうんざりする。

「水分の補給には気をつけていますよ。身体が資本なのは、もちろんですからね。若いんですから、これくらいでへばることはない。限界まで力を振り絞ったときに、選手は成長するんです。練習期間もあとわずかしかないのですから、とにかく今は、時間が惜しいんです」

「……そうですか……」

 そして安達先生は、いつもと同じく、困ったように笑いながら去っていった。

(ふん、老いたくはないもんだ……)

 今や50歳は超えているだろうか。安達先生は、その年齢からか、妙に保守的なところがあった。

 試合では、どれだけ練習したかが結果にでるものだ。

 限られた時間を、どれだけの密度で練習に使えるか、それこそが監督の腕の見せ所だ。

(それをあの先生ときたら……)

 暇さえあれば、口出しをしてきて、やれ選手を休ませろだのなんだの、甘やかすようなことばかり。

 以前は監督をしていた時期もあったというが、もう引退したのだから、若手に任せておけばよいものを。

「さあ、みんな! 残り時間は少ないぞ! 精一杯頑張ろう!!」

「はい!」


***


 そして地区大会当日。


「いいぞ、前田! 佐々木、その調子だ、滑り込め!」

 選手達は、非常にいい動きをしていた。

 背は高いがスピードに欠ける相手には、小回りのきくメンバーが対応し、ロングシュートが得意な相手には、ディフェンスを固めて動きを封じる。

 自分の目から見ても選手達はよく動いていて、過酷な練習でスタミナをつけた成果が出たものと思われた。


 結果、監督するチームは見事、地区予選突破を果たしたのである。


「よくやった! みんな、よくやったぞ!」

 戻ってきたメンバーをねぎらう。

 みな喜びにはちきれそうな笑顔をしていた。

 それを見て、俺もチームの一員として感無量になる。


 すると、一人の地方紙のインタビュアーが、エース選手に近寄ってきた。

「全国大会出場、おめでとうございます」

「ありがとうございます」

「今回の勝利、それを導いた要因はなんだったと思われますか?」

「そうですね……」

 当然、その後には、この自分を、監督である自分の指導方法を賞賛する声が続くものと思った。

 しかし。

「先生が、相手チームのことをよく研究して、過去の試合のビデオなんかもたくさん見せてくれて、対策をしっかり練れたからだと思います」

「他にも、厳しい練習の疲れが少しでも取れるように、疲労回復に効果のあるドリンクを作ってきてくれたり……」

「そういうサポートがなければ、最後まで練習や、試合を乗り切ることはできなかったと思います」


 なんだと……。

 選手の言葉を聞いて、俺はあっけにとられた。

 ビデオだと。

 ドリンクだと。

 何のことだ。

 俺は何も知らない。何もしていない。

 それからも、選手の口からは、俺に対する、俺の練習や指導に対する感謝の言葉は一言もでてこなかった。


 インタビュー後、俺は選手につめよった。

「なあ、さっきの話。あれはどういうことだ? ビデオだなんて……知らん。俺は知らんぞ」

「ああ……」

 見返してきた選手の目は、気のせいだろうか。

 どことなく、冷ややかなものに見えた。

「安達先生ですよ」

「…………何?」

「全部、安達先生がやってくれたんです。ビデオも、差し入れのサポートも。先生の練習メニューで、身体を壊しそうになってた子がいたときも、安達先生が気付いて、テーピングをしてくれました」

「僕達は、皆安達先生に感謝しています。勝ち残れたのは、安達先生のおかげだと思っています」

「……俺は……。俺の、練習メニューは……」

「……根性だけは、先生に鍛えていただいたと思っていますよ。――失礼します」

「――安達先生だ! 先生がいらっしゃったぞ!」

「先生!」

「先生!」

「みんな、おめでとう! よく、がんばったね」

 

 選手達が集まる先に、安達先生がいる。

 選手達を輝く笑顔を向けられる先に、安達先生がいる。

 ――俺ではなく。

 俺の居場所は、どこにもない。


 なんだこれは。

 なんだ。

 今まで、選手ためを思って、共に汗を流してきた練習は、指導は。

 強くなれると思って。

 俺は。

 おれは――。


***


 気がつくと、俺は見知らぬ場所にいた。

 いや――そうではない。

 一度だけ、来たことがある。

 上品なカフェのような、この内装は見覚えがある。


「いらっしゃいませ。菓子処『ノン・シュガー』へようこそ」

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